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佐藤 薫

理学部・理学系研究科の卒業生、教員からのメッセージ

※所属、肩書は掲載時のものです

佐藤 薫(SATO Kaoru)

佐藤 薫

東京大学大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 教授

1984年東京大学理学部地球物理学科卒業。1986年同大学院修士課程地球物理学専攻修了。企業に一旦就職するが、1988年京都大学大学院理学研究科博士課程地球物理学専攻編入学、1991年同修了、理学博士。1991年日本学術振興会特別研究員PD、1993年東京大学気候システム研究センター助手 (任期付)、1995年京都大学理学研究科助手、1999年国立極地研究所助教授を経て、2005年東京大学理学系研究科教授 (現職)。1995〜2000年NorthWest Research Associates招聘研究員。第44次日本南極観測隊越冬隊員。2011年度東京大学総長補佐。第21〜23期日本学術会議連携会員。日本気象学会山本正野論文賞、同学会賞受賞。南極昭和基地大型大気レーダー計画(PANSY) 代表。専門は気象学 (大気力学、中層大気科学)。


この短い文章の中で私の経歴の全てを紹介するのは無理ですので、心がけてきたことを中心に述べたいと思います。私が学生のころは、日本全体を見渡しても気象学の女性の大学教員はいませんでした。学位取得も女性ではほぼ初めてだったと思います。学生時代は女性であることをさほど意識せずに勉強や研究に専念できましたが、職を探すころから特別扱いされるようになりました。今以上に女性が珍しかったからです。研究実績があれば、女性も受け入れてもらえるはずと思って、地道に研究し論文を書き学会発表する生活を続けました。当時としては少々長い4年間、任期付の職で研究活動を行なった後、幸い京大の出身研究室の助手に採用されました。この助手の5年間は、専門を深め、幅を広げることを常に心がけていました。また、毎夏、暑い京都を抜け出して、世界第一線の研究者の集まるNorthWest Research Associates (シアトル) に滞在し、多くの知り合いを作ることが出来ました。助手時代の研究が認められ三十代半ばで学会賞をいただいたときはとても幸せでした。子供に恵まれなかったこともあり、教育デューティのない研究三昧の生活にあこがれて、極地研に異動しました。しかし、南極観測を担う極地研の研究は大学とはかなり異なるものでした。そこで、極地研でしかできない研究をしようと考え、思い切って、大型大気レーダーを昭和基地に建設する観測プロジェクトを立ち上げました。一筋縄ではいかない研究でしたが、多くの方の協力を得て予算も認められ、東大に異動してからの2011年に実現しました。この極地研時代、アフリカ大陸を除く全ての大陸を、またほぼ全ての緯度帯 (78°N〜70°S) を経験しました。2005年に東大に戻ってからは、極地研や京大の仲間と南極観測研究をつづけながら、大学人らしく (?) 理論やデータ解析、高解像度モデル研究を再開し、学生達や専門の近い若手研究者の方達と楽しく研究に取り組んでいます。また、いつも支えてくれる夫には感謝しています。

理学系女子学生・院生へのメッセージ

日本ではまだまだ少数派の理系女子ですが、世界に目を向ければ研究者の3割は女性です。そして、すばらしい女性研究者や技術者が沢山います。視野を広く持ち、今の時間を大切にして自分を磨いてください。実力があれば、国際社会にデビューし、他国の女性研究者・技術者と出会った時に、きっと楽しいと思います。

通訳は毎日が勉強の連続ですが、好奇心旺盛な私には興味を持てる色々なトピックを広く浅く学べるこの仕事は天職だと感じています。私には確固たる人生設計があったわけではありませんが、その時点で何ができるかを考えて選択してきた結果、全てが今に繋がってきたと思います。また私が好きなことをやることに嫌な顔一つしない伴侶に恵まれたことは幸いでした。

若い方々は、是非色々なことに興味を持って沢山勉強してください。若い時に学んだことは忘れにくいですし、キャリアの方向転換をしても、後に思わぬところで役立つかもしれません。また、可能性は無限にあります。今目の前にある道にこだわりすぎず、いつか自分が本当に好きなことを見つけてください。好きなことなら大変でも苦にならないでしょう。


HP:http://www-aos.eps.s.u-tokyo.ac.jp/~kaoru/

参考文献
JARE44(第44次日本南極地域観測隊)オゾンホール観測「極地」2004年
MUレーダーからPANSYへ「京大地球物理学研究の百年(II)」2010年

2013年掲載