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理学部ニュース

~ 大学院生からのメッセージ~
目に見えないかたちがもつ対称性

 


北村 侃Kan Kitamura
数理科学研究科 博士課程1 年生
出身地
京都府
出身高校
私立灘高等学校
出身学部
東京大学理学部数学科

 

身のまわりには,さまざまな対称性がある。たとえば,地球は球体と思えば地軸について回転対称性をもつ。私たち人間は,手足などの体表のパーツがおおむね左右対称についている。また,食塩のような結晶も分子の種類により多様な対称性をも つ。お菓子のドーナツも,表面の凹凸がなければ穴の中心を通る適切な軸について回転対称性をもつ。

つぎにドーナツとして断面に凹凸があり,生地がねじられているタイプのものを見てみよう。図左側のようにY 字型に押し出した生地を,一定の速度でちょうど1 回転分ねじりながら輪っかにした形を考える。ここで,断面のY 字の型は120°回転の対称性をもつとする。また,ふちの1つにチョコレートを塗っておく。これを図左側のような120°回転をさせると,形としてはもとと同じだがチョコレートの配置が変わってしまう。この配置も合わせるには内側にねじるような操作がいる(図右側)。つまり,このチョコドーナツは何らかの補正つきで120°回転の対称性をもつ状況にあるといえる。


ねじられたドーナツの模式図。チョコレートを赤い色で示した。右側は,左で示した方向に120°回転したあとのドーナツと,色を左にあわせるための内側にねじる操作を示した。

 

このような「ねじれた」対称性は,私の専門である非可換幾何という数学の分野でも現れるものである。非可換幾何では,(成分が無限個あってもよい)行列たちの特別な集まりを考える。行列の集まりというと代数的なものに聞こえるが,じつはこれは空間の延長上にある概念を与えている。とはいえ通常の意味での空間ではなく,私たちがその「かたち」をじかに見ることも叶わないのだが,それでも幾何学的な意味を与えられるのである。一方,ふつうの数(整数や実数など)とちがい,行列同士のかけ算は順番を交換するとしばしば答えが変わる。このような状況により,非可換幾何におけるかたちは私たちの直感をこえた奇妙な性質を示す。この新たな現象に魅力を感じ,私はこの分野を選んだ。

こうした非可換なかたちの対称性として現れるのが,量子群やテンソル圏とよばれる概念である。上で紹介したチョコドーナツの例も,ある意味でそのような対称性が背後にあるとみなせる。これらの対称性も直接見ることは難しいのだが,じつは場の量子論とよばれる,粒子などのふるまいを記述するための物理学の理論との深い関連があり,豊かな理論の源泉となっている。私はこの新たな対称性への理解を深めるために,量子群やテンソル圏の対称性をもつかたちについて,その新たな構成方法やその性質を取り出す道具立てを作る研究をしている。

数学はよく,役に立たない学問であるといわれる。私自身も,自分の研究がじかに世の中の役に立つとは思っていない。しかし一方で,数学はほかの科学を記述するための言葉を与える,いわば土壌のような役割をもっている。そしてその土壌を豊かたらしめるのは,数学そのものの学問としての面白さと奥深さではないかと思う。目に見えないかたちと表題に書いたが,非可換幾何は数学の形式的な言語で記述される。だが形式的であっても無味乾燥なものではなく,そこには新たな現象を扱うための自由な発想が凝縮されている。そしてそれらを紐解くことではじめて感じとることのできる,不思議な景色が存在する。

さいごに,本稿が読者の理学を志す一助となれば幸いである。

 

 

理学部ニュース2022年3月号

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