DATE2025.09.16 #Press Releases
水中での化学合成を革新!
―カーボンナノチューブが触媒の「優秀なパートナー」となる―
発表のポイント
- これまで困難であった、固体触媒による水中での「不斉合成」に成功した。本技術は、医薬品の原料や高機能な化学製品の製造に役立つ。
- 新しい触媒の固定化に、これまで応用が進んでいなかった単層カーボンナノチューブ(SWNT)を活用した。SWNTは、触媒を安定させながら再利用を可能にする、まさに「能動的な担体」として機能する。
- 共有結合に依存せず、より簡便に、より効率的な触媒をデザインできるようになった。環境に優しい化学合成の未来を拓く、画期的な一歩である。

本研究における触媒概念図
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の北之園 拓 助教、小林 修 特任教授らの研究グループは、水中で、触媒的不斉合成(注1) のための新しい技術を開発した。
この技術では、日本の企業が量産化に成功した単層カーボンナノチューブ(SWNT)(注2) という非常に細い炭素の筒を用いる。このナノチューブに、設計したキラルルイス酸触媒(注3) を吸着させることで、共有結合を用いずに安定的に固定化することに成功した。
水中で化学反応を行うことは、環境に優しく安全な「グリーンケミストリー」の観点から非常に重要である。しかし、従来のキラルルイス酸触媒は水に弱く、すぐに機能しなくなるのが大きな課題であった。
これまでの研究では、触媒を強固に固定するため、共有結合に依存する方法が主流であった。しかし、この方法では触媒の設計が複雑になるという問題があった。
今回の新しい技術では、SWNTが持つ特別な性質(電子的な特性や表面の性質)を活用することで、化学結合がなくても触媒を安定して保持し、10回の再使用でも活性を維持できることが明らかになった。この成果は、今後の医薬品や高機能化学製品の製造に大きく貢献すると期待される。
発表内容
研究の背景
化学合成に「水」を用いることは、環境への負荷を減らし、持続可能な社会を目指す上で非常に重要である。特に、医薬品や高機能化学品の製造では、この「グリーンケミストリー」の考え方が求められている。
しかし、水中で化学反応を進めるには大きな技術的障壁があった。特に、キラルルイス酸触媒を用いる場合、水との反応や、他の物質との反応で触媒が失活してしまい、想定通り反応が進まないという問題が起こりがちであった(図1A)。
これまでの研究では、共有結合を用いて触媒を頑強に固定する方法が採られてきた。この方法によって、触媒が漏出するのを防ぎ、高い性能を維持することは可能となったが、触媒をつくる過程が複雑化するため、設計の自由度が低いという欠点が残されていた(図1B)。

図1:(A) キラルルイス酸触媒の水中での失活及び立体選択性損失の機構 (B) 一般的なキラル金属触媒の固定化手法 (C) 本研究で初めて実現した、非共有結合型によるSWNT上でのキラルルイス酸固定化
研究の内容
今回の研究では、共有結合を必要としない方法で触媒を固定化することに挑戦した。
鍵となったのは、単層カーボンナノチューブ(SWNT)である。SWNTは、非常に細い筒状の構造をしており、優れた電気的・構造的な性質を持つ。研究グループは、このSWNTの表面が触媒を安定化させるのに役立つと考えた。
実験では、独自に設計したスカンジウム錯体をSWNTの表面に吸着させるだけで、固定化触媒として機能させることに成功した(図1C)。ここでは、SWNTと触媒の間に働く「π−π相互作用」という引力を利用している。結果的に、触媒の電子の状態がうまくコントロールされ、より安定して働くことが分かった。
この触媒システムは、水中での重要な化学反応で高い性能を発揮した。さらに驚くべきことに、触媒を最大10回繰り返し使っても、性能の低下や触媒成分の漏出がほとんど見られなかった。これは、共有結合で固定化した触媒に匹敵する、高い再利用性である。
他の炭素材料と比較したところ、今回の成果の優位性がより明確になった(図2)。カーボンブラック(CB)や多層カーボンナノチューブ(MWNT)では、触媒の性能がすぐに落ちてしまったり、ほとんど反応が進まなかったりした。
これらの結果から、SWNTは単に触媒を支える「支持体」ではなく、触媒そのものの働きを助ける「能動的なパートナー」として機能していることが明らかになった。 さらに、SWNTの表面を化学的に加工したり、触媒側の分子の形を変えたりすることで、性能をさらに向上させられることも分かった。これにより、今後の触媒開発における重要な指針が得られた。

図2:炭素担体の効果を示す初期の検討結果
今後の展望
今回の研究は、困難であった水中での化学反応を、新しいアプローチで解決した非常に重要な成果である。 SWNTの特別な性質を活用することで、共有結合に頼らずに、触媒を高性能かつ安定的に使うことが可能となった。この技術は、触媒をより自由に、そしてより簡単に設計できる可能性を秘めている。
将来的には、この技術を応用して、医薬品やファインケミカル(特殊な化学製品)の製造プロセスを、より環境に優しく、効率的なものに変えていくことが期待される。
今回の研究は、材料科学と化学合成の力を組み合わせることで、持続可能な社会に貢献する新しい化学技術を生み出せることを示している。
関連情報
「プレスリリース① キラル触媒と溶媒を繰り返し使用可能な不斉合成技術」(2022/4/7)
「プレスリリース② カーボンナノチューブの新展開:水中で働く不斉触媒の高機能化を実現」(2018/10/22)
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院理学系研究科 化学専攻 有機合成化学研究室
北之園 拓 助教
総長室総括プロジェクト機構「グリーン物質変換」総括寄付講座
小林 修 特任教授(兼:同大学大学院理学系研究科 化学専攻 特任教授)
論文情報
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雑誌名 Chemical Science 論文タイトル Noncovalent Immobilization of Chiral Lewis Acids on Single-Walled Carbon Nanotubes as a Tool for Synthetic Organic Aquachemistry著者 Taku Kitanosono,* Satoshi Tanaka, Dongxin Zhang, Tomoya Hisada, Yasuhiro Yamashita and Shū Kobayashi*(*責任著者) DOI番号 10.1039/D5SC05390K
研究助成
本研究は、新学術領域研究「高分子を活用するユビキチン選択的認識・標識法の開発(課題番号:JP19H05288)」、若手研究「π電子材料を活用するキラルLewis酸触媒の非共有結合的固定化戦略(課題番号:JP20K15272)」、科研費基盤研究C「単層カーボンナノチューブの電子物性を活用する触媒開発(課題番号:JP25K08633)」及び科研費基盤研究S「水を中心とする有機化学=アクア有機化学の構築(課題番号:JP22H04972)」の支援により実施されました。
用語解説
注1 触媒的不斉合成
僅少の不斉源を用いて理論的に無限の鏡像異性体を合成する手法。野依先生ら3氏が2001年にノーベル賞を受賞している。鏡像異性体とは、鏡に映した像が元の像と重なり合わない関係(右手と左手の関係)にある分子構造を有する分子のこと。不斉(キラル)とは、その性質。↑
注2 単層カーボンナノチューブ(SWNT)
1991年、飯島澄男博士により発見されたカーボンナノチューブは、その構造により、多層カーボンナノチューブと単層カーボンナノチューブに分類される。単層カーボンナノチューブは軽量、高強度、高い柔軟性、高い電気・熱伝導性、半導体的な性質という、他の炭素材料にはない特異な特徴を持ち、既存の材料性能を遥かに凌ぐ高いポテンシャルが指摘されてきた。量産化の課題から実用化が遅れていたものの、日本ゼオン株式会社がSWNT量産工場を2015年に稼働させて以降、世界中で量産化に向けた取り組みが続いている。↑
注3 キラルルイス酸触媒
カルボニル化合物等の電子豊富な化合物の非共有電子対を受け取ることで、反応性を飛躍的に向上させることのできる触媒で、主にカチオン性の金属錯体が用いられる。特に、金属錯体の配位子としてキラル化合物を用いることで触媒活性種の立体環境を制御し、不斉反応が可能となる。このように僅かなキラル源を用いてアキラルな分子から光学活性分子を合成することは触媒的不斉合成と呼ばれ、現代有機化学の重要な技術の一つ。↑

