DATE2026.10.09 #Press Releases
多孔性金属錯体 (MOF) 中の電子スピンの光検出を初めて実証
―高感度なケミカル量子センシングに向けた重要な一歩―
発表のポイント
- 多孔性金属錯体(Metal-organic frameworks; MOFs) (注1) 中に生成した励起三重項 (注2) の電子スピンの光検出を初めて実証した。
- 今後は MOF と光検出を組み合わせた高感度な量子センシング (注3) の実証が期待される。

MOF 中の励起三重項スピンの光検出
概要
東京大学大学院理学系研究科の井上魅紅大学院生、石井航大学院生、楊井伸浩教授らの研究グループは、グラスゴー大学の Alistair Inglis 博士研究員、Sam L. Bayliss 准教授、シェフィールド大学の Thomas W. Bradbury 博士課程学生、Jenny Clark 教授、埼玉大学大学院理工学研究科の長嶋宏樹助教(量子科学技術研究開発機構 協力研究員)、前田公憲准教授、日本電子株式会社の青山佳敬博士、西山裕介博士、分子科学研究所の浅田瑞枝主任技術員、中村敏和チームリーダー、神戸大学ライフ光学イノベーション研究センターの小堀康博教授らと共同で、光検出磁気共鳴測定による MOF 中の電子スピンの光検出を初めて実証しました。
光検出磁気共鳴(Optically detected magnetic resonance; ODMR)法(注4)は、量子センシングにおける有用なスピン量子ビットの読み出し法として注目されています。本研究では、ポルフィリン誘導体(注5) を配位子とした MOF を合成し、光照射によって生成する配位子由来の励起三重項スピンの光検出に初めて成功しました。MOF は量子センシング応用に向けた有望な材料として期待されていましたが、量子センシングの実現に向けて鍵となるスピンの光検出は MOF 中において達成されていませんでした。本研究により、MOF と ODMR を組み合わせた高感度な化学物質の量子センシングに向けた重要な一歩が示されました。
発表内容
光によって検出可能な電子スピンは、マイクロ波による検出である電子スピン共鳴 (Electron spin resonance; ESR)(注6)と比較して高い感度・空間分解能で検出できるため、量子センシングに適しており、近年精力的に研究が進められています。光検出可能な電子スピンの代表例としてダイヤモンド窒素―空孔中心がよく知られていますが、結晶内の欠陥に存在するスピンを利用しているため、制御性に限界があり、また外部の物質との相互作用が弱いという課題がありました。これに対して、分子由来のスピンは自在に構造を設計し、スピン特性を調整できる点で制御性に優れた材料です。その中でも、多孔性金属錯体(MOF)は配位子としてスピンをもつ分子を利用することで、電子スピンの位置や配向を制御できます。また、多孔性材料であるため、検出したい化学物質を細孔内に吸着し、スピンと近距離において相互作用させることにより検出できると期待されます。これらの利点から、MOF は量子センシングに適した材料として期待されていましたが、これまでMOF 中のスピンの光検出は実証されていませんでした。
そこで本研究では、光励起により励起三重項を生成することが知られているフリーベースポルフィリン配位子を用いた MOF を合成し、励起三重項のダイナミクスやスピン特性を時間分解発光(Time-resolved photoluminescence; TRPL)測定(注7)や ESR 測定によって解析しました。また、ODMR 測定によって励起三重項スピンの光検出に初めて成功しました。
合成した MOF の構造は電子線回折(注8)によって確認されました(図 1a)。過去の同一 MOF の報告では結晶構造が粉末X線回折からのシミュレーションで解かれていたため、今回電子線回折により結晶構造を測定したところ、過去の報告と同様の構造が得られたことに加え、ポルフィリンのフリーベース構造が MOF 中でも保たれていることを確認しました。
また、MOF 中での励起子のダイナミクスを調べるため、TRPL 測定を行ったところ、二成分の発光が観測されました(図 1b)。これらは発光のタイムスケールから、それぞれ蛍光とりん光と考えられ、一成分目の減衰は蛍光寿命ともおおよそ一致しました。さらに、励起三重項が MOF 中でホッピングしているかどうかを評価しました。励起子がホッピングしている場合、三重項―三重項消滅(Triplet-triplet annihilation; TTA)(注9)という現象が起こります。この現象は励起光の強度に依存するため、二成分目の励起光強度依存について調べたところ、顕著な強度依存性は見られませんでした。この結果より、MOF 中で TTA が起こっておらず、ホッピングは非効率的であることが示唆されました。
さらに、スピン特性評価のため ESR を測定しました(図 1c)。過渡 ESR 測定により、励起三重項由来の信号が観測され、シミュレーションによりゼロ磁場における励起三重項のエネルギー分裂に関するパラメーターが計算されました。また、パルス ESR 測定によっても励起三重項の信号が得られ、スピン―スピン緩和時間(T2)(注10)は励起光強度に依存して 0.78 μsから数μsの間で変化しました(図 1d, e)。これにより、MOF 中の励起三重項スピンが量子センシングへの応用にむけて、量子コヒーレンスを十分長く保つことが明らかになりました。
ゼロ磁場においてマイクロ波を掃引し、MOF からの発光強度変化を測定したところ、特定の周波数において発光強度の変化が見られました(図 2b)。これは励起三重項のエネルギー分裂幅に相当する周波数のマイクロ波が照射された際にスピン準位間の遷移が起きていることを示します。この際のエネルギー分裂幅は電子スピン共鳴測定(ESR)から求められた値とよく一致しました。また、超高速分光と ODMR の波長依存性から、主にりん光の強度がマイクロ波によって変調を受けるという機構が示唆されました(図 2c)。これにより、MOF 中に生成した励起三重項のスピン状態が光により検出可能であることが実証されました。
図1:(a)本研究で用いたフリーベースポルフィリン MOF の結晶構造。(b) TRPL 測定によって得られた 720 nm における発光の減衰。(c)過渡 ESR 測定によって得られた励起三重項の ESR スペクトル。(d)パルス ESR 測定によって得られた励起三重項の ESR スペクトル。インセット: 測定に使用されたパルスシーケンス。(e) 324.8 mT における励起三重項の信号の減衰とフィッティング曲線の時定数から得られたスピン―スピン緩和時間 T2。
図2: (a)励起三重項を用いた ODMR 測定のメカニズム。スピン選択的な項間交差により、励起三重項の三準位の間のポピュレーションに偏りが生じる。励起三重項間のエネルギー差に相当する周波数のマイクロ波を照射することでポピュレーションが変化し、蛍光やりん光の強度変化として読み出される。(b)ポルフィリン MOF のゼロ磁場 ODMR スペクトル。(c)異なる波長で検出した際の ゼロ磁場 ODMR スペクトル。
本研究により、MOF 中のスピンの光検出が実証されました。MOF は配位子や結晶の構造を変化させることによって非常に多様な設計が可能な材料であるため、今回の実証により今後様々な系が検証され、量子センサーのライブラリーが構築されることが期待されます。また、そのライブラリーの特定の化学物質に対する応答パターンを用いることで、特定の化学物質の高感度な量子センシングの実現も期待されます。
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院理学系研究科 化学専攻
井上 魅紅 博士課程学生
石井 航 博士課程学生
楊井 伸浩 教授
グラスゴー大学 University of Glasgow
James Watt School of Engineering
Alistair Inglis 博士研究員
Sam L. Bayliss 准教授
シェフィールド大学 University of Sheffield
School of Mathematical and Physical Sciences
Thomas W. Bradbury 博士課程学生
Jenny Clark 教授
埼玉大学
大学院理工学研究科 物質科学部門
長嶋 宏樹 助教
前田 公憲 准教授
日本電子株式会社
青山 佳敬 博士
西山 裕介 博士
神戸大学
ライフ光学イノベーション研究センター
小堀 康博 教授
分子科学研究所
機器センター
浅田 瑞枝 主任技術員
中村 敏和 チームリーダー
論文情報
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雑誌名 Journal of the American Chemical Society 論文タイトル Optically Addressable Spins in a Metal-Organic Framework著者 井上魅紅、石井航、Thomas W. Bradbury、長嶋宏樹、Alistair Inglis、青山佳敬、西山裕介、浅田瑞枝、中村敏和、前田公憲、小堀康博、Jenny Clark*、Sam L. Bayliss*、楊井伸浩* DOI 10.1021/jacs.6c12867
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST(課題番号: JPMJCR23I6)、同 先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)(課題番号: JPMJAP2423)、同 戦略的創造研究推進事業 さきがけ(課題番号: JPMJPR24F7)、文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラムQ-LEAP(課題番号:JPMXS0120330644)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費(課題番号:JP23H00304, JP26H00377, JP25KJ0746, JP25KJ0747, JP23K17662)、UK Research and Innovation(UKRI)(課題番号: MR/W006928/1, EP/T012455/1, EP/L022613/1, UKRI2572, CASE studentship 2888858)の支援により実施されました。
用語解説
注1 多孔性金属錯体(Metal-organic frameworks; MOFs)
金属イオンと有機配位子が配位結合して形成された結晶性の高分子です。金属イオンや配位子の長さ・構造を変化させることで様々な結晶構造をつくることができます。多孔性材料のため内部に他の分子を吸着させることができます。ガス吸着や触媒の分野で幅広く研究されてきましたが、近年では量子化学分野でも注目されています。 ↑
注2 励起三重項
光を吸収した分子の中で二つの電子スピンがそろった励起状態のことです。励起三重項の電子スピンは量子ビットとして利用できる可能性があります。励起三重項状態はゼロ磁場においても少しずつエネルギーの異なる三つの準位を持ち、その中の特定の準位にスピンが多く占有されています。 ↑
注3 量子センシング
量子ビットの重ね合わせやもつれといった量子効果を利用したセンシング手法のことを指します。重ね合わせやもつれ状態は外部環境に対して非常に敏感なため、従来のセンシングよりも高感度な検出が可能になると期待されています。電子スピンは量子ビットとして利用することができるため、有機分子やそれらを配位子として組み込んだ MOF による量子センシングができます。 ↑
注4 光検出磁気共鳴(Optically detected magnetic resonance; ODMR)
光によって電子スピンを検出する手法です。電子スピンにマイクロ波を照射した際のスピン状態の変化を、発光や吸収の強度変化として検出します。検出にエネルギーの高い光を利用することで、検出感度と空間分解能が高いという特徴を持ちます。 ↑
注5 ポルフィリン誘導体
ポルフィリンは生体内で重要な役割を担う物質の基本骨格のことです。本研究では中心に金属イオンが配位していないフリーベースポルフィリン骨格を持つ分子を MOF の配位子として利用しています。 ↑
注6 電子スピン共鳴(Electron spin resonance; ESR)
磁場中でエネルギー分裂した電子スピンに対してマイクロ波を照射した際の共鳴現象を利用した測定法です。励起三重項スピンの場合、ESR スペクトルからゼロ磁場におけるエネルギー準位の分裂を計算することができます。また、極めて短い時間マイクロ波を照射するパルス ESR 測定ではスピンの緩和時間をはじめとしたダイナミクスについて評価することができます。 ↑
注7 時間分解発光(Time-resolved photoluminescence; TRPL)
物質を極めて短い時間の励起光(パルスレーザー)で励起した後の発光強度の時間変化を測定する手法です。励起状態のダイナミクスについて情報を得ることができます。 ↑
注8 電子線回折
透過型電子顕微鏡を利用した電子線を物質に照射することで結晶構造を調べる手法です。比較的小さな結晶サイズの試料であっても測定することができます。 ↑
注9 三重項―三重項消滅(Triplet-triplet annihilation; TTA)
二つの励起三重項状態が衝突することで起きるエネルギー移動現象のことです。片方の分子にエネルギーを伝達し、もう片方の分子は基底状態に戻ります。衝突の確率は励起光強度に依存します。 ↑
注10 スピン―スピン緩和時間 (T2)
極めて短い時間マイクロ波(マイクロ波パルス)を照射されたスピンの外部磁場と垂直な成分が、スピン同士でエネルギーを交換しながら完全にランダムな状態になるまでの時間を表します。電子スピンを用いた量子ビットでは、この時間が量子ビットの重ね合わせ状態の保持時間に相当します。 ↑

