DATE2026.05.27 #Press Releases
海洋生態系鉄循環における動物プランクトンの役割
-種別鉄安定同位体比が拓く海洋食物網の新たな描像―
発表のポイント
- 動物プランクトン種別の鉄安定同位体比を世界で初めて計測
- プランクトンネットで採集される粒子全体とは異なる化学的情報を取得
- 外洋の生物生産性を支配する鉄について、食物連鎖を介した動態の理解を大きく前進
概要
北海道大学獣医学研究科の長谷川菜々子博士(東京大学大学院理学系研究科で博士号を取得)、東京大学大学院理学系研究科の板井啓明准教授、高橋嘉夫教授、同大学大気海洋研究所の栗栖美菜子講師、同大学大学院農学生命科学研究科の高橋一生教授、児玉武稔准教授らによる研究グループは、外洋における海洋生態系の鉄循環における動物プランクトンの役割について、鉄安定同位体比(注1) を用いて明らかにしました。
本研究では、先行研究で計測例が乏しかった動物プランクトンの鉄安定同位体比について、ダブルスパイク法を用いた微量安定同位体比分析法を応用し、プランクトン種別の鉄濃度と鉄安定同位体比を世界で初めて観測しました。先行研究では、プランクトンネットで採取されたバルク試料(注2) を用いて鉄動態が議論されてきましたが、本研究の結果から、種別に分離された動物プランクトンの鉄要求量はバルク試料より低く、さらに顕著に低い鉄安定同位体比を持つことが示されました(図1)。外洋の生物一次生産(注3) はしばしば鉄制限(注4) されることが指摘されてきましたが、今回の研究成果から、海水と魚類を結ぶ鉄の動態に関して、重要な道筋を得ることができました。

図1:ネット採集試料(バルク)と種別動物プランクトンの鉄安定同位体比(δ56Fe)の違い
発表内容
海洋における生物生産性の変化は、地球規模の炭素循環に影響を及ぼす重要な生物地球化学過程です。外洋域では、しばしば鉄の供給が一次生産を支配することが指摘されてきました。しかし、生態系へ供給された希少な鉄が、食物網を通じて高次栄養段階へ転送される過程には、不明な点が多く残されています。発表者らはこれまでに、広範な海洋生物の鉄安定同位体比を計測し、海水に対して顕著に低い値を示すことを報告してきました(図2)。この低下は、摂食に伴う鉄吸収過程を反映していると推定されています。特に、マイワシやニシンなどの小型浮魚で低い同位体比が認められていますが、この同位体比低下が食物連鎖のどの段階で生じるかを議論する上で、動物プランクトンのデータが不足していました。
先行研究における動物プランクトンの鉄安定同位体比は海水に近い値を示していましたが、これらはプランクトンネットで採取された粒子全体(バルク試料)を用いた計測値でした。バルク試料には様々な動物プランクトン種が混在することに加え、非生物粒子の混入も避けられないため、生体内に取り込まれた鉄の同位体比や種間差を十分に評価できていませんでした。動物プランクトンはソーティングによってある程度種別に分離可能ですが、分析に使用できる鉄量は大きく減少します。そこで本研究では、同位体ダブルスパイク法を用いて微量鉄の安定同位体比分析が可能な条件を整備し、種別試料の鉄安定同位体比を計測しました。
その結果、バルク試料と種別に分離した試料との間には、鉄濃度および鉄安定同位体比に明瞭な差が認められました。種別試料では、バルク試料に比べて鉄濃度が低く、鉄安定同位体比も低い値を示しました。また、マグロなどの大型回遊魚が小型浮魚より高い鉄安定同位体比を示す理由について、動物プランクトンの糞粒子や死骸に由来する鉄が寄与している可能性が示唆されました。
本研究の成果により、高次捕食者への鉄の転送過程における動物プランクトンの仲介的役割が明確になるとともに、濃度情報だけでは限界のあった定量的解析への道筋が示されました。

図2:海洋動物組織(脊椎動物は筋肉)中の鉄安定同位体比(δ56Fe)の比較
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻
長谷川 菜々子 博士 (研究当時博士課程学生、現北海道大学特任助教)
板井 啓明 准教授
高橋 嘉夫 教授
平山 耕太郎(研究当時修士課程学生)
大気海洋研究所
栗栖 美菜子 講師
大学院農学生命科学研究科
高橋 一生 教授
児玉 武稔 准教授
海洋研究開発機構
物質地球科学研究部門 海底資源研究プログラム
柏原 輝彦 主任研究員
伊地知 雄太 准研究員
論文情報
| 雑誌名 | ACS ES&T Water |
|---|---|
| 論文タイトル |
Bulk Net Zooplankton Samples Mask Species-specific Iron Isotope Signatures
|
| 著者 | Nanako Hasegawa, Minako Kurisu, Kazutaka Takahashi, Taketoshi Kodama, Kotaro Hirayama, Yuta Ijichi, Teruhiko Kashiwabara, Yoshio Takahashi, Takaaki Itai |
| DOI | 10.1021/acsestwater.5c01137 |
研究助成
本研究は、科研費「基盤研究B(課題番号:21H03585)」、「挑戦的萌芽(課題番号:24K21882)」、「特別研究員奨励費(課題番号:24KJ0002)」、「アサヒグループ財団学術研究助成(2025年度環境・サステイナビリティ部門)」の支援により実施されました。
用語解説
注1 鉄安定同位体比
鉄にはわずかに重さの異なる複数の安定同位体(質量数54, 56, 57, 58)が存在し、これらの相対比率を精密化学計測により決定すると、鉄の供給源や化学変化の履歴を解析することができる。↑
注2 バルク試料
プランクトンネット(目合い300 μm)で採取された粒子全体をまとめた試料のこと。↑
注3 生物一次生産
主に植物プランクトンが、光合成によって二酸化炭素から有機物を生産する過程。↑
注4 鉄制限
海洋に窒素やリンが豊富に存在していても、微量元素である鉄が不足することで、植物プランクトンの増殖が抑制される現象。特に外洋域で重要な現象として知られる。↑

