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Press Releases

DATE2025.12.04 #Press Releases

電流による反強磁性体の超高速磁化スイッチングを時間分解イメージング測定で可視化

ーノンコリニア反強磁性体の100ピコ秒級の高速反転過程を解明ー

発表のポイント

  • 100ピコ秒級の電流パルスによる高速な磁化反転過程をノンコリニア反強磁性体で観測した。
  • 電流密度に応じて反転の熱的・非熱的起源が切り替わることを時間分解測定で明確に示した。
  • 反強磁性体の超高速スピントロニクスメモリ応用に向けた重要な知見となる。


高速電流パルスによる反強磁性体Mn₃Snの磁化制御の概念図


発表概要

東京大学大学院理学系研究科の小川和馬大学院生、Tsai Hanshen特任助教、中辻知教授(物性研究所・トランススケール量子科学国際連携研究機構兼任)、同大学低温科学研究センターの島野亮教授(大学院理学系研究科・ランススケール量子科学国際連携研究機構兼任)らのグループは、ワイル半金属(注1)として知られるノンコリニア反強磁性体(注2)Mn₃Sn薄膜(マンガン(Mn)とスズ(Sn)から成る薄膜)を対象に、100ピコ秒(ps、ピコは1兆分の1)級の短い電流パルスによって誘起される磁化反転のダイナミクスの機構を時間分解磁気光学カー効果イメージング(注3)によって明らかにしました。

時間分解観測の結果、磁化反転の過程が電流密度によって大きく異なることが判明しました。高電流密度ではジュール熱(導体に電流を通した際に生じる熱)による反強磁性の秩序の融解を介した熱的反転が支配的である一方、低電流密度では磁気秩序を維持したままスピン軌道トルク(注4)により駆動される高速な非熱的反転を観測することに成功しました。本成果は、高周波のテラヘルツ帯で動作するメモリやロジック素子など、反強磁性体の超高速スピントロニクス(注5)への応用に向けて有用な指針を与えます。

発表内容

1.研究の背景と経緯
反強磁性体は、自発磁化を持たないため微細化したときの漏れ磁場の影響が小さいことや、スピンの応答速度が速いことから、次世代の高速スピントロニクス材料として注目されています。中でもMn₃Snは、ノンコリニア反強磁性秩序と巨大な異常ホール効果を併せ持つワイル半金属として、近年特に活発に研究が進められています。Mn₃Snはミクロな磁気双極子モーメントの総和である磁化は持ちませんが、高次のモーメントである磁気八極子(注2)の総和はゼロでない値を持ちます。近年、この磁気八極子(以下、磁化と呼ぶ)を電流で反転できることが示され、超高速動作が可能な新しい磁気メモリ材料への応用に高い関心が寄せられています。しかし、これまで同物質の電流による磁化反転過程を1ナノ秒(ナノは10億分の1)以下の高速時間領域で時間分解して観測した例はありませんでした。また、その反転メカニズムについても未解明な点が多く、電流パルスによる反転がジュール熱による磁気秩序の融解を経て起こるのか、あるいは磁気秩序を保ったままスピンが回転して生じるのかについて議論が続いていました。本研究では、フェムト秒レーザー(注6)を用いた高感度の時間分解磁気光学カー効果イメージング技術を開発し、100 ps級の磁化反転ダイナミクスを直接可視化することで、この疑問の解明に挑みました。

2.研究の内容・成果
研究グループは、スパッタ法(注7)を用いて厚さ14 nmの多結晶Mn₃Sn薄膜の上に5 nmのタンタル(Ta)膜を形成し、リソグラフィによりホールバー型デバイスを作製しました。パルスジェネレーター、もしくは光電変換器を用いて、最短わずか140 ps(半値全幅)という短い電流パルスをつくりMn₃Sn薄膜上に積層したタンタル層に注入し、フェムト秒レーザーを用いた時間分解磁気光学カー効果イメージング測定によってMn3Sn薄膜の磁化反転過程を直接観測しました(図1a)。空間分解能約1 μmの高精度測定により、多結晶膜における反転領域と未反転領域の応答を分離し、電流印加中の磁化分布の変化を可視化することを可能にしました(図1b)。


図1:(a)実験の模式図。光電変換器を用いて発生させた高速電流パルスをMn3Sn薄膜素子に流し磁化(磁気八極子)が反転する様子を磁気光学顕微鏡で観察する。 (b)570 psの電流パルスをMn3Sn薄膜デバイスに注入したときの時間分解磁気光学像。赤い領域が磁化反転領域に対応する。黒い点線はデバイスの縁、スケールバーは4 µm。

電流によって磁化が反転する領域(図1(a)において紫色で示す部分の下にあるMn3Sn薄膜の領域)に着目し、そこでの磁気光学応答の時間発展を詳細に調べたところ、高速な磁化反転過程を高い時間分解能で測定することに成功しました。解析の結果、適切な電流密度では磁気秩序が融解することなく、電流パルスに追随して高速に反転する非熱的反転過程が明らかになりました(図2a,b)。また、より高い電流密度では、電流パルス中に磁気光学応答が一時的にゼロとなる値で停滞し、パルス終盤で反転が生じる熱的反転に特徴的な挙動が確認されました。これらの結果により、磁化反転の機構が電流密度によって熱的過程と非熱的過程にわかれることを明確に示しました。

図2:(a)光電変換器を用いて発生した140 psの電流パルスの波形と、(b)誘起された磁化反転のダイナミクス。信号は、直流電流反転時の信号で規格化されている。電流パルスに追随して磁化が反転していくことがわかる。

Mn₃Snのようなノンコリニア反強磁性体における非熱的反転は、隣接する重金属層(タンタルなど)から注入されるスピンがもたらすトルクによりマンガンのスピンがカゴメ面内で回転する機構によって生じると考えられています。今回観測された非熱的反転ダイナミクスは、確かに磁化がスピンの回転を伴って反転していることを示しています。さらに反転過程の磁場依存性を調べたところ、その振る舞いもスピンの回転の描像でよく説明できることが明らかになりました。

3.波及効果、今後の展開
今回の実験は、反強磁性体を用いた超高速スピントロニクス素子の動作原理を実証したもので、磁性体の電流による不揮発的な書き込みを超高速のピコ秒時間領域へと拡張できる可能性を示した成果です。科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業において推進されているスピントロニクスと光電技術の融合デバイス開発に対し、本研究はその中核を担うワイル反強磁性体 Mn3Snの電流パルスによる100ピコ秒級の超高速の非熱的な磁化書き込みとそのダイナミクスを初めて明らかにしたものであり、本物質を用いた研究推進に大きく貢献することが期待されます。今後、単結晶デバイスやナノパターン構造への応用を通じて、より高速かつ低電流密度での磁化制御の実現が見込まれ、将来的にはテラヘルツ帯で動作するメモリやロジック素子の開発につながることが期待されます。

発表者・研究者等情報

東京大学
  大学院理学系研究科 物理学専攻
  小川 和馬 博士課程学生
       Tsai Hanshen 特任助教
       吉川 尚孝 助教
  松尾 拓海 博士課程学生
      兼:ジョンズ・ホプキンス大学 博士課程学生
        対馬 湧太郎 博士課程学生
        朝倉 海寛 博士課程学生
        Hanyi Peng 研究当時 修士課程学生
  松田 拓也 研究当時 特任助教
    現:大阪大学 大学院基礎工学研究科 助教
       肥後 友也 研究当時 特任准教授
       現:慶応義塾大学 理工学部 電気情報工学科 准教授
       中辻 知 教授
    兼:同大学 物性研究所 特任教授
       兼:同大学 トランススケール量子科学国際連携研究機構 機構長
       兼:ジョンズ・ホプキンス大学 Research Professor

 低温科学研究センター 研究開発部門
       島野 亮 教授
     兼:同大学 大学院理学系研究科 物理学専攻 教授
     兼:同大学 トランススケール量子科学国際連携研究機構 教授

関連リンク

科学技術振興機構(JST)東京大学トランススケール量子科学国際連携研究機構東京大学低温科学研究センター

論文情報

雑誌名 Nature Materials
論文タイトル
Ultrafast time-resolved observation of non-thermal current-induced switching in an antiferromagnetic Weyl semimetal
著者 Kazuma Ogawa*, Hanshen Tsai, Naotaka Yoshikawa, Takumi Matsuo, Yutaro Tsushima, Mihiro Asakura, Hanyi Peng, Takuya Matsuda, Tomoya Higo, Satoru Nakatsuji, and Ryo Shimano*(*責任著者)
DOI番号 10.1038/s41563-025-02402-8

研究助成

本研究は、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業 大規模プロジェクト型「スピントロニクス光電インターフェースの基盤技術の創成」(課題番号:JPMJMI20A1)の支援により実施されました。

用語解説

注1  ワイル半金属
電子があたかも質量ゼロの粒子(ワイル粒子)のように振る舞う特殊な半金属です。この電子にはカイラリティ(掌性)と呼ばれる性質があり、スピンの向きと運動方向の相対的な関係で特徴づけられます。エネルギーゼロのワイル粒子の状態は運動量空間で点となり、仮想的な磁束の湧き出しと吸い込みの源となります。特に時間反転対称性が破れた磁性ワイル半金属では、この特異な電子状態が電気や磁気の応答に大きな影響を与えます。例えば、ワイル点を源とする大きな仮想磁場の影響により異常ホール効果などが増強されることがあり、電気と磁気が絡む新しい現象や非散逸な伝導特性を示すことが期待されています。このような特性から、次世代デバイスや超高速スピントロニクスへの応用が注目されています。

注2  ノンコリニア反強磁性体、磁気八極子
一般的に、すべての磁気モーメント(スピン)が同じ方向にそろい、スピンの総和によるネット磁化を持つ磁性体を強磁性体と呼びます。これに対し、隣接するスピンが互いに逆向きに並ぶ磁性体をコリニア(共線)反強磁性体と呼び、ネット磁化はほぼゼロになります。一方、Mn₃Snのように、スピンが単純に反対方向に並ぶのではなく、互いに非共線に配列し(すべてが同じ方向に並ばない)、ネット磁化がほぼゼロであるものをノンコリニア反強磁性体と呼びます。Mn₃Snのノンコリニアな反強磁性磁気秩序は時間反転対称性を破っており、その向きはクラスター磁気八極子というパラメータで表されます。この磁気秩序は、強磁性体の磁化と同様の対称性を持っています。

注3  磁気光学カー効果イメージング
直線偏光の光を磁性体に照射すると磁化の影響で透過光や反射光の偏光面が回転します。この現象は磁気光学ファラデー効果(透過の場合)や磁気光学カー効果(反射の場合)と呼ばれます。磁気光学イメージングは磁化による光の偏光の変化(磁気光学効果)を試料表面で2次元的に測定することで、磁化の空間分布を光学的に可視化する技術です。光の特性を活かし、磁化ドメインの非接触観察や超高速の時間領域での磁化の変化の観察に用いることができます。

注4  スピン軌道トルク
主に白金やタンタルなどの重金属では、電流の流れをスピンの流れ(スピン流)に変換し、隣接する磁性体にスピンを注入することで、磁性体内部のスピンを回転させる力のモーメント(トルク)が生じます。このトルクにより、磁化の歳差運動や反転、磁壁の移動などを制御することが可能です。

注5  スピントロニクス
電子の持つ電荷だけでなく、スピンという性質も利用して情報を処理・記録する技術です。従来の電子デバイスは電子の電荷の流れを主に利用していましたが、スピントロニクスでは電子のスピンの向きや流れを制御することで、より高速で省エネルギーな情報処理や不揮発メモリの実現が期待されています。

注6  フェムト秒レーザー
パルス幅が数〜数百フェムト秒(フェムトは1000兆分の1)程度の超短パルス光を発生するレーザー。固体物質中で起こる電子やスピンの超高速なダイナミクスの観測、化学反応素過程での分子の超高速の運動の観測など広く科学研究に用いられます。高精度のレーザー加工用光源や光の周波数を極めて高精度に決定する光周波数コム技術などへの応用も広がっています。

注7  スパッタ法
薄膜や多層膜構造を作製するときに広く用いられる成膜手法の一つで、プラズマ中でターゲット材料の原子を叩き出して基板上に堆積させます。磁性材料薄膜などを用いたデバイスの量産プロセスにも活用されています。