DATE2025.09.04 #Press Releases
クシを失うクシクラゲにおける、櫛板の退縮機構
―昭和天皇の発見した深海性クシクラゲから紐解く生活史―
発表のポイント
- コトクラゲという深海性、底生性のクシクラゲにおいて、クシクラゲ類に共通する運動器官である櫛板が退縮し、底生性の生態に適応した形態となる過程を明らかにした。
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カブトクラゲやウリクラゲなどクシクラゲの仲間(有櫛動物)の大半は繊毛の束である櫛板を利用して遊泳するという特徴を示すが、コトクラゲではプランクトン性の幼生期に見られる櫛板が着底までに完全に退縮し、遊泳能力を喪失する。コトクラゲ幼生における櫛板の発達過程を調べることで、櫛板の成長から退縮への切り替えが幼生のふ化後の発生過程において起こることが明らかになった。
- 本研究により、昭和天皇が発見したことで昔から知られるものの、生活史についての知見は非常に少ない深海性のコトクラゲについて、詳細な発達過程の知見が得られた。今後、独特な底生性のライフスタイルの獲得過程の解明にもつながることが期待される。

コトクラゲにおける櫛板の成長と退縮
発表概要
東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所の三浦徹教授、金原僚亮大学院生(当時)、幸塚久典技術専門職員、アクアマリンふくしまの山内信弥学芸員による研究グループは、昭和天皇が発見したことで知られるコトクラゲというクシクラゲの仲間(有櫛動物、注1 ) を用いて、幼生の櫛板が成長、退縮する過程を明らかにしました。
一般的にクシクラゲは、「櫛板(しつばん)」と呼ばれる多数の繊毛(注2) からなる構造を持ち、遊泳に用います。コトクラゲの幼生にも櫛板が見られますが、底生性(注3) となる成体では完全に失われ、その発生過程や退縮の仕組みは未解明でした。本研究においてふ化後の異なる時期の幼生を組織学的に観察した結果、櫛板の成長と退縮を切り替え、着底に先立って櫛板を消失する仕組みの獲得が、本種の独特な生活史の進化に深く関与していることが示唆されました。今後こうした現象の背景にある分子機構やその他のクシクラゲとの発生過程の比較により、クシクラゲにおける底生性の特殊な生態の進化について理解が深まることが期待されます。

図1:コトクラゲ幼生における櫛板列の退縮
櫛板列を含む面で組織切片を作成し、観察を行った結果、ふ化直後は発達した櫛板が列を成しているのに対し、着底時期が近づいたふ化後50日以上の個体になると列数が減少し櫛板列が退縮している様子が観察されました。
発表内容
〈研究の背景〉
クシクラゲは、ゼラチン質の体を持ちその名の通りいわゆるクラゲ(刺胞動物)と似た見た目をしていますが、刺胞のない有櫛動物に属する動物であり、大きな特徴として、「櫛板(しつばん)」と呼ばれる多数の繊毛からなる構造を持ちます。ウリクラゲなど有櫛動物に属する種の多くは櫛板を用いて遊泳しますが、クシヒラムシ目(注4) の仲間はクシクラゲの中でも特異な底生性の生態を示します。この分類群の大半の種において、浮遊性の幼生で見られる櫛板が幼生の成長過程で消失し、成体では櫛板が見られません。しかし幼生において、ふ化後すぐに櫛板が退縮するのか、または幼生の成長に伴い櫛板の成長も一定期間維持されるのかなど、櫛板の詳細な発達・退縮のメカニズムは全くわかっていませんでした。
〈研究の内容〉
そこで本研究では、クシヒラムシ目に属し、近年深海からの採集と水族館における飼育系の確立が進むコトクラゲ Lyrocteis imperatorisに着目しました。ふ化直後から着底まで、異なる日齢の幼生における櫛板の組織学的な観察、および体長と櫛板サイズの計測を行った結果、体長に対する櫛板の相対的な大きさは減少し続けるものの、櫛板サイズの絶対値はふ化後30日程度にかけて増加し、その後減少するということが明らかになりました。これより、櫛板の成長が続く間は遊泳能力の減少が緩やかになり、幼生は拡散能力を維持できると考えられます。そして、成長から退縮に転じると遊泳能力は大きく下がり、着底後の生活に適した形態の発達が進むと推察されました。このようにコトクラゲの幼生期は大きく二つのフェーズに分けられ、櫛板の成長を停止させる仕組みと、退縮を促進する仕組みの獲得が、特殊な底生性の生態の進化に大きく関わることが示唆されました。
〈研究の展望〉
クシヒラムシ目の中では幼生が着底した後に櫛板を消失する種もみられ、近縁なグループの間でも櫛板の発達・退縮のプロセスは異なると考えられます。このような発生過程の異なる種間で形態形成過程やその背景にある遺伝子発現などの分子機構を比較することで、どのような発生メカニズムの変化を経て、クシクラゲにおける底生性の特殊な生態が進化したのか、その道筋への理解が深まることが期待されます。
図2 :櫛板列サイズの計測と日齢による大きさの変化
組織切片画像をもとに櫛板列の概形を楕円近似し、その長径、短径を計測しました。日齢ごとにその大きさを比較したところ、30日齢前後が最大となり、ふ化後しばらくの間成長した櫛板はその後退縮しサイズも減少していくことが示されました。
発表者・研究者等情報
東京大学大学院理学系研究科 附属臨海実験所
金原 僚亮 研究当時:博士課程
現:沖縄科学技術大学院大学 リサーチフェロー
幸塚 久典 技術専門職員
三浦 徹 教授
公益財団法人ふくしま海洋科学館 (アクアマリンふくしま)
山内 信弥 学芸員
関連リンク
論文情報
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雑誌名 Zoological Science 論文タイトル Degeneration of comb plates during larval stages in a sessile platyctenid ctenophore, Lyrocteis imperatoris (Ctenophore, Platyctenida)著者 Ryosuke Kimbara, Shinya Yamauchi, Hisanori Kohtsuka, and Toru Miura*
(*責任著者)DOI番号 10.2108/zs240104
研究助成
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(課題番号:18H04006、21K18240、三浦徹)の支援により実施されました。
用語解説
注1 有櫛動物
一般にクシクラゲとも呼ばれる有櫛動物門に属する生物。名前の通りクラゲに似たゼラチン質の体を持つが、刺胞動物門というグループに属するクラゲとは異なり刺胞を持たない。四対八列の櫛板を用いて遊泳する、一対の触手を用いて捕食行動を行うなどの特徴が広く見られる。↑
注2 繊毛
細胞から突出する、毛状の構造。繊毛の運動は、細胞の移動や水流の発生など様々な機能を担っている。↑
注3 底生性
水域において、ほぼ常時水底に着いたままで生活する性質。水底にある岩や藻類などに固着して生活するものも含め、このような生物の総称を底生生物という。↑
注4 クシヒラムシ目
底生性の生態を示すクシクラゲの一系統。多くの種が平たい形状を示す。海藻や海綿、八放サンゴなど、他の生物に付着して生活するものも多く見られる。↑

