DATE2024.09.06 #Press Releases
水素で作る抗アルツハイマー薬
――副産物は水のみ。未来の医薬品生産へ――
発表のポイント
- 水素を主な反応試剤に用いる抗アルツハイマー薬の連続合成を実現した。
- 複雑な構造を持つ高機能化学品が、水素による分子変換によって連続合成できた。
- 化石資源からの脱却が求められる中、エネルギーとして注目される水素の化学原料としてさらなる活用が促進され、低環境負荷な化学品製造が発展すると期待される。
ドネペジル連続合成装置
発表概要
東京大学大学院理学系研究科化学専攻の小林修教授と、同研究科の石谷暖郎特任教授らによる研究グループは、水素を使う化学変換を基軸とする環境調和型化学品生産のコンセプトを、抗アルツハイマー薬ドネペジルの連続合成で実証しました。
化学品を製造する際には、多くの反応試剤が使用され、その大部分は共生成物(注1)として廃棄されます。本研究では、水素を反応試剤とする化学変換を駆使することで、複雑な構造を持つ医薬品の環境調和型の合成を実現しました。この合成は多段階の化学変換で成立しますが、排出されるのは水だけです。(図1)この研究成果を実例として、環境低負荷型化学品製造がさらに発展すると期待されます。
図1:水素を反応剤とし、水のみが排出される医薬品の連続合成
発表内容
研究のコンセプト
「水素社会」は化石資源に依存しない持続的な社会の一つのあり方です。例えば燃料電池車では、水素は燃料ですが、化石燃料と異なりエネルギーを取り出す際に排出されるのは水です。このため、水素は低炭素(排出二酸化炭素ゼロ)社会のエネルギーのメインプレイヤーと捉えられています。ところで、私たちそのものでもある有機化合物は、炭素と水素の化合物なので、水素は有機物を構成する重要な要素、つまり有機化合物の原料の一つでもあります。化石資源に依存している現状の化学品製造では、炭素と水素を主構成要素とする原油から、酸素などを導入していく技術が重要です。一方、化石資源に依存することなく、バイオマス(注2)や二酸化炭素などをリニューアブルな炭素源とする循環型の化学品製造には、酸素の割合の多いバイオマスなどの炭素源に水素を導入し、望みの構造へと変換していくような化学反応体系へのパラダイムシフト(注3)が伴います。これらのことから、水素を原料とする有機化合物合成法は、水素社会の化学品製造の基幹であり今後さらに重要性が増すと考えられます。しかも水だけが排出されるような生産システムが構築できれば、まさに理想的な化学品生産法となります。
研究コンセプトの実証
本研究では、上記のようなコンセプトを実証するため、抗アルツハイマー薬の前駆体である「ドネペジル」の合成に取り組みました。上記のようなコンセプトは、より安価な原料からの出発が可能となるという新たな利点を副生しましたが、より高難度な触媒的化学変換が必要になりました。私たちは、高機能金属固定化触媒を開発し、連続フローシステム(注4)に取り込むことでそれを実現しました。さらに、この研究の最終目標は、複数の連続フローシステムを直列的に連結し、中間体や共生成物の取り出し・分離をせずに、原料から最終生成物までの変換を一つの流れの中で連結フローシステム(注5)を行うことです。これには多くの予期せぬ障壁が伴い、解決が必要となりましたが、適切な連続処理方法を組み合わせることで、理想的な化学品製造形態を構築することができました。これにより、適切な反応設計と、優れた触媒を駆使することで、水素を活用する環境調和型化学品製造のコンセプトを実証することができました。
図2:ドネペジルの連結・連続フロー合成
原料A、B、Cと、反応剤である水素を4つの触媒カラムリアクターに送液することで、最上流の原料がドネペジル(最終生成物)に中間操作を挟むことなく変換される。
論文情報
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雑誌名 Chemistry, A European Journal 論文タイトル Sequential-Flow Synthesis of Donepezil: A Green and Sustainable Strategy Featuring Heterogeneous Catalysis and Hydrogenation著者 Haruro Ishitani*, Hideyuki Sogo, Yuichi Furiya, Shu Kobayashi*
(*責任著者)DOI番号
研究助成
本研究は、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)・機能性化学品の連続精密生産プロセス技術の開発(課題番号:JPNP 19004)の一環として実施されました。
用語解説
注1 共生成物
化学反応における生成物のうち、主要生成物ではない原料や反応試剤に由来する生成物のことを指す。最終生成物までに複数の化学変換を要する場合には、通常反応後に後処理や精製・分離操作により排除され、目的物のみが次工程に使用される。↑
注2 バイオマス
一般には、再生可能な生物由来の有機性資源で、化石資源を除いたもの、と定義される。化学においては、主に植物から得られるセルロースやヘミセルロース、リグニンを指すことが多い。生物の成長過程で大気中から二酸化炭素を吸収するため、新たに二酸化炭素を増加させないカーボンニュートラルな資源である。化石資源と異なり、構造中に酸素を多く含む。↑
注3 パラダイムシフト
これまで当然と考えられていた常識や価値観が劇的に変化すること。斬新なアイデアにより社会や時代が大きく動く、と言う意味で使用される。↑
注4 連続フローシステム
原料、添加剤などを反応器の一方から投入すると同時に、反応器の一方から生成物を取り出す反応様式。すなわち、反応器としては、入り口(投入口)と出口(取り出し口)を備えており、この間を通過する際に反応が進行する。↑
注5 連結フローシステム
一つの化学変換を行う連続フローシステムを、直列的に連結し、多段階の化学変換を行うシステムを連結フローシステムと呼ぶ。特に、連結の流れを分断する作業を組み込むことなく一つの流れの中で完結させる必要がある。↑