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プレスリリース

DATE2022.07.21 #プレスリリース

多剤耐性菌感染症治療薬の活性を担う多量体構造の解明

 

中室 貴幸(化学専攻 特任准教授)

中村 栄一(化学専攻 特別教授/東京大学名誉教授)

 

発表のポイント

  • 抗生物質ダプトマイシンは多剤耐性菌(注1) 感染症治療の切り札である。その活性発現の鍵と想定されてきた分子集合体の動的挙動、また活性体とされる四量体の分子構造を明らかにした。
  • ダプトマイシンの多量体を釣り上げるために特に設計した「分子釣り針(注2) 」を用いて二、三、四量体を水溶液中から捕捉、ついでオングストローム・ミリ秒レベルの時空間分解能を持つ最新鋭電子顕微鏡を用いてその構造を決定した。
  • メチシリン耐性黄色ブドウ球菌が臨床上の大きな問題になっている。最も新しい薬剤であるダプトマイシンに対してさえ既に耐性菌が出現しているが、今回明らかにした多量体の分子構造を元にした新しい医薬の開発が期待される。

 

発表概要

東京大学大学院理学系研究科化学専攻の中村栄一特別教授、中室貴幸特任准教授らは、環状リポペプチド系抗菌薬であるダプトマイシンの生物活性発現の鍵と想定されてきた環状四量体(LC4)の分子構造を明らかにした。

耐性菌による感染症の原因の大部分はメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA,(注3) )である。最も新しい耐MRSA薬剤であるダプトマイシンにもすでに耐性菌が出現しているが、分子レベルでの作用機序が不明のため薬剤の改良を進めることが困難である。本研究では、ダプトマイシンの多量体を釣り上げるための「分子釣り針」で二、三、四量体を水溶液中から釣り上げ、ついで最新鋭の高速高分解能電子顕微鏡(注4) を用いてそれらの構造を決定した。四量体の真ん中に空孔があり、ここを通したカリウムイオン流出による脱分極といった作用機序を想起させる。本研究グループでは「分子釣り針」と「高速高分解能電子顕微鏡」を組み合わせて活用しさまざまな化学現象の解明に取り組んでおり、「映像分子科学」と呼ばれる新しい研究分野を展開している。

本研究成果は、米国化学会誌(Journal of the American Chemical Society:JACS)に掲載された。

 

発表内容

臨床現場での耐性菌感染症の多くがMRSAによるものである。ダプトマイシン(DP、製剤名:キュビシン)はこれまでの耐MRSA薬剤とは全く異なる分子構造を有しており、また独特の作用機序としてカルシウム依存的なグラム陽性菌細胞膜表面での凝集が活性発現の重要プロセスであると考えられている(図1)。細胞膜上で生成する分子構造についてはわかっておらず、より高い活性を持つ誘導体をつくり出すための薬学的研究はこれまで成果を挙げていない(図2)。


図1:想定されているDPの作用機序。グラム陽性菌の細胞膜表面でのオリゴマー化が重要であり、四量体や八量体、更に大きな多量体生成が提唱されてきた。

 


図2:カルシウムイオンによるDPの自己集合過程。赤色で示す構造が本研究で捕捉した分子種であり、点線部が反応点として利用したオルニチン(Orn6)である。

 

本研究グループでは、さまざまな分子の動的挙動を原子レベルの映像によって撮影するための「単分子原子分解能時間分解電子顕微鏡(SMART-EM)」法を開発してきた。その一つの手法が、カーボンナノチューブ(CNT(注5))の先端を化学修飾して「分子釣り針」を作り、標的とする分子を「釣り上げる」手法である。今回の研究では、共著者であるスイス連邦工科大学チューリッヒ校のJeffrey Bode教授と共同してダプトマイシン集合体の挙動を明らかにするために、1分子のダプトマイシンを「釣り針」として使う手法を開発した(図3)。


図3:分子釣り針のTEM像、シミュレーション、分子モデルをそれぞれ示す。スケールバーは1 ナノメートル。

 

ダプトマイシンの集合挙動を調べるために、まず古典的な分析手法である動的光散乱法を用いて、水溶液中に生じる集合体サイズのカルシウムイオン濃度依存性を調べた。すると、濃度の増加とともに、単量体から四量体へと段々とサイズが大きくなることが分かった。このことは予想通りとも言えるが、カルシウムイオンの濃度に関わらず二量体が常に存在する点が特徴的であり、二量体が特に安定である事を思わせる(図4)。


図4:動的光散乱法とSMART-EMの組み合わせにより、分子種の分布が推定できる。

 

続いて、前段で作った釣り針をダプトマイシンと塩化カルシウム水溶液に浸潤した。カルシウムイオンが多数のダプトマイシンを集合させる「糊」として作用して、CNTの上に多量体を釣り上げることができた。具体的にはダプトマイシンの持つ4つのカルボン酸残基(COOH,A1−A4)がカルシウム塩(COO−Ca−OCO)になって分子同士を結合したのである。全体で300ほどの多量体について電顕でその構造を決定し、SMART-EMにおける多量体の分布を決定した。注目すべき点は動的光散乱法と電顕観察法で求まった多量体の比が概ね一致することであり、五量体以上のサイズのものは観測されなかったことである(図4)。

釣り針で捕捉した集合体の動的挙動解析から、二量体の構造揺らぎ、三量体の直線構造(L3)を明らかにすることができた(図5)。また図2にも示したが、ダプトマイシンはカルシウム存在下で単量体から四量体の分子種を生成し、形に関しては直線状や環状体を生成する可能性がある。取得した分子映像を多角的に検証したところ、四量体に関しては環状のLC4が最もらしい構造であることが示唆された。従来想像の域をでなかったダプトマイシンの集合体の構造であるが、LC4の真ん中に空孔があり、ここを通したカリウムイオン流出による脱分極といった作用機序を想起させる(図6)。


図5:DP二量体、三量体、四量体の分子映像。詳細はQRコードを参照されたい。スケールバーは1 ナノメートル。

 


図6:DP四量体の構造解析。青色の構造は、計算的に求められた分子表面であり細孔が認められる。スケールバーは1 ナノメートル。

 

構造解析は科学研究における根幹である。本研究によって、ペプチドのような複雑な化合物に対しての構造解析法を提供しただけでなく、本質的に現象を解き明かすことができなかったペプチド集合挙動に対する分子レベルからの研究可能性を実証した。また従来法では得られなかった分子種の形状に対する生きた情報から、今後の医薬品設計や材料開発など多岐に渡る応用が期待できる。自己組織化現象を解析する上での新たなツールになるだけでなく、「分子を見る」という基礎的な事実に立脚した若者に対する科学の興味喚起に繋がると期待している。

 

本研究成果は、科学研究費補助金(課題番号:JP19H05459、JP21H01758、JP22K14704)、金森財団研究助成金の支援により得られたものである。本研究では、国際科学イノベーション拠点整備形成事業により導入され、東京大学分子ライフイノベーション機構により運営されている共用機器である原子分解能透過電子顕微鏡(日本電子株式会社製JEM-ARM200F)を利用した。

 

発表雑誌

雑誌名 Journal of the American Chemical Society (JACS)
論文タイトル Time-Resolved Atomistic Imaging and Statistical Analysis of Daptomycin Oligomers with and without Calcium Ions
著者 Takayuki Nakamuro*, Ko Kamei, Keyi Sun, Jeffrey Bode, Koji Harano, Eiichi Nakamura*
DOI番号

10.1021/jacs.2c03949

アブストラクトURL

https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.2c03949

 

用語解説

注1  多剤耐性菌

多剤耐性菌とは、作用機序の異なる2種類以上の抗菌薬に耐性を示す細菌のこと。健康なヒトではすぐに病気になるわけではないが、体の抵抗力が落ちている入院患者では、病原性の低い菌でも感染症を起こしやすく、さらにその菌が多剤耐性菌であると抗菌薬が効かず治療が困難であることから、医療現場では深刻な問題となっている。2000年以降、新しい機序の抗菌薬の開発はほとんど行われていないため、耐性菌に対する理解と拡大抑制は重要である。

注2  分子釣り針

カーボンナノチューブ(注5)の表面を合成化学的に修飾し、観察対象の単分子を選択的に捕捉するために必須の技術。プレスリリース「化学反応における微量中間体の直接構造解析に成功」(2019/08/23)を参照。

注3  メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)

代表的な耐性菌の一つであり、医療施設で検出される黄色ブドウ球菌の約半数がMRSAといわれている。2011年に我が国で臨床使用されるようになったダプトマイシンは菌血症や感染性心内膜炎の第一選択薬として利用されている。「MRSA感染症の治療ガイドライン 改訂版2019(MRSA感染症の治療ガイドライン作成委員会編)」を参照。

注4  高速高分解能電子顕微鏡

原子1つ1つを区別して観察可能な性能を持つ透過電子顕微鏡。透過電子顕微鏡は光より波長の短い電子線を用いる顕微鏡で、物質を透過してきた電子線により像を結ぶことによって物質の形状を視覚的に知ることができる。近年の収差補正技術とカメラの進歩により、有機材料の観察に適した低加速電圧を用いた電子顕微鏡においても原子分解能でかつサブミリ秒の時間分解能での撮影が可能になった。

注5  カーボンナノチューブ(CNT)

飯島澄男教授が1991年に発見した、ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。炭素単層からなるグラフェンシートが直径1ナノ(10億分の1)メートルから数ナノメートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。カーボンナノチューブはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として注目されている。