河野 優(神奈川大学 助教)*
マリモ(淡水生の糸状体緑藻,学名:Aegagropila linnaei)の生活形は,岩などに付着した着生型,水中を漂う浮遊型,そして糸状体が絡まって球状となる集合型をとる。北海道東部に位置する阿寒湖チュウルイ湾は,球状集合型マリモが群生していることで知られている。以前は世界中の多くの湖沼で集合型マリモの生育が確認されていたが,1900年代以降の生育環境の変化により,その多くが消失もしくは減少してしまった。中でも,最大直径30 cmに及ぶ巨大なマリモが観察されるのは世界でも阿寒湖だけであり,その希少性と保護の観点から,国の特別天然記念物に指定されている。
阿寒湖では,冬期の水温は1−4℃にまで低下し,結氷と積雪により太陽光は水中にほとんど届かない。近年,地球規模の環境変化の影響で,阿寒湖の結氷期間が短縮傾向にあり,マリモへの影響が懸念されている。今後,温暖化により冬期の結氷が失われた場合,水中に直接入射する太陽光により光強度は上昇する一方,結氷による断熱効果が失われた湖水の温度は比較的低温のまま維持されると予想される。低温下での強光曝露は,細胞にとって危険な活性酸素の生成を促す。この活性酸素がたくさん生成されてしまうと,光合成系を損傷する可能性がある。しかし,マリモの光合成に着目した研究は少なく,マリモの年間を通した基本的な光合成の動態すら不明な点は多い。今回われわれは,結氷の消失がマリモの光合成系に与える影響を調べるため,低温下の光合成の実態解明に取り組んだ。
阿寒湖が結氷している3月のある晴れた日に,氷に約3 m四方の穴を開けて,マリモ群落直上の水温と光強度を測定した。この結果をもとに,文化庁の許可を得て採集したマリモを用いて検証実験を行った。マリモを水温2℃で強光にさらしたところ,光合成は短時間の照射で容易に阻害されたが,この後に比較的弱い光を当てることで元のレベルまで速やかに回復した。これまで,光合成系が損傷すると低温下では修復されにくいとされていたことから,マリモには低温ではたらく未知の修復機構が存在することが示された。一方,マリモを結氷消失後の生息地で予想される疑似自然光環境下に置いたところ,枯死してしまった。
マリモは,低温・強光の環境に一定時間は耐えられるが,結氷が失われ場合に予想される長時間の低温・強光には耐えられないことが明らかになった。結氷がマリモの生存に重要であることを示唆した本研究は,湖沼の生物への温暖化の影響に警鐘を鳴らすものである。
本研究はA. Obara et al., Int. J. Mol. Sci. 24 (1) , 60(2023)に掲載された。
*元・生物科学専攻 特任助教(研究当時)