繊維の網を作って脱水ストレスから細胞を守る
國枝 武和(生物科学専攻 准教授)
クマムシは,外界の乾燥に伴って水を喪失し,最終的にほぼ完全に脱水した乾眠(anhydrobiosis)と呼ばれる状態になる。この乾眠状態では代謝反応の場となる水が存在しないため基本的に生命活動は停止しており,動きのない単なる物質の塊と捉えることもできる。単なる物質と違うのは,水を加えると数十分で生命活動を再開させることができる点である。つまり,「生命のような動的な状態」と「物質のような静的な状態」を自在に行き来できることを意味しており,乾眠したクマムシは「本来動的な生命」を「静的な物質」として扱うことができる極めて稀な機会を提供する。また,乾眠している間は生命の時が止まっており,乾眠期間の長短と関係なく活動状態の時間の総和が寿命に達すると死に至る。脱水耐性は水の喪失への適応というだけでなく,生命そのものやその時間進行についても示唆に富む現象といえよう。
このようなクマムシの脱水耐性には,クマムシ類だけが持つ特殊な非構造性タンパク質注が関与することが分かってきていたが,それらがどのように耐性に寄与するのかは謎のままだった。今回,私達は新たな耐性タンパク質を探す目的で,クマムシの中から脱水時に集合するものを探索したところ,期せずして以前私達が見つけていたカーズ(CAHS)という耐性タンパク質群を再発見した。このカーズタンパク質をヒト培養細胞に導入すると細胞の中に一様に拡散したが,細胞を高浸透圧ストレスに晒して緩やかな脱水を引き起こしたところカーズタンパク質が速やかに集合し多数の繊維からなるネットワーク状の構造体を構築することが明らかになった(図)。このような繊維ネットワークが形成された細胞は通常の細胞と比べて固くなり,細胞を収縮させる力への抵抗性が増していた。高浸透圧ストレスにさらされた細胞では,細胞内の水が緩やかに奪われることで体積が減少し生存率も低下していくが,カーズタンパク質を導入した細胞では体積の減少が抑制され細胞の生存も改善した。この繊維ネットワークの形成は可逆的でストレスを除くと元の一様な状態に分散したことから,カーズタンパク質は普段は細胞内をふらふらと漂っていて,必要が生じた場合のみ繊維ネットワークを形成して細胞を物理的に強化しストレスから守るという新しいメカニズムで耐性に寄与していることが分かった。クマムシの脱水耐性のメカニズムの解析を進めることで,将来的には任意の細胞を任意の時に乾燥して保存できるようになることが期待される。
図:クマムシの乾燥耐性(上段)とカーズタンパク質によるストレス依存の繊維ネットワーク形成(中下段)。中段は細胞内におけるカーズタンパク質(緑)の分布形態の写真で,脱水依存に細胞内に多数の繊維ネットワークを形成することが分かる(右)。青はDNA。下段は繊維ネットワーク形成とその役割についての模式図を示す |
本研究はA. Tanaka et al., PLOS Biology 20, e3001780(2022)に掲載された。
注:通常,タンパク質は特定の構造を取ることで機能を発揮するが,逆に決まった構造をとらずに機能するタンパク質群が見いだされ,非構造性タンパク質と呼ばれる