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理学部ニュース

幻の粒子が創る革新的スピントロニクス

 

中辻 知(物理学専攻 教授)

肥後 友也(物理学専攻 特任准教授)

 

イギリスの物理学者ポール・ディラックが量子論を相対論へ拡張するためにディラック方程式を考案したのは 1928 年。その翌年に,ドイツの数学者ヘルマン・ワイルは質量を持たないディラック粒子の解を見出した。これはワイル粒子とも呼ばれ,長らくニュートリノを記述する素粒子解として研究されてきた。しかし,東京大学の研究チームによるスーパーカミオカンデでの実験を機にニュートリノは質量を持つことが発見され,ワイル粒子は実際には存在しない,「幻の粒子」と思われてきた。そのワイル粒子が,近年,やはり東京大学のチームによって磁性体の中で発見された。その磁性体の名前は「反強磁性体」。これは磁石として馴染み深い強磁性体とは全く異なる性質を持つ。例えば,強磁性体は周りに磁力線を出すように磁化を持っているが,反強磁性体は磁化を持たない。

強磁性体は紀元前から羅針盤として利用されてきた。また,電磁誘導を利用したモータや発電に欠かせない物質である。最近では,スマートフォンのバッテリーを長持ちさせるための待機電力のいらない(不揮発性)メモリにも使われるようになってきている。一方で,反強磁性体は磁化を持たないので,誰もその存在に長らく気づかず,人類が初めてその存在を確認したのは約 70 年前。しかし,今,この反強磁性体が強磁性体よりも優秀なメモリ材料であるとして,全世界の科学者の熱い視線を集めている。周りに漏れ磁場を出さないので,メモリの細密化にベストなだけでなく,その動作速度も強磁幻の粒子が創る革新的スピントロニクス性体のメモリより 2 桁も早くなるという。

上述の磁性体で発見されたワイル粒子のおかげで,この磁化を持たない反強磁性状態は簡単に検出できるようになる。ワイル粒子は電子の持つ量子力学的位相の効果を巨視的に増強する性質を持ち,これが検出信号を通常よりも 100 倍から 1000 倍以上に大きくする。たとえば,強磁性体でしか見られなかった異常ホール効果が最近,反強磁性体でも検出できることが発見された。これはワイル粒子のおかげであるが,19 世紀の後半にホール効果が発見されて以来,実に 1 世紀を経ての快挙である。

このワイル粒子を持つ反強磁性体「ワイル反強磁性体」をメモリに使うためには,磁場でなく電流によって,反強磁性状態が示す 0 と 1 の二値の信号を完全に制御可能にする必要がある。これを世界で初めて,かつ,室温で実現したのが今回の成果である。電流で反強磁性状態の 0 と 1 の状態を完全に制御できることを示した本成果は,将来,10 ピコ秒程度でワイル粒子を制御し,情報演算を行うことが可能になることを意味している。

このように素粒子や宇宙分野の概念が物性物理で活躍し,新しい物性分野を切り拓こうとしている。さらに,それは,未来の応用技術の構築にもつながっている。

  図:ワイル反強磁性体 Mn3Sn 素子での電気的書き込み実験の概要図(a) ワイル反強磁性体 Mn3Sn と重金属 W からなる反転素子における電流でのワイル粒子対の分布とその電流制御の概要図。書き込み電流の向きを変えることで,W中で発生するスピン流が作るトルクの向きも変わり,Mn3Sn の反強磁性秩序とそれに対応したワイル粒子の対の向きが制御できる。その結果,ワイル粒子の作る 0 と 1 の情報に対応する検出信号を用いた書き込み・読み出しができる。(b) W/Mn3Sn 素子におけるホール電圧の磁場依存性。磁場依存性では外部磁場は膜面直方向に印加している。(c) W/Mn3Sn 素子におけるホール電圧の書き込み電流依存性。右側の縦軸が示す様に 100% の反転率を示している。(d) W/Mn3Sn 素子の反転実験時の磁気光学カー効果顕微鏡像。x方向に書き込み電流を流すことで磁気八極子偏極に対応して素子の全域が黒からグレーへと反転している。VHはホール電圧の読み出し端子。(i) と (ii) は図 (c) 中の (i) と (ii) での素子の観察像に対応

本研究成果は,T. Higo et al., Nature 607, 474 (2022) に掲載された。  

 

(2022年7月21日プレスリリース)

理学部ニュース2022年11月号掲載

 

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