遺伝子の命名 ——名前が科学に命を吹き込む

石井 健一(生物科学専攻 助教)

 

人は古来,多くのものに名前をつけてきた。食物や地形など暮らしに関わる事物を呼びわけ,子供やペットの名づけに思いを込める。生命科学の分野で研究に取り組んできた私は,ふとしたきっかけで遺伝子の命名の面白さに触れるようになった。

遺伝子とは,平たく言えば「生き物の体の部品を作るための設計図」である。動物,植物,バクテリアや古細菌などすべての生き物の体は,分子でできた小さな部品によって組み立てられている。各遺伝子が何かの拍子に壊れたり,増えたりすることによって,生き物の体つきや行動などが進化してきた。限られた遺伝子を器用に使い回す生物もいれば,たくさんの遺伝子を組み合わせることで環境に適応した生物もいる。

多種多様な遺伝子を区別するため,研究者たちはそのひとつひとつに名前をつけてきた。生物種ごとに命名規則や慣習があり,数字とアルファベットを組み合わせた実務的な名前もあれば,思わずくすりと笑ってしまうような,ユーモアあふれる名前もある。

例えば,細胞の分裂や増殖にかかわる遺伝子 musashi(ムサシ)。この遺伝子が壊れたキイロショウジョウバエでは,通常は1本生える毛が根本から2本に分かれるため,二刀流の剣豪・宮本武蔵になぞらえて命名された(命名者*当時:米ジョンズ・ホプキンス大(Johns Hopkins University)の博士研究員*・中村真氏(現・松山大准教授))。また,ミツバチの神経が興奮した時に活性化する遺伝子 kakusei(カクセイ)は,本学生物科学専攻の学生ら(命名者*当時:木矢剛智氏(現・金沢大准教授),國枝武和助教*(現・准教授),久保健雄教授)が発見・命名した。遺伝子の性質はしばしば複合的で,名前で表現できるのはそのごく一部だ。どの側面をどのような言葉で表現するか,各研究者の個性が表れる。

 

(左)musashi 遺伝子の命名は二刀流の剣豪,宮本武蔵にちなんだもの(右)遺伝子の発見・命名を題材とした妻との共著書「遺伝子命名物語」

坪子理美/石井健一 著 ISBN978-4-12-150742-6 中央公論新社(2021)

私が遺伝子の名づけに興味を持ったのは,米国での5年半のポスドク時代,遺伝学研究のツールとして100年以上の歴史があるキイロショウジョウバエを使い始めたことが縁だった。その関心はいつしか広がり,翻訳業をしている妻(生物科学専攻で博士号を取得)と共著で1冊の本を出すに至った。3年にわたる調査・執筆から浮かび上がってきたのは,遺伝子名に負けないほど個性豊かな研究内容と,研究者たちが歩む多様な道だ。米国留学中に所属研究室が突如解散となり,必死でたどり着いた職場で遺伝子命名に立ち会った研究者もいた。mahjong(麻雀)と名づけられたその遺伝子は,中国人と日本人の共同研究によって発見されたものだ。また,豆柿(マメガキ)の性別を決めるOGI(雄木),MeGI(雌木)という遺伝子は,イタリア,ベルギー,日本出身の共同研究者3名のプレゼン対決で名前が決まったという。新発見を目指して日々苦悩するなか,研究者同士の衝突や出会いから思いも寄らないユニークな名前が生まれることがある。

科学の世界では,新発見を世に伝える上で命名が大きな役割を果たす。未知の元素,未知の天体,未知の法則。本学理学部・理学系研究科にも,遺伝子に限らず多くの「命名物語」が秘められていることだろう。ひとりの研究者かつ教員として,未知のものを発見し,その発見を世に伝える科学の営みをこれからも支えていきたい。

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理学部ニュース2022年5月号掲載

 

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