なぜ宇宙のゆらぎはガウス分布に従うか?
横山 順一(ビッグバン宇宙国際研究センター 教授) |
私たちの暮らすマクロな世界では,ある時刻でボールの位置と速度を指定すれば,それがいつどこに到達するか,不定性なく予言できる。しかし,ミクロな世界で成り立つ量子論では,例えば電子のような粒子も波としての性質を持っている。波はボールのような塊と違って,一波長分の長さを見るか,一波長が通過するだけの時間をかけて観測してはじめて,そこにあるとわかる。つまり時間と空間の両方をピンポイントで指定することはできないのだ。その不定性こそがゆらぎの正体である。さらに,素粒子どうしの相互作用を表す場の量子論では,素粒子の存在数自体もゆらぎを持つことになる。このことは真空中であっても,仮想的な粒子が生まれたり,消えたり,ぶつかり合ったり,ほかの仮想粒子に変化したりする,ということを意味する。
インフレーションという急膨張によってすべての物質のエネルギーは急激に薄められてしまうので,宇宙は実質的に真空状態になる。そのため,インフラトンの量子ゆらぎも,真空中でのゆらぎと同じ性質を持つことになる。場の量子論によると,真空中でほかの粒子とぶつかったり相互作用したりしない素粒子場のゆらぎは,ガウス統計にしたがうことが示されている。一方,インフラトンが真空にあっても,自分自身や他の素粒子場とぶつかり合ったりする相互作用の影響を取り入れると,ガウス分布からのズレが見られることになる。
逆に言うと,観測によってガウス分布からのズレが発見できれば,インフレーションの素粒子場がどんな相互作用をしていたか知ることができるのである。これは最遠の宇宙全方向からやって来る宇宙の最古の光子,宇宙マイクロ波背景放射の温度ゆらぎを観測することによって検出できる。ところが,アメリカのウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機(Wilkinson Microwave Anisotropy Prode:WMAP),欧州のプランク(Plank)衛生いずれの観測によってもガウス分布からのズレは見つかっていない。
私たちはこのほど,ガウス分布からのズレをもたらすこのような相互作用があると,真空のゆらぎどうしがぶつかり合って温度ゆらぎの振幅が大きく変化してしまうことを見いだし,観測されている振幅(10万分の1という小さな値である)とは整合性を持てないことを示した。すなわち,ゆらぎの振幅を正しく予言できる理論は,同時にゆらぎの統計が高い精度でガウス分布に一致することを予言することを発見したのである。このことは,素粒子の場の量子論を宇宙初期に応用してはじめて出てきたことであり,その結果が宇宙最遠の光子を観測するプランク探査衛星の観測結果に表れているというのはとても興味深いことであるといえる。
図:インフラトンの相互作用があると高密度領域と低密度領域の数にズレが生じるが,相互作用が強すぎると密度の不均一性(凸凹)が大きくなりすぎて,観測と矛盾することになるので,インフラトンの相互作用は強く抑制され,高密度領域と低密度領域が同数できるガウス統計に従う |
本研究成果はJ. Kristiano and J. Yokoyama, Phys. Rev. Lett. 128, 061301(2022)に掲載された。
理学部ニュース2022年5月号掲載