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理学部ニュース

ノーベル物理学賞2021受賞決定 真鍋淑郎 博士

Photo by Princeton University, Office of Communications, Denise Applewhite (2021)

真鍋 淑郎(まなべ しゅくろう)
1953年東京大学理学部物理学科地球物理学課程 * 卒業,1958年理学博士取得(東京大学)。渡米し,1958年米国気象局,1963年米国海洋大気庁地球流体力学研究所を経て,1968年より米国プリンストン大学大気海洋研究プログラム教授待遇講師着任(〜1997年)。その後も,東京大学理学部客員教授,地球フロンティア研究システム領域長などを経て,2005年より米国プリンストン大学上級気象研究者に着任(現在に至る)。2021年ノーベル物理学賞受賞決定。 * 参考「: 東京大学百年史 部局史二」 (理学部ニュース編集委員会調べ)

 

真鍋淑郎先生が2021年ノーベル物理学賞を受賞されることになりました
 星野 真弘(理学系研究科長・理学部長/地球惑星科学専攻 教授)

真鍋淑郎先生が2021年ノーベル物理学賞を受賞されることになりました。心よりお慶び申し上げます。真鍋先生は,1953年に東京大学理学部を卒業、1958年に同大学で理学博士を取得されました。その後すぐに米国に渡り,米国海洋大気庁・地球流体力学研究所で,計算機シミュレーションを駆使した気候研究を精力的に進められました。 当時は計算機の黎明期で,数値シミュレーションで複雑な現象を扱うことが出来るようになりつつある時代でした。真鍋先生は,計算機を駆使し,世界に先駆けて,大気大循環モデルと海洋大循環モデルを結合したモデルを開発することで,特に,大気中の二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化に与える影響を明らかにするなど,数多くの先駆的な研究をされてこられました。

今回のノーベル賞の受賞理由は「複雑系である地球気候システムのモデル化による地球温暖化予測」です。地球環境問題が人類社会の大きな課題になっている中,気候モデル開発の研究成果が高く評価されたことには大きな意味があります。また,真鍋先生は,プリンストン大学の客員教授や,宇宙開発事業団(NASDA)と海洋科学技術センター(JAMSTEC)による共同事業である地球フロンティア研究システム・地球温暖化予測研究領域長を務めるなど,後進の指導も精力的に行われました。東京大学大学院理学系研究科の大先輩が受賞されたことを心よりお祝い申し上げます。

 

真鍋淑郎先生のノーベル賞受賞決定を祝して 
 田近 英一(地球惑星科学専攻長/地球惑星科学専攻 教授)

このたび真鍋淑郎先生がノーベル物理学賞を受賞されることが決まりました。地球惑星科学専攻を代表してお祝い申し上げます。これまで地球惑星物理学分野がノーベル物理学賞の対象となったことは希であり,とりわけ気象学/気候学が対象となったことは初めてでしたので,想定外の大変うれしいニュースでした。

真鍋先生は,地球温暖化が問題となるずっと以前の1960年代,世界に先駆けて大気二酸化炭素による温室効果の影響に関するご研究を始められるなど,まさに地球温暖化研究のパイオニア的な存在です。先生は,現在の地球惑星物理学科及び地球惑星科学専攻の前身である旧物理学科地球物理学専攻及び旧数物系研究科地球物理専門課程を経て,1958年に博士の学位を取得されました。本学科・本専攻出身者から初のノーベル賞受賞者が生まれたことを,関係者一同,大変喜ばしく,また誇りに感じております。

今回の真鍋先生のノーベル賞受賞に,心からのお祝いを申し上げます。

 

真鍋先生と気候の研究
 升本 順夫(地球惑星科学専攻 教授)

好奇心に満ち溢れた子供のよう。大先輩である真鍋先生に大変失礼ではありますが,長い間論文でしか存じ上げなかった先生に初めてお目にかかった私が持った印象であり,多くの方にご賛同いただけると思います。しかし,地球の気候がどのように決まっているのか,どのように変わって行くのかを研究する上で,真鍋先生の論文を避けて進むことは不可能な,気候研究分野の巨人と言っても良いでしょう。 その真鍋先生がノーベル物理学賞を受賞されるというニュースが世界を駆け巡りました。このたびのご受賞を,心よりお祝い申 し上げます。

真鍋先生は,地球における気候を考える上で重要な放射対流平衡の物理モデルを考案し,さまざまな放射吸収気体が存在する地球大気に対する太陽放射エネルギーのインプットがどのような気温分布をもたらすか,それに対して放射吸収気体がどのような影響を与えているのかを,コンピュータを用いた数値モデルで明らかにしています。 鉛直一次元の大気モデルから大気と海洋を結合させた三次元の気候モデルへと発展させ,気候の変動や変化を定量化するとともに,信頼性の高い地球温暖化予測の基盤を構築してきました。これらのご研究を通じて複雑系の代表的な例とも考えられる気候の物理に関する我々の理解に多大な貢献をされてきたことが受賞理由となっています。

真鍋先生のこれまでのご研究を改めて見てみると、複雑な現象の本質を残した形で可能な限りシンプルに考えてモデル化する,というスタイルを貫かれています。これはまさに物理学の目指すところと言えるでしょう。本質を見抜く鋭い眼を持ち続け, 現在もなお活発に研究されていることに驚きを隠せません。偶然か必然かは分かりませんが,興味の対象が超複雑系とも言える地球の大気や海洋,そしてそれらが織りなす気候であったことは、私たちにとって幸いだったのかもしれません。真鍋先生が研究を始められた1950年代後半から60年代にかけては,大気や海洋の数値モデルの構築と数値計算手法の大きな進展があった時代でもあり,この大きな時代のうねりと真鍋先生の好奇心や物理的なセンスがタイミング良く交差したとも言えます。気候の変化のメカニズムを見出すことの1つとして,地球の温暖化という将来を見据えた予測科学の先駆的研究をなされましたが,同時にその興味は過去にも向かい,地球の古気候研究においても多くの成果をあげられています。同じ境界条件のもとでも,初期条件の違いで全球海洋の表層から深層まで到達する子午面循環が現実的な場合と極端に弱まる場合が現れ,地球全体の気候に大きな影響を与えていることを示した論文を読んだ時の衝撃を忘れることができません。

お若い頃の真鍋先生。左は米国海洋大気庁地球流体力学研究所にてスマゴリンスキー所長(右側),ブライアン博士(左側)と共に(1969年)。右の撮影年・場所は不詳。 写真提供:地球流体力学研究所

地球温暖化の問題は,私たちの生活を含めたさまざまな社会経済活動へ計り知れない影響を及ぼすため,出口側の視点から環境問題として扱われることも多いのですが, 今回の受賞は,その理解と予測には物理学が基盤となっているという重要なメッセー ジと受け止められます。真鍋先生のご研究により,地球の気候が持つ複雑さに関する我々の理解度は深まってはいますが,当の気候は依然複雑なまま,私たちのやることを泰然と受け流しているようです。地球の気候を取り巻く条件が変わって行く中で,大気や海洋のさまざまな現象がどのような影響を受け,それらが互いに関連しあってどのように気候を変えて行くのか,真鍋先生のご研究をベースとして,更なる理解が求められています。

 

プリンストンの爽やかな風
 山形 俊男(東京大学名誉教授) 

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地球流体力学研究所(Geophysical Fluid Dynamics Laboratory:プリンストン大学フォレスタルキャンパス)

真鍋淑郎博士のノーベル物理学賞ご受賞は,理学部地球物理学科(現在の地球惑星物理学科)の後輩としてとても誇りに思います。真鍋博士は,1957年に正野重方教授の下で気象学の学位を取得後,すぐに米国気象局(現在の米国海洋大気庁)の地球流体力学研究所に移り,地球温暖化予測の研究で半世紀以上にわたり世界をリードしてきました。地球環境の劣化は人類社会の持続可能性を惑星スケールで脅かすまでになっていますから,未来の気候を科学の法則に基づいてシミュレーションできるようにした業績は素晴らしいものです。ノーベル賞選考委員会がこうした複雑系の科学に光を当てたのは画期的なことだと思います。人工知能の祖ともいうべきジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)は,気候の変化が深刻になることを予見し,「気象や気候の問題は核の脅威やその他の戦争より,すべての国の関心 を一つにするだろう」と述べていますが,まさにその時が来たのだと思います。

真鍋博士の所属する地球流体力学研究所の由来は,汎用型計算機の歴史と軌を一つにしています。これは,フォン・ノイマンが汎用型計算機の最初の応用分野として天気予報を選んだことに関係しています。エイブラハム ・フレクスナー(Abraham Flexner)が「役に立たない知識を自由に探究する場として」 プリンストンに設けた高等研究所において,初めて計算機を用いた天気予報の実験が行われたのです。フォン・ノイマンはこの成功に自信を得て「究極の予報」,すなわち気候の予報をめざす研究所の設計を開始しました。 背景には核の冬への備えがあったのかもしれません。こうして1955年にワシントンDCの米国気象局(当時)に地球流体力学研究所が設けられ,ジョセフ・スマゴリンスキー (Joseph Smagorinsky)が初代所長に任命されました。スマゴリンスキー所長は大気大循環モデルの開発を真鍋博士に,海洋大循環モデルの開発はカーク・ブライアン(Kirk Bryan)に任せました。二人は大気と海洋の大循環モデルを結合し,フォン・ノイマンが 夢見た地球気候の研究を始めたのです。1967年,スマゴリンスキー所長はフォン・ノイマンが気候研究の着想を得た地,プリンストンに研究所を移し,プリンストン大学との連携を強化して,アカデミックな雰囲気の中で学際的な気候研究を推進できるようにしました。 これは英断だったと思います。その後の計算機の能力の急速な進展で地球気候をまるごと,そしてその季節性までも再現できるようにな り,二酸化炭素濃度を人為的に倍増した場合の世界各地の気候への影響も調べることが可能になりました。こうして現在気候変動に関する政府間パネル(IPCC)で使われているモデルの基盤が整ったのです。

私が地球流体力学研究所に滞在した1980年代は,エルニーニョなどの気候の自然変動の解明が注目されるようになりました。スマゴリンスキー所長はこうした自然変動の研究は身近な社会活動に直接的に貢献するものとして理解し,応援してくれました。

2017年10月31日に開催された特別講演会「地球温暖化と海洋」にて。左は真鍋博士,右は筆者(主催:笹川平和財団海洋政策研究所、後援:東京大学大学院理学系研究科、海洋研究開発機構)

役に立たないと思われる知識は,好奇心と自由な発想に基づいて研究に没頭する科学者の天国で生まれると思います。一方で科学者は応用への関心も持ち合わせている必要があるでしょう。社会への応用の意識は健全な科学の発展を促すことになるからです。スマゴリンスキー所長は,このような基礎科学と社会の関係性の豊かさについてもよく理解されていたように思います。真鍋博士を筆頭に, 世界各地からプリンストンに参集した研究者群像が好奇心に基づいて伸び伸びと研究を展開し,さまざまな立場で連携して人類の未来社会の設計に貢献しているのは,スマゴリンスキー所長がプリンストンの地にもたらした自由で爽やかな風の効果が大きかったのではないかと思います。

理学部ニュース2021年11月号掲載

 

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