特別記事 追悼 有馬朗人 東京大学名誉教授

有馬 朗人
(東京大学名誉教授,元理学系研究科長・理学部長,元総長)

1930年大阪府出身。静岡県立浜松第一中学,旧制武蔵高等学校(22期),東京帝国大学理学部卒。東京大学教授,ラトガーズ大学教授,ニューヨーク州立大学教授等を経て1989年東京大学総長。1993年理化学研究所理事長。1998年参議院議員となり文部大臣,科学技術庁長官を兼務。2006年4月武蔵学園長。専門は原子核物理学。理学博士。2010年に文化勲章受賞。俳人としても知られ,2018年「蛇笏賞」受賞。(出典:学校法人根津育英会武蔵学園)


 

故・有馬 朗人先生

 

有馬先生を想う
櫻井 博義(物理学専攻 教授)

有馬先生のご逝去に接し,謹んでご冥福をお祈り申し上げます。先生と最後にお会いしたのは2020年の9月で,その時の有馬先生のお元気な様子が脳裏に焼き付いており,訃報に接したさいは,ただただ驚くばかりでした。

有馬先生と初めてお会いしたのは私が学部3年生になったばかりの1985年4月です。当時,有馬先生は理学部長を務められており,お忙しいさなか3年生向けの物理数学 (群論)の講義を担当されていました。先生の講義には独特の緊張感があったことをいまも鮮明に思い出します。その理由のひとつは,寝ている学生を探しては,「おーい,そこのきみ。せっかく講義にでているのだから,起きてないともったいないよ」と声をかけて起こすことにありました。ご自身が苦学生で、講義にでる時間をつくることが大変だったそうです。緊張感を生むもうひとつの理由は,講義内容とは直接関係のない,水素原子の束縛エネルギー,13.6eVを学生に答えさせることでした。「これは基本中の基本だから覚えておきなさい」 と。学生を教える立場になって先生の講義を振り返ると,若い学生への愛情に満ちた講義だった,と改めて実感します。

学部3年次に有馬先生と「対峙」したさいに,数字で物申す有馬先生流を教えていただいたこともありました。対峙の場面は理学部長と理学部学生自治会との学部長交渉です。すでに学園紛争の熱は冷め,交渉材料と言えば「シャワールームが欲しい」 など,大学生活を送る上での改善要求が中心でした。先生は「本当に欲しいのかね?」と声を張り上げ,「本気だったら定量的に必要性を示せ」と宿題を出され,こちらは出直しをくらうはめとなりました。

物理を愛し,若者を愛し,だからこそ日本の学術・科学技術の行く末を心配されていた有馬先生が鬼籍に入られたことは,日本にとって大きな損失です。これまでの多岐にわたる先生のご指導に敬意を表し,心よりお悔やみ申し上げます。

「投獄」された有馬朗人先生
酒井 英行(東京大学名誉教授)

1982年米国コロラド州で開催された「原子核スピン励起国際会議」で有馬先生は投獄された。カナダのトライアンフ(TRIUMF)研究所のE.フォクト(E.Vogt)所長は会議のまとめで,有馬先生の似顔絵をスクリーンに映し「有馬が主張する解釈は時代遅れであり,クォークに基づく現代的な解釈を受け入れる時だ」とユーモアを込めて鉄格子を重ねて見せた。右下図は後日その様子を再現したものである。

当時,私は米国に長期滞在中であり,この国際会議に出席する機会を得た。1970年代,原子核のスピン巨大共鳴状態が発見された。問題はその共鳴状態の大きさ(遷移強度の和)が量子論で予想される値の半分程度しか実験で観測されなかったことである。量子論的には遷移強度が消失することはなく,その行方が「遷移強度欠損問題」 として大きなパズルとなった。これを説明するため,A.ボーア(Aage Niels Bohr)と B.モッテルソン(Ben Roy Mottelson)は,核子のクォーク構造を反映したΔ粒子(デルタ粒子)と呼ばれる核子自身のスピン励起状態まで考慮すればこの欠損問題は解決できるとの理論を提案した。待ちに待ったクォーク効果だとして多くの原子核研究者がこの解釈に賛同した。このような状況で国際会議は開催されたのであった。有馬先生はこの会議初日に登壇し,磁気モーメントの殻モデルによる詳細な解析からクォークの関与があるとしても最大10%程度であり,ほとんどの遷移強度は共鳴状態より高い励起エネルギーに分散しているはずであると,ボーアらとは異なる主張をした。その結果,聴衆からの凄まじい批判が止まず,有馬先生は四面楚歌となった。この様な興奮した雰囲気がフォクト氏のまとめにも表れて右図のイラストにもなった。この後も有馬先生は孤軍奮闘,世界中で自説を主張し続けた。

図:ニューヤン・ディン・ダン (Nguyen Ding Dang) 氏により後日再現されたイラスト(右上)とグラスハウザー教授の要望で新たに描かれた釈放場面(上)。
(Nguyen Ding Dang, スピン巨大共鳴国際シンポジウム, 東京, 1997年)

1990年代に東大の酒井グループは大阪大学核物理研究センター(RCNP)に高速中性子実験施設を建設し,スピン巨大共鳴状態を含む広い励起領域について高品質なデータを取得した。詳細なデータ解析からスピン巨大共鳴の励起エネルギーより高い領域に約40%の遷移強度が広く分散していることを見出した(全体で90%)。これにより「遷移強度欠損問題」は解決を見,有馬先生の主張が正しい事が証明された。これを受けて1997年に東京大学で「スピン巨大共鳴国際シンポジウム」を開催した。その会議のまとめで,ラトガース大学のC.グラスハウザー(C. Glashausser)教授は晴れて有馬先生が監獄から釈放されるイラスト(下図)を示し,祝福した。

有馬先生は研究以外の事に忙殺されるようになられても,齢を重ねられても,つねに研究を続けられた。理論と実験と分野は異なったが,研究者としての姿勢から多くを学ばせていただいた。上記の国際会議の準備に追われ,忙しくも充実した日々は先生との忘れられない思い出となり宝物の一つでもある。心より有馬朗人先生のご冥福をお祈り申し上げます。

理学部ニュース2021年3月号掲載



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