「投獄」された有馬朗人先生
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1982年米国コロラド州で開催された「原子核スピン励起国際会議」で有馬先生は投獄された。カナダのトライアンフ(TRIUMF)研究所のE.フォクト(E.Vogt)所長は会議のまとめで,有馬先生の似顔絵をスクリーンに映し「有馬が主張する解釈は時代遅れであり,クォークに基づく現代的な解釈を受け入れる時だ」とユーモアを込めて鉄格子を重ねて見せた。右図は後日その様子を再現したものである。
当時,私は米国に長期滞在中であり,この国際会議に出席する機会を得た。1970年代,原子核のスピン巨大共鳴状態が発見された。問題はその共鳴状態の大きさ(遷移強度の和)が量子論で予想される値の半分程度しか実験で観測されなかったことである。量子論的には遷移強度が消失することはなく,その行方が「遷移強度欠損問題」 として大きなパズルとなった。これを説明するため,A.ボーア(Aage Niels Bohr)と B.モッテルソン(Ben Roy Mottelson)は,核子のクォーク構造を反映したΔ粒子(デルタ粒子)と呼ばれる核子自身のスピン励起状態まで考慮すればこの欠損問題は解決できるとの理論を提案した。待ちに待ったクォーク効果だとして多くの原子核研究者がこの解釈に賛同した。このような状況で国際会議は開催されたのであった。有馬先生はこの会議初日に登壇し,磁気モーメントの殻モデルによる詳細な解析からクォークの関与があるとしても最大10%程度であり,ほとんどの遷移強度は共鳴状態より高い励起エネルギーに分散しているはずであると,ボーアらとは異なる主張をした。その結果,聴衆からの凄まじい批判が止まず,有馬先生は四面楚歌となった。この様な興奮した雰囲気がフォクト氏のまとめにも表れて右図のイラストにもなった。この後も有馬先生は孤軍奮闘,世界中で自説を主張し続けた。
(Nguyen Ding Dang, スピン巨大共鳴国際シンポジウム, 東京, 1997年)
1990年代に東大の酒井グループは大阪大学核物理研究センター(RCNP)に高速中性子実験施設を建設し,スピン巨大共鳴状態を含む広い励起領域について高品質なデータを取得した。詳細なデータ解析からスピン巨大共鳴の励起エネルギーより高い領域に約40%の遷移強度が広く分散していることを見出した(全体で90%)。これにより「遷移強度欠損問題」は解決を見,有馬先生の主張が正しい事が証明された。これを受けて1997年に東京大学で「スピン巨大共鳴国際シンポジウム」を開催した。その会議のまとめで,ラトガース大学のC.グラスハウザー(C. Glashausser)教授は晴れて有馬先生が監獄から釈放されるイラスト(下図)を示し,祝福した。
有馬先生は研究以外の事に忙殺されるようになられても,齢を重ねられても,つねに研究を続けられた。理論と実験と分野は異なったが,研究者としての姿勢から多くを学ばせていただいた。上記の国際会議の準備に追われ,忙しくも充実した日々は先生との忘れられない思い出となり宝物の一つでもある。心より有馬朗人先生のご冥福をお祈り申し上げます。
理学部ニュース2021年3月号掲載