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理学部ニュース2025年11月号掲載

理学エッセイ>

鏡池が映してきたもの

石崎 章仁(化学専攻 教授)

小学校からの帰り道,神社の池に小石を投げては遊び,たびたび叱られたものだった。境内の片隅から白蛇がするすると姿を現し,恐ろしくなって逃げ出したこともあった。大和葛城——いまも豊かな田園の風景が広がるその地に生まれ育った。古事記や日本書紀にも登場する,古代の舞台でもある。

成人してから知ったのだが,私が遊んだ角刺(つのさし)神社は,第二十二代清寧天皇の崩御後,後継を欠いた王位の空白を埋めるため,しばし政務を執った女性,飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)ゆかりの地であった。日本書紀には「倭(やまと)辺に見が欲しものは忍海のこの高城なる角刺の宮」と記され,皇女はこの地に角刺の宮を構え,政治の舵を取ったと伝えられている。第三十三代推古天皇の時代よりもさらにさかのぼる出来事である。池は,彼女が毎朝,自らの顔を映して身を整えたことから「鏡池」と呼ばれるようになったという。

かつて恐れおののいた白蛇は,もしかすると皇女の化身だったのかもしれない——そう思いたくなることがある。五世紀末の女性リーダーが放つ静かな気品と強さに,自然と心が惹かれるのである。

皇女は,水面に自らの姿が映るという現象を,どのように受け止めていたのであろうか。私たちはいま,光の反射や視覚といった理学の知識をもっているのであるが,古代の人々にとってそれは,自己と自然が溶け合うような神秘的な出来事であったに違いない。悠久の時を経て,人間はそうした直観的な自然認識を積み重ね,やがて理学として体系化された知へと昇華させてきた。その長い知性の歩みに思いを馳せると,静かな感銘を覚える。

女性登用という言葉を耳にするようになって,すでに久しい。しかし,千五百年以上も前のこの国には,すでに政治や信仰の場で重要な役割を担った女性たちが存在していた。彼女たちは制度として登用されたわけではなく,社会が彼女たちを必要としたからこそ前に立ったのだと思う。社会の混乱や転換期にあって,人々は性別ではなく知恵と胆力を求めたのであろう。それから長い時間を経て,私たちは女性が力を発揮できる環境を制度として整えようとしている。けれども,本来の目的は登用そのものではなく,多様な視点が社会に新しい可能性をもたらすことにあるはずである。意思決定の場に女性が加わることで,これまで見過ごされてきた課題が可視化され,より柔軟で現実的な判断が生まれるのだと思う。

鏡池のことを思い出すたびに,古代から現代へと続く理学の歩みと社会の成熟を,重ねて考えさせられる。

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