
理学系研究科では,黒田真也教授のもとでシグナル伝達ネットワークの数理モデリングに取り組んでいた。生物が持つ複雑でダイナミックな情報処理を数式で記述し,実験データと照合して理解するこの研究は, 私にとって「理論と現象をつなぐ」科学の醍醐味を教えてくれるものであった。モデルの仮定やデータの解釈に頭を悩ませながらも,生命現象の背後にある秩序を見出す喜びを感じていた日々は,今の仕事の原点である。
博士課程修了後,自らの研究を実用的な価値へとつなげたいという思いから,アステラス製薬つくば研究所に入社し,企業研究者としての道を選んだ。入社当初から「世界に伍する研究者になりたい」という強い想いを持ち続け,8年前には米国サンディエゴに駐在員として赴任する機会を得た。現地では統合失調症を対象とした国際共同研究に参加し, Nature Neuroscience誌に掲載された成果において,解析と執筆の両面から貢献するなど,アカデミア色の強い研究活動を展開することができた。
とくに米国での研究は,専門的知見に基づく深い考察力が強く求められるものであった。限られた情報から仮説を導き,実証の方法を構築する力が重視される環境において,理学系研究科で “ Why ” を突き詰める訓練を積んできた経験は,異なる文化の中でも自らの研究者としての軸を支える揺るぎない基盤となった。
現在はアステラス製薬米国法人に籍を移し,Early Development & Translational Science部門にて,創薬研究と臨床開発をつなぐトランスレーショナル研究に従事している。この分野では,科学的知見と臨床開発の双方にまたがる専門性が求められ,得られた知見を患者さんの価値へとつなげる非常にエキサイティングな役割を担っている。
具体的には,がん領域の初期臨床プロジェクトにおいて,薬効評価のためのバイオマーカー取得計画や,治療抵抗性がんの作用機序(Mechanism of Action, MoA)解明を目的とした腫瘍由来RNA/DNAシーケンス,ctDNA(血中循環腫瘍DNA,血液から腫瘍由来の遺伝子変化を検出する手法), 空間トランスクリプトミクス(組織内で遺伝子発現の位置情報を可視化する解析技術)などの研究を設計・実施している。今年4月には,私が担当する膵腺がんプロジェクトにおいて,標的タンパク質分解誘導薬(Target Protein Degrader, TPD)による治療効果を臨床試験で確認し,Proof of Concept(POC)を達成することができた。現在は,その成果を踏まえ,より大規模な臨床試験の計画へと発展させている。
また,ハーバード大学系列のマサチューセッツ総合病院やブリガム・アンド・ウィメンズ病院と連携した共同研究を推進する機会にも恵まれ,世界各地の臨床研究者と直接議論を交わしながら,ボストンで最先端の科学を病気と向き合う患者さんのために活かせる喜びを日々実感している。
理学を志す皆さんの中には,アカデミアに進むか企業に就職するかで悩む方も多いかもしれません。企業に進むことで基礎研究から離れてしまうのではと不安に思うかもしれませんが,実体験として,米国では企業とアカデミアの境界は想像以上に低く,密接に連携しています。理学で培った論理的思考と問いを追究する姿勢は,どこでも通用する「知の土壌」です。

ガリレオ・ガリレイ理論物理研究所での講演