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理学部ニュース

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理学部ニュース2024年11月号掲載

学部生に伝える研究最前線>

バクテリアが密集したらガラスになった

竹内 一将(物理学専攻 准教授)

 

物質は無数の原子分子の集まりである。生命現象の多くは,無数の細胞の集まりが担っている。
では,細胞の集まりは,物質のように気体・液体・ガラスと状態を変えられるだろうか?
素っ頓狂な問いのようだが,物理学と生命科学の境界分野「アクティブマター物理学」で取り組まれる最先端の問題の一つである。
私たちは,バクテリアの集団が増殖により密集する過程を観察し,集団の状態が液体からガラスへと変化することを発見した。
物質と生命のガラスに共通する性質は何か?違いは何か?生命はガラス状態を活用しているのか?
謎は尽きない。

生き物は,使えるものは何でも使う。遺伝子による緻密な設計・制御はもちろん,分子や細胞が集まることで生じる物理現象だって巧みに使いこなしているだろう。近年活発に研究が進む細胞内の液液相分離はその最たる例といってよい。ならば,生体分子や細胞の集まりが生み出す物理現象にはどんなものがあるか。いわば,生命がもっている「物理の道具箱」の中身を調べておくことには一定の意味があろう。アクティブマター物理学は,生体分子や細胞,生物個体を模した粒子の集団的性質を研究対象とする。原子分子の集団である物質との対比を通して,物質とは異なる生物粒子集団の特徴を開拓し,物質観に新たな光を当ててきた。本稿で紹介するのは,生物集団もガラスになれる,という発見である。

日常ではガラスというとケイ酸塩を主成分とする材料を指すことが多いが,物理学用語では,分子にせよコロイドにせよ,多数の粒子が混雑して乱雑なまま動けなくなった状態のことをガラスと呼ぶ。実際,ケイ酸塩以外の多くの物質も,液体状態から急冷すると過冷却を経てガラス化し,コロイドの場合は,粒子を高密度に充填すればガラス化する。では生命ではどうだろう?

実は生命現象にも,混雑状態はそこかしこにある。細胞内は,無数の生体分子がぎゅうぎゅうに押し込まれた混雑状態だ。細胞組織は多くの細胞が隙間なく密集してできている。バクテリアは,多くがバイオフィルムという高密度の塊を作って生息する。しかし,通常物質のガラスとの比較は容易でなく,生物ガラスの特徴は不明であった。

私たちは,バクテリアの高密度培養を実現する微小流体デバイスを製作し,大腸菌が増殖により混雑化する過程を一様な条件下で観察することに成功した。低密度では活発に泳ぎ回っていた大腸菌が,増殖して高密度化し,満員電車のように動けなくなる。解析の結果,構造緩和時間の急激な増加や動的な不均一性の出現など,通常物質のガラスと共通する特性が様々に明らかとなった。その一方で,生物集団特有の性質も現れる。たとえば,通常分子と違い,大腸菌は自ら泳ぐ。混雑条件では,隣合わせの菌が体の向きを揃えるため,ある程度の集団となって運動しようとする。おそらくそれが原因で,通常ガラスと異なる統計的特徴が検出された。また,緩和時間の増大の仕方は,通常ガラスが守るべき制約を破っていた。生物は,通常物質より多様なガラス化ができるようだ。


(a)実験に用いたメンブレン型微小流体デバイス。(b)大腸菌集団のガラス化。時間経過に伴って,液体状態,配向ガラス状態,完全ガラス状態へと遷移する。色は細胞の体の向きを表す。プレスリリースでは動画を見ることができる

生命がガラス状態を活用しているかはわからない。しかし,密度の僅かな違いにより,流動特性や力学特性が大幅に変わるガラスの特徴は,使いどころがありそうだ。細胞内は,通常ならガラス化する濃度で分子が押し込まれている。気管支上皮組織は,喘息患者と健常者でガラス化の程度が異なるという報告もある。生命におけるガラスの役割は,思ったよりあるのかもしれない。

本研究成果は,H. Lama et al., PNAS Nexus, 3, 238(2024)に掲載された。

 

(2024年7月11日プレスリリース)