自然科学は,対象に興味を持ち観察することから始まるが,観察は必ずしも簡単ではない。これを簡易かつ正確に見る手法開発を海洋研究開発機構(JAMSTEC)にて行っている。元々有機化学者だったはずの筆者がなぜ海・生命・地球の研究所で研究しているかを振り返ってみよう。
「見る」ことに興味を強く覚えたのは,学部4年の卒業研究で化学科の中村栄一研究室に配属され,教授から最新の研究として,電子顕微鏡を用いて撮影された,カーボンナノチューブの中で分子が動く様子を見せられたときだ。紙面上の線と記号の集まりだった分子が,分子模型を捻るよう動く様子に大きな衝撃を受けた。この感動を一旦心に留め,原野幸治助教(当時)のもと,フラーレンを官能基化して二重膜ベシクル構造へと自己集合させる研究を行った。しかしこれは半年で頓挫し,酸化グラフェンを用いた有機薄膜太陽電池の研究にシフトした。分子の自己集合化や結晶化について学ぶとともに,現在まで私の相棒となる走査電子顕微鏡(SEM)に出会った。光学顕微鏡よりも高分解能で,観察条件を操ると表面と内部を見分けられるSEMに魅せられ,試料を作製し観察するサイクルを楽しんだ。その後,そもそも分子はどう動き集合するかという問題を追究することになり,透過電子顕微鏡(TEM)にも触れる機会ができた。TEMで分子の自己集合過程や反応速度を見る研究を進め,量子化学計算や電子と物質の相互作用なども習得し,また短期留学先のパリ工科大学L. ライブラー(Ludwik Leibler)教授のもと,化学反応機構解析の素養を身に付けた。
進路に悩む中参加した学会にて,偶然にもJAMSTECの出口茂センター長の講演を聞き,スケーリーフットという全長数cmの不思議な貝に巡り合った。巻貝なのに鱗があり,鱗の内外に硫化鉄ナノ粒子があるが,成因が分かっていない。結晶化,電子顕微鏡,反応機構という,私の持つ技法と興味に合致したような生物だった。JAMSTECは生物・地球科学者が主で,化学者は片手で足りるほどだったが,深く考えずに新しい世界に飛び込んだ。
スケーリーフット(左上)と鱗(赤丸部分)の拡大図(左下)。鱗断面に含まれる硫化鉄のSEM画像(右、白色部)。右が表面側で,スケールは5μm
JAMSTECではスケーリーフットの研究に取り掛かったが,しばらくすると,適切な観察法がない,像解釈が難しい,試料が限られる,などさまざまな観察の困り事も周囲の研究者から見聞きするようになった。現在は高井研部門長のもと,多くの生物系,地質系研究者と協業し,学部の頃に触れた酸化グラフェンを用いてクライオSEM用の接着剤を開発し,海底生物の断面観察に用いるなど,化学+電子顕微鏡でこれらの課題を解決している。研究航海やしんかい6500での深海探査に乗船する機会を頂き,自作治具で試料調製を試すなど,異分野に飛び込んだからこそ見える景色を楽しんで研究開発を行っている。
近年,境界領域や異分野融合などの研究が盛んである。一期一会の出会い(研究とも,人とも)を大切にしつつ,今目の前にある研究に丁寧に向き合い,技術を磨き,周りにも観察の目を向けることが,分野をまたぐ筆者の研究の推進力となっている。