カッシーニの観た環
小久保 英一郎(国立天文台/天文学専攻兼任 教授)
土星探査機 Cassini-Huygensのことである。17世紀に土星の環の空隙を発見した天文学者ジョヴァンニ・カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)にちなんで名付けられた。1997年に打ち上げられ,2004年に土星に到着,2017年までの長きに渡り探査を行った。驚くほど美しい土星の環を,僕らに見せてくれた。
環を持つ土星は,幼い頃から僕にとって特別な存在だった。その姿を初めて見たのは図鑑でだと思う。土星本体から浮いて一周する環はとても不思議で格好いいと思った。この気持は今でも変わらない。
土星の環は数 cmから10 mほどの水氷の粒子からできている。これは僕らにも感覚的に理解しやすい大きさだろう。この粒子の空間分布が土星の環に美しい模様を作り出している。ちなみに環が粒子からできていることを理論的に証明したのはあの物理学者のジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell)である。粒子の運動を決めているのは,まず土星重力。これが支配的で,粒子は公転運動を行う。次に衛星からの重力。特に軌道共鳴(粒子と衛星の公転周期の比が簡単な整数比)のときは重要だ。そして,粒子間の重力と衝突である。とても単純な力学系であるが,形成される構造は多様だ。環の明るい部分は外側からA環,B環,C環と呼ばれていて,カッシーニの空隙はA環とB環の間にある。
この目で初めて生の土星を見たのは中学生の頃だっただろうか。紙製の屈折望遠鏡のキットを組み立てて,僕はそれを土星に向けた。アイピースを覗いてみると小さく滲んだ土星が儚げに浮いている。大気が安定した一瞬,クリアな土星とその環が見えた。思わず「うわあ,環だあ!」と叫んだ。隣に座っていた犬が驚いて立ち上がった。図鑑の写真とは比較できないほど小さく微かな環だったが,それでも本物の光だった。土星の環を見ると今でも不思議に思うし,その秘密を解明したいと研究意欲が湧いてくる。
カッシーニはその計画期間中,環や衛星について多くの発見をもたらしてくれた。例えば,環の非軸対称(螺旋状)の密度波やプロペラ型の構造,UFOのような翼をもつ衛星など。知的好奇心がくすぐられるものばかりだ。仕事で疲れたとき,カッシーニ計画WEBで美しい環の写真を見ては,僕は元気をもらっていた。
カッシーニの発見の中でもっとも驚かされたのはB環外縁の「山脈」である。土星の春分点付近では,太陽は環をほぼ真横から照らす。このとき環より高い構造は環に影を落とすことになり,影の長さから垂直方向の高さを知ることができる。B環の平均的な厚みは10m。粒子どうしの頻繁な衝突によって,環は薄くなっているのだ。カッシーニの写したB環外縁の写真には長い影が連なっていた。計算するとその影を作っている「山」は高いもので2 km以上にもなる。何がどうやって巨大山脈を作っているのか。未だに大きな謎である。
2017年9月15日,カッシーニは土星大気に突入し,その使命を終えた。僕はPCを開き,グランド・フィナーレのインターネット中継を正座して見ていた。学位を取ってからいつも土星にいたカッシーニをいつしか勝手に仲間のように感じていた。カッシーニからの通信が途絶えたとき,親しい友を失ったような寂しさと偉大な計画が終了したのだという感動の混ざった,言葉にできない気持ちになった。理論家に残された宿題は多い。カッシーニがもたらした発見とさらなる謎に,僕はこれからも挑んでいきたい。
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