環形動物シリスの類いまれな繁殖方法と発生機構
三浦 徹(生物科学専攻/臨海実験所 教授)
地球上には実にさまざまな生物が生息しており,それぞれ生息する環境に適した生活史戦略を進化させている。
その中には,われわれの生物学の常識では考えられないような珍奇なものも多数存在している。
特に陸上で生活しているわれわれヒトにとって,海洋環境は未知の世界であり,
新種の発見もさることながら,既知の種の中にも未知の生命現象が数多く潜んでいる。
環形動物のシリスでは,成長の過程で体の途中にもうひとつの頭部ができるという,
これまでの発生学の常識では考えられない現象が見られる。
われわれは,どのような発生制御機構によりこの現象が実現されるのかを明らかにした。
われわれは三崎臨海実験所において,動物の進化過程,とくに進化において革新的な形質がどのようにして獲得されたのかについて,とくに発生学的な視点で研究を行っている。多細胞動物(後生動物)の中にはクラゲなどのような放射相称の体制を持つものも存在するが,頭尾軸をもち左右相称な動物の形態的な多様性は枚挙にいとまがない。「頭尾軸」と言うように,通常は1個体に1つの頭と1つの尾っぽがある。しかし,動物の中には身体の途中に「もうひとつの頭部」ができてしまう例も存在している。それが今回紹介する「シリス」の仲間だ。
シリスとは,環形動物門の多毛類(ゴカイの仲間)に属する一系統で「シリス科」を構成する。シリスの生活史は極めて特異で,卵から発生した個体の尾部に生殖腺(卵巣または精巣)が発達し,その部分に新たな頭部や眼が形成されて元の個体からちぎれて泳ぎ出して放精または放卵を行う。このちぎれて泳ぎ出す個体様の部分を「ストロン」と呼び,この過程を「ストロナイゼーション」と呼ぶ。左右相称動物において,頭部は胚発生の時に最も前端側にひとつだけ形成されるのが常識であるが,シリスでは,身体の途中に「もうひとつの頭部」が形成されるという極めて類いまれなことが起こっている。
われわれはこの極めて興味深い現象について,まずは形態や組織を詳細に観察することによって,どのような生物学的イベント(発生過程など)が起こっているのかを考え,更に,頭部や体軸を決定したり形成したりするためにはたらく重要な遺伝子群の発現パターンを詳細に解析した。対象には日本近海に広く分布し,飼育方法なども既に確立しているミドリシリス Megasyllis nipponica を選んだ。多くの動物では,ホメオティック(Hox)遺伝子という重要な発生制御因子が前後軸に沿って決まった順序で発現する。これにより,身体の部位のアイデンティティー(つまりどの部位が何になるか)が決定される。従ってストロナイゼーションでは,前後軸に沿ったHox遺伝子のパターンが二重にできることで,直列に繋がった2個体のような形になると予測した。しかし,Hox遺伝子の発現パターンはこの過程では変化がないことが明らかとなった。その一方で,頭部を形成するのにはたらく「頭部形成因子」という遺伝子については,ストロンの予定頭部領域で発現することが示された。これにより,ストロンはきちんとした1個体というよりは,尾部にいきなり頭部が付いたような形となり,まさに繁殖(放精と放卵)に特化したユニットとなっていることが明らかとなった。
生活史の中の繁殖サイクルにおいて,どのようにして頭部形成因子の発現が身体の後方に誘導されるのか,内分泌制御はどうなっているのか,性(精巣が発達するのか,卵巣が発達するのか)はどのように決まるのか,など,未解明なことはまだまだ山積している。今後,学生らとともに,日本を取り囲む海岸線に多数生息している,この奇妙な生き物の神秘をつまびらかにしていきたい。
本研究成果は M. Nakamura, et al., Scientific Reports, 13, 19419, (2023)に掲載された。