ブラックホールをとりまく「燃料」の収支決算
河野 孝太郎(天文学教育研究センター 教授)
私たちは,アルマ望遠鏡を駆使したミリ波・サブミリ波帯と呼ばれる電磁波の観測により,
ブラックホール周辺の数光年ほどの領域において,低温で密度の高い分子ガスの流入量と,
希薄で高温な電離ガスの流出量を測定することにはじめて成功した。
その解析から,低温分子ガスの流入は,重力的な不安定性が原因であること,一方,流入した
低温分子ガスの大半は,ブラックホールに辿り着く前に,あたかも噴水のように吹き飛ばされていることが分かった。
ブラックホールの成長とブラックホールを宿す銀河との関係を解明していく上で,大きな進展といえる。
宇宙に存在する銀河の多くは,その中心付近に,大質量あるいは超大質量ブラックホールと呼ばれる謎に包まれた天体を宿しているらしい。その質量は,私たちに最も馴染み深い恒星である太陽の質量と比較して100万倍以上,時に数億倍にも及ぶとの測定結果が報告されている。ひとたびブラックホールの中に(正確には事象の地平線の中に)入った情報は外部から観測することはできないが,大質量ブラックホールは,しばしば膨大なエネルギー(太陽の光度と比較して1011倍から1013倍,あるいはそれ以上という極端に明るいケースもある)を放出して煌めく天体として発見される。それは,ブラックホールの周囲にある物質,いわゆる星間物質が,ブラックホールの重力により引き寄せられ,降着円盤と呼ばれる粘性を有した回転構造を通して,その位置エネルギーを熱や放射として解放するためである。降着円盤というエンジンに,星間物質という燃料が供給されて輝いているということになる。一方,こうしたブラックホール・エンジンからの強烈なエネルギー解放は,その周囲にある星間物質を放射圧などの力を及ぼして吹き飛ばす,すなわち,燃料供給にブレーキをかける効果も持つ。こうした,定性的な「お話」を,定量的な理解に進めて行くためには,どの程度の星間物質がブラックホールに向かって流入し,一方,そのうちどの程度の星間物質が外向きに吹き飛ばされているか,その流量を測定し,そのように吹き飛ばされた星間物質が,その後,どのような運命を辿るのか,理解していく必要がある。
ここで鍵となるのは,星間物質の「多相性」である。数10ケルビンの低温で密度の高い分子相にあるガスから,より高温の中性ガス相,さらに電離したプラズマ相にあるガスなどを全て観測し理解する必要がある。かつ,ブラックホールの近傍,数光年という領域まで近づくと,多量の星間物質に覆われていて,たとえば可視光や赤外線などの波長の光は,途中で吸収されるなど阻まれて中を見通すことができなという問題に行き当たる。アルマ望遠鏡では,可視光や赤外線より,ずっと波長の長い,ミリ波サブミリ波帯での観測により,こうした問題を突破しつつ,約1光年という高い解像度での測定を,近傍の活動的な銀河「Circinus」(サーシナス)の中心核領域において実現することができた。とはいえ,これはまだ1例目に過ぎない。こうした時間のかかる難しい観測を,より多くのブラックホールにおいて進め,一般的な描像を獲得するための挑戦が待っている。
本研究成果は,Izumi. T, et al. Science, 382, 554(2023)に掲載された。