メダカから探る大脳の多様性と進化
中村 遼平(生物科学専攻 助教)
磯江 泰子(ハーバード大学 研究員)
大脳は,運動や知覚,記憶などに重要な働きをもつ。
ヒトの大脳はいくつかの領域(脳領域)に分けられ,
それぞれの脳領域にどのような機能があるか
といったことが少しずつ明らかにされている。
しかし,哺乳類以外の脊椎動物の大脳を見てみると,
形態や領域の数や位置に大きな種間差が存在する。
脊椎動物の多様な形態の大脳はどのように進化してきたのだろうか。
そして,それぞれの種ではどの脳領域にどのような機能があるのだろうか。
われわれは,メダカの大脳構造と一つ一つの脳領域の性質を解析することで,これらの謎の解明を目指した。
大脳は,ヒトでは脳の大部分を占める「大脳皮質」や記憶に重要な「海馬」などの複数の領域が含まれ,知性に大きく関わる。一方,哺乳類以外の脊椎動物の大脳は,種間で比べると大まかな領域の構成は保存されているが,各領域の形態や場所,領域内の区画の数は種ごとに異なっており,それぞれの領域の機能やそれらが形成される仕組みは未だ明らかになっていない。特に,脊椎動物の進化の過程で初期に分岐した魚類の大脳には未知な点が多い。これまで魚類の中では,遺伝子やタンパク質のはたらきを調べる手法が整備されている分子生物学のモデル動物としてゼブラフィッシュ注1が広く研究に使われてきたが,ゼブラフィッシュの大脳には明瞭な解剖学的な区画がなく,ヒトの脳などと対応づけた研究が困難であった。一方,シクリッドやマハゼの大脳には明瞭な解剖学的な区画があるが,分子生物学のモデル動物として確立されていないため,分子レベルの詳細な研究が困難であった。そこで,われわれはメダカに着目した。メダカは分子生物学のモデル動物として確立され,さらに大脳内に明瞭な解剖学的な区画がある。
今回われわれは,まずメダカの成魚の大脳内の解剖学的な構造を解析した。卵の時期に数個の神経幹細胞(将来神経細胞へと分化する細胞)だけが蛍光タンパク質を発現するよう遺伝的に改変し,脳の発達後にその神経幹細胞から生まれる細胞群(クローン)が大脳内のどこに位置するか調べた。その結果,メダカの大脳の背側部分はクローン同士が混じり合うことなく一つ一つの脳領域を形成していることがわかった。次に,各クローンの性質を知るために,クローンごとに染色体のクロマチン構造注2を解析した。というのも,一つ一つの神経細胞の個性は,その細胞が発現している遺伝子の組み合わせで決まるが,各遺伝子の発現状態はクロマチンの構造に大きく依存するからである。解析の結果,クローンごとにクロマチン構造が大きく異なることがわかった。特に,Ddと呼ばれるメダカ大脳の背側の領域ではクロマチン構造が特殊であり,神経細胞の情報伝達を担うシナプスを制御する遺伝子群の発現調節状態がほかの脳領域と大きく異なることを発見した。実際に,このDd領域ではシナプス密度が高いことも確認できた。
これらの結果から,メダカの大脳の各領域はそれぞれ特有のクロマチン構造をもつクローンから作られ,特に背側には特殊な情報処理が行われている領域が存在することが示唆された。これまで魚類を使った脳の研究では,世界中でゼブラフィッシュが用いられてきた。今回は大脳の解剖学的な区画がわかりやすいメダカを研究材料に用いたからこそ,大脳の背側領域の特異性について明らかにできた。今後は,メダカ大脳の各領域の機能を解明し,大脳の多様性の進化およびヒトの知性の起源の一端を明らかにすることを目指す。
本研究成果は,Y. Isoe et al., eLife, 12:e85093(2023)に掲載された。
注1:ゼブラフィッシュ
縞模様が特徴的な熱帯魚のゼブラフィッシュ(Danio rerio)は,体長が3 cmほどで卵が透明である。研究室内での飼育・繁殖,そして行動・発生の観察が容易であるため,これまで世界中で発生学・遺伝学・行動学の研究に良く用いられてきた
注2:クロマチン構造
遺伝子がコードされているのがDNAである。そのDNAが円柱状のタンパク質(ヒストン)に巻き付いて折りたたまれたものをクロマチンと呼ぶ。遺伝子が発現するためには,DNAを解読するタンパク質がDNAに結合する必要があるため,折りたたまれたクロマチンが開きDNAが露出した状態になる。本研究ではこのクロマチンの開閉構造を解析した