気候にかかわる微粒子の光吸収率を正しく測る
茂木 信宏(地球惑星科学専攻 助教)
飛行機の窓から外を眺めると大気の下層が霞んでみえる。
大気中にはエアロゾルと呼ばれる微粒子が漂っており,それらが太陽光を散乱するからだ。
地球大気エアロゾルには可視光を吸収する物質「黒色炭素」が含まれており,
太陽光による大気の加熱の一因となっている。
本研究では,微粒子による光の吸収率を支配する物性値「複素屈折率」を,
大気中の黒色炭素について初めて測定することに成功した。
この成果は,気候変動の理解と予測に貢献することが期待される。
2021 年ノーベル物理学賞に気候モデリングの創始者である真鍋淑郎博士が選出されたのは記憶に新しい。計算機を使って気候を理解・予測するというアプローチが物理学として受入れられるまでには,理論モデルを検証しうる膨大な観測データの蓄積が必要であった。現在の気候研究手法の枠組みを構築した真鍋博士が受賞されたことは,観測に携わる研究者の一人として筆者も大いに励まされる。他の多くの理学研究と対比した気候研究の特徴は,系の境界条件を実験的に制御できないありのままの複雑な自然現象を扱うことである。たとえば,大気海洋の蓄熱量を決めている宇宙空間と地球表層の間のエネルギーのやりとりは,水蒸気や二酸化炭素などの気体,エアロゾルや雲などの微粒子,地表面の特性などの寄与の重ね合わせで決まっている。気候研究では,これらを含めた多数の境界条件を,その場観測やリモートセンシングに基づいて明らかにし,適切な形でモデルに与える必要があるのだ。
本研究「大気中の黒色炭素の光学的物性の測定」は,大気中での電磁波の伝搬・吸収(放射伝達)の計算においてこれまで不確定だった境界条件の一つを定める観測データを提供するものであり,気候モデリングの土台となる基礎研究として位置づけられる。黒色炭素は,地球大気エアロゾルの質量のうち高々1 〜2% 程度に過ぎない(硫酸塩,有機物,海塩,鉱物などが地球大気エアロゾルのほとんどを占める)が,大気中および雪氷中における太陽光の吸収に大きな寄与をもつ物質である。産業革命以前から現在までの気候系の加熱において,黒色炭素は,二酸化炭素・メタンについで3 番目に大きな寄与を持つと考えられている。今回筆者らは,新たに開発した粒子の光学特性を測定する手法「複素散乱振幅センシング」を用いて,大気中の黒色炭素の複素屈折率の実部・虚部の代表値と変動範囲を絞り込むことに初めて成功した。複素屈折率の実部・虚部はそれぞれ物質中の光の伝搬速度・吸収率を表す物性値である。気候モデルでこれまで採用されていた室内実験に基づく仮定値1.95+0.79i に比べて,虚部が少なくとも0.17 は大きいことがわかった。このことは,これまでの気候モデリングにおいて黒色炭素の光吸収率が少なくとも16%過小評価されており,大気中や雪氷中の放射伝達計算ではその分の系統誤差が生じていたことを示唆する。このように,新たな測定法の開発とそれを用いた観測データの更新が,気候モデリングの精密化のために重要な役割を果たしているのである。
本研究成果は,N. Moteki et al. , AerosolScience and Technology , 678, 57(2023)に掲載された。