DATE2023.07.25 #Press Releases
グラフェン層間に入り込むリチウムイオンの動きを電子顕微鏡で解明
――“トポロジカル”に保護された“消えない壁”を発見――
遠藤 由大(研究当時:博士課程)*NTT物性科学基礎研究所(研究員)
秋山 了太(物理学専攻 助教)
保原 麗(物理学専攻 特任研究員)
長谷川 修司(物理学専攻 教授)
発表のポイント
- 炭素原子からなる単原子層物質グラフェンが多数枚積層されるとグラファイトになります。グラファイトはリチウムイオン電池の電極に使われており、グラフェンの層間にリチウムイオンが出たり入ったりすることで充電・放電をしています。その出入りの様子を低エネルギー電子顕微鏡で観察した結果、リチウムイオンの入り方がグラフェンの重なり方(積層構造)によって異なり、さらにその結果リチウムイオンが入っている領域を隔てる、消えない壁(トポロジカルドメインウォール)が出現することを初めて明らかにしました。
- グラフェンなどのごく薄い原子層物質の層間には原子やイオン、分子が容易に入り込んで物質の性質を劇的に変えることがありますが、具体的にどのように入り込むのか直接観察されたことはありませんでした。今回、グラフェンの積層構造が違うと、リチウムが入りやすかったり入りにくかったりすることを発見しました。さらにリチウムイオンが入るとグラフェンの積層構造が変化し、その様子が上下のグラフェン層の相対位置関係を表す、トポロジー(位相幾何学)によって支配されていることを見出しました。
- 本研究成果は、例えばリチウムイオン電池中のリチウムイオンの動きやそれに伴う電極物質の劣化のプロセスを解明することに繋がったり、原子層物質が将来の半導体素子として使われる際の材料設計指針への手がかりとなると期待されます。特に今回発見した、消えることのないトポロジカルドメインウォールは、その動きなどを制御できるため、磁気ドメインウォールによる磁気メモリのように、新規原理の不揮発メモリとしてデバイス応用できることも期待されます。
リチウムイオンがグラフェン層間に入り込むと黒い線状の“消えない壁”ができる。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の遠藤由大大学院生(研究当時/現在:NTT物性科学基礎研究所研究員)、秋山了太助教、保原麗特任研究員、長谷川修司教授らの研究グループは、重慶大学、メルボルン大学、上海科技大学、シンガポール国立大学の研究グループと共同で、シリコンカーバイド(SiC)結晶基板上に作製した炭素原子層グラフェンの層間にリチウムイオンが入り込む様子を、低エネルギー電子顕微鏡(LEEM)(注1)によってナノスケールの高分解能で観察することに成功しました。
原子層材料へ分子や原子、イオンが入り込む「インターカレーション」という現象が、具体的にどのように進むのかはこれまで長い間謎でした。そこで、研究グループはLEEMを利用してSiC上に作製したグラフェンの層間にリチウムイオンがインターカレーションされる動きをナノスケールで観察しました。その結果、インターカレーションの進行度がグラフェンの重なり方(積層構造)の違いによって異なることを発見し、そのメカニズムが、二層のグラフェンの相対的な積層関係の創り出すトポロジー(幾何学的性質)の概念によって理解でき、リチウムイオンがインターカレーションされた領域間を隔てる不揮発な(消えることのない)壁「トポロジカルドメインウォール」が存在することを初めて見出しました。
インターカレーションは大面積で積層構造を変えることができ、さらに電気的な制御も可能なのでデバイス応用に適した技術です。本研究はそのメカニズムがより一般的なトポロジーの概念を用いて説明できることを示し、さらにトポロジカルドメインウォールの動きを自由度とした新奇なデバイスへの応用が期待されるなど、原子層材料研究に新たなアイデアをもたらす革新的成果と考えます。
発表内容
〈研究の背景〉
グラフェンなどのように、原子層間が弱い力(ファンデルワールス力)で結合して積層された原子層材料は、原子層どうしをねじって積層する 「ツイスト」や、層間に異種原子やイオンを入れるインターカレーションなどが可能であり、その結果、多様な積層構造を形成できます。たとえば電気抵抗がゼロになる超伝導や、エッジのみに電流が流れるトポロジカル伝導など、劇的に性質が変化して本来のグラフェンにはない性質を示すことがあります。そのため近年では、積層構造を制御することは原子層材料における新たな物性制御の自由度とみなされ大きな注目を集めています。積層構造を変化させる(例えばツイストする)には、これまで粘着テープなどで試料小片を剥離し、相対角度を回転して再度張り合わせる機械的な方法が採られてきました。しかしこの方法では、得られる試料サイズはマイクロメートル四方程度と小さく、デバイス応用のためには不十分であり、試料形状・サイズの再現性も難しいなどの課題があります。
〈研究の内容〉
そこで、本研究ではインターカレーションに着目しました。インターカレーション法では、原子層の層間に原子やイオン、分子を挿入することで、インターカレーション前とは違う最安定な積層構造へと変えることができます。例えば、二層のグラフェンでは、AB積層(もしくはBA積層)と呼ばれる、炭素原子が各層でお互いにズレて積層する構造(図1(a))が安定な状態ですが、リチウムイオンをインターカレーションすると、炭素原子が上下層で同じ位置になるAA積層(図1(b))に変わることが知られています。しかし、リチウムイオンのインターカレーションによりAB(BA)積層からAA積層へとどのように変化するのか、その変化の様子はベールに包まれていました。
図1:(a, b)AB, BA, AA積層構造と、(c)リチウムイオンがインターカレーションするときのグラフェン層とバッファー層間の模式図
本研究で用いるSiC(0001)基板上グラフェンは、グラフェン層とSiC基板の間にバッファー層(注2)と呼ばれる絶縁体的な炭素単原子層が存在します。バッファー層はグラフェンと類似した結晶構造をもつため、グラフェン層とバッファー層を2枚の炭素原子層として利用し、リチウムイオンがグラフェン層とバッファー層の間にインターカレートする様子をナノスケールで、低エネルギー電子顕微鏡(LEEM)を用いて明らかにしました。
まずグラフェンに対しリチウム原子を真空中で蒸着すると、リチウムがイオン化して炭素原子層間にインターカレーションされていきます(図1(c))。リチウムイオンをインターカレートする前の積層構造は、LEEMの暗視野像(DF)(注3)から分かります(図2(b)上)。暗い領域(青色領域)がAB積層、やや明るい領域(赤色領域)がBA積層です。これらが交互に分布しており、AB積層とBA積層の領域が点で交わる箇所は「トポロジカル」な性質によりAA積層となります(図2(a)上)。続いてリチウム原子を蒸着しますが、開始約7分後、図2(b)のstage 1に示すように、LEEMの明視野像(B)(注3)に明るい白い点が現れます。これらは、上述のAA積層であった点状の領域であり、図2(a)下のようにリチウムイオンがまずその層間に入ることにより電子線の反射強度が変わり、明るい点として見えました。さらにリチウム原子の蒸着を続けると、図2(b) stage 2のようにAB積層だった領域にリチウムイオンがインターカレーションされて、その領域(明るい部分)が広がっていきます。続いてさらにインターカレーションが進むと、図2(b) stage 3のようにBA積層だった領域にもリチウムイオンが侵入し、殆どの領域が明るくなります。しかし、図2(b)のstage 3をよく見ると、リチウムがインターカレーションされたそれぞれのドメインは互いに結合することなく、暗い線状の領域で隔てられています。これは後述するように、リチウムがインターカレーションされた領域間を隔てる“壁”であり、そこにはリチウムが入っていません。我々はこれをトポロジカルドメインウォール(TDW)と名付けました。
図2:(a)グラフェンのAB, BA, AA積層の分布。まず初めにリチウムイオンがAA領域にインターカレーションする様子。(b)LEEM動画からのスナップショット。リチウムイオンがインターカレーションされた領域が明るく見える。(c)リチウムイオンのインターカレーションによって積層構造が変化していく様子。Stage 3の下図は、上図に対応する断面模式図。
次に、それぞれの積層構造(AA, AB, BA)において、どのくらいリチウムイオンが層間に安定して居やすいかを密度汎関数理論(DFT)計算(注4)により計算すると、AA, AB, BA積層の順に安定であることが分かりました。この結果は前述のインターカレーションが起こる順番と一致するため、この安定性の違いによってインターカレーション領域に順番が生じていることが分かりました。さらに、本実験のリチウムイオン濃度ではインターカレーションされるとすべてAA積層へと構造変化することが計算から示されました。
ここで、どのように積層構造が変化しつつリチウムイオンがインターカレーションされていくのかを、LEEM観察と分子動力学(MD)シミュレーション(注5)の結果を合わせて見ていきます。LEEM観察像(図2(b))のピンクの四角で囲った領域に対応する積層構造とインターカレーションの様子を図2(c)に示します。図2(c) stage 1のように、リチウムイオンがインターカレーションする前はAB積層とBA積層がTDWにより隔たれています。そしてリチウムイオンのインターカレーションが進むと、AB積層にリチウムイオンが侵入し、AA積層へと変化していきます(図2(c) stage 2)。更にインターカレーションが進み、BA領域にもリチウムイオンが侵入していくと、左右のTDWが中央に集まっていき、最終的に図2(c) stage 3のようにTDWを挟んで両側に大きなAA積層領域ができます。
このように、面白いことにインターカレーションが全領域に進行しても、リチウムイオンがインターカレーションした隣り合うドメインは互いに結合せず、その間にはAA積層になれない領域、TDWが存在することが分かりました(図2(c) stage 3の中央)。これは、上下の炭素原子層の間で炭素原子数にズレがあり、数学の幾何学的性質(トポロジー)によって保護されるドメイン境界であるためだと分かりました。TDWはAA積層になれないため、リチウムイオンが安定に留まることが出来ずAA積層を隔てる“壁”となり、LEEM画像で暗い線状の領域として観察されたのです(図2(b)のstage 3)。
以上をまとめると、リチウムイオンのインターカレーションは元々のグラフェン層間の積層構造分布を反映して進み、インターカレーション済みの領域はAA積層に変化することが分かりました。さらに、異なるインターカレーションされた領域はリチウムイオン量を増やしても互いに結合することなく、領域と領域の間を隔てるTDWができ、それが消えることはないことを明らかにしました。
〈今後の展望〉
本結果は、もともとのグラフェン原子層の積層の仕方とインターカレーション時のリチウムイオンの動きの関係を初めて微視的に明らかにしたものです。これはひいてはより一般にインターカレーションによって原子層材料の積層構造を制御する際のメカニズム解明の指針を与え、応用の可能性を切り拓く革新的研究成果です。今後、グラフェンに限らず本研究の知見を活かし、様々な原子層材料へと研究が展開され、ウエハースケールで積層構造を制御する手法としてより広くインターカレーション技術が確立されていくことが期待されます。さらに、今回明らかにしたグラフェン層間へのインターカレーション機構の詳細は、リチウムイオンバッテリーにおける原子レベルの現象理解を深めることにも繋がると期待されます。またTDWが頑健でインターカレーションによって動かせることから、それを利用した新奇なメモリなどのデバイスへの応用など、将来的な産業分野への貢献も期待されます。
〈関連のプレスリリース〉
「グラフェン原子層にカルシウム原子を挿れると特異な超伝導が発現」(2022/02/25)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2022/7780/
「グラフェン超伝導材料の原子配列解明に成功」(2019/11/14)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6601/
「グラフェンの超伝導化に成功」(2016/02/04)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2016/4597/
論文情報
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雑誌名 Nature Nanotechnology論文タイトル Dynamic topological domain walls driven by lithium intercalation in graphene著者 Yukihiro Endo, Xue Yan, Meng Li*, Ryota Akiyama*, Christian Brandl, Jefferson Zhe Liu*, Rei Hobara, Shuji Hasegawa, Weishi Wan, K. S. Novoselov and Wen-Xin Tang*DOI番号
研究助成
本研究は日本学術振興会の科学研究費補助金、特別研究員奨励費(課題番号:19J12818)、基盤研究(A)(課題番号:JP16H02108)、基盤研究(B)(課題番号:20H02616)の一部支援により実施されました。
用語解説
注1 低エネルギー電子顕微鏡(LEEM)
数eV~数十eVの低エネルギー電子を試料表面に入射し、試料で反射や回折等の弾性散乱をした電子を、電子光学系で拡大してスクリーンに投影し実空間像を得る電子顕微鏡。広く使われている透過型電子顕微鏡に比べ、結晶の最表面の構造を高感度に観察できる。空間分解能は2nm以下まで達する。↑
注2 バッファー層
本来は異なる格子定数を持つ結晶同士を接合させた際の、界面での格子間の歪を緩和する層のこと。ここではSiC(0001)基板表面のSi原子と結合した、グラフェンの下に位置する炭素1原子層のことを指す。このバッファー層は、グラフェンと似て蜂の巣格子状に炭素原子が並んでいるが、グラフェンと違い電気を通さず僅かに歪んでいる。↑
注3 明視野像、暗視野像
低エネルギー電子顕微鏡において、散乱・回折を受けなかった(受けた)電子線を、絞り孔を通過させて観察したものが明視野像(暗視野像)である。積層構造に応じて系の空間対称性が変わるため、電子の散乱強度が変化し、暗視野像において積層構造の違いを反映したコントラスト差を生じる。↑
注4 密度汎関数理論(DFT)計算
物質中の電子の密度の空間的な分布を仮定し、電子間の相互作用を加味して安定な状態を求めて繰り返し計算することで、物質のエネルギー分散などの様々な性質を計算する手法。電子密度と波動関数(物質の性質)には一対一の関係があるというHohenberg-Kohn定理に基づいている。↑
注5 分子動力学(MD)シミュレーション
個々の原子・分子の動きを時間軸で追跡し、全体の性質を計算するシミュレーション手法。まず分子・原子間に働く力を求め、運動方程式に従って一斉に原子・分子を動かす、という計算を繰り返すことで系全体の変化を求める。 ↑