DATE2023.05.27 #Press Releases
量子制御に新手法
――“ねじれ”で量子トンネル確率を自在に制御――
小林 研介(知の物理学研究センター 教授)
佐々木 健人(物理学専攻 助教)
中村 祐貴(物理学専攻 博士課程)
岡 隆史(物性研究所 教授)
発表のポイント
- 量子力学の黎明期から研究されているランダウ・ツェナーモデルに“ねじれ”効果を取り入れた新しいモデルを実験的に実証し、量子トンネル確率を0%からほぼ100%まで自在に制御。
- 量子トンネル効果を利用する量子制御の新手法となる。
- 量子コンピュータ、固体中のキャリア制御、核磁気共鳴など、様々な応用が期待。
本研究の概要図
発表概要
東京大学大学院理学系研究科において小林研介教授、佐々木健人助教、中村祐貴大学院生は、東京大学物性研究所の岡隆史教授、物質・材料研究機構(NIMS)の寺地徳之グループリーダーとともに、量子トンネル効果(注1)を100%に近い確率で誘起する幾何学的効果の実証に成功しました。
発表内容
<研究の背景>
私たちが日常的に経験するように、物体を障壁に向かって打ち込んでも、物体は障壁によって跳ね返されてしまいます。一方、量子力学の世界では、物体は一定の確率で障壁を通り抜けることができます[図1(a)]。これは量子トンネル効果と呼ばれる典型的な量子現象です。障壁の高さを時間的に変化させたときに量子トンネル効果の確率がどのようになるか、という問題は量子力学の黎明期から興味を持たれてきました。この問題を扱うために1932年に提案されたのがLZモデルです。このモデルでは、もともとの障壁の高さが大きければ大きいほど、障壁を変化させる速度がゆっくりであればあるほど、物体(量子状態)の量子トンネル確率が指数関数的に小さくなります。言い換えれば、量子状態を思い通りに制御したい場合、意図しない状態へ量子トンネルしないように、障壁の高さ(駆動場)をゆっくりと変化させることが必要となります。これは断熱制御と呼ばれる、現在の量子コンピュータでも必須となる考え方です。
図1:ねじれランダウ・ツェナーモデルと量子トンネル効果
(a)ランダウ・ツェナー(LZ)およびねじれランダウ・ツェナー(TLZ)モデルにおける量子トンネル効果の模式図。これらのモデルでは、障壁の高さを時間的に変化させることによって、特定の時間においてエネルギーギャップが極小値を取るようにエネルギー準位を変化させます。基底状態にある粒子(量子状態)はギャップを通り抜けて励起状態に量子トンネルします。(b)LZモデルおよびTLZモデルにおいてエネルギー準位の時間変化を引き起こす駆動場の模式図。LZモデルでは、駆動場はy方向にのみ変化します。一方で、本研究のTLZモデルの駆動場は、LZモデルの駆動場にz方向に放物線的に変化する駆動場を追加し“ねじれ”させたものです。このねじれは曲率κ_∥に応じて変化し、量子トンネル確率を幾何学的に変調します。
<研究の内容>
研究グループは、ダイヤモンド中の単一の窒素空孔中心の電子スピンを量子二準位系として利用し、この幾何学的効果を世界で初めて実証しました。マイクロ波パルスを調整することによって駆動場における幾何学的効果を制御し、量子トンネル確率を精密に測定しました[図2(a)]。その結果、予言されていた駆動場の向きに依存する量子トンネル確率を実験によって検出することに成功しました。制御する方向によって量子トンネル確率の振る舞い方が異なることは、これまでのLZモデルでは生じえない、興味深い新現象です。また、駆動場の速度やねじれによって量子トンネル確率を自在に制御できることも分かりました。特に、さまざまな駆動場において完全トンネルを詳しく調べ、平均95.5%という高い確率で量子トンネル効果を実現しました。通常、量子的な状態は確率的な振る舞いをするため、思い通りに制御することが難しいのですが、工夫次第で100%近い確率で状態を制御できるという事実は重要です。さらに、今回の実験を通して、理論で調べられていた範囲よりもずっと広い条件で幾何学的効果が大きな役割を果たすことも分かりました。
<今後の展望>
本成果は、古くから知られるLZモデルに新手法を導入することによって、量子トンネル効果を高確率で実現できることを実証したものです。本研究は、様々なエネルギースケールの量子系で普遍的に生じるダイナミクスの理解やその制御方法を提示し、量子コンピュータ、固体中のキャリア制御、核磁気共鳴など、量子制御分野の今後の研究に幅広く貢献します。
図2:幾何学効果の観測とメカニズム
(a)量子トンネル確率の比較。LZモデルにおける量子トンネル確率は、駆動場の向き(掃引速度Fの正負に対応します)を変えても左右対称に振る舞います(中段のグラフ)。一方で、TLZモデルにおける量子トンネル確率は駆動場の向きに対して非対称に振る舞います(上段と下段のグラフ)。完全トンネル条件F_PT(上段と下段のグラフに縦の黒点線で示した)付近において、量子トンネル確率は100%に近い値を示します。曲率κ_∥の符号によって駆動場の速度に対する振る舞いが反転します。本実験によって、実際の量子系においても理論の予言どおりの理想的な量子トンネルの幾何学的効果が現れることが証明されました。(b)幾何学的効果のメカニズム。完全トンネル条件(左図)では、放物線的に変化するyz面内の駆動場 (黒実線、黒矢印)がx方向のギャップに対して反時計回りにねじれます。最初、スピン(赤矢印)は駆動場と平行になっていますが、エネルギー極小点近傍では、駆動場から外れて量子トンネル効果が起こります。この極小点近傍では、x方向のギャップによってスピンは反時計回りの運動が加速します。その動きが駆動場のねじれと同期すると、駆動場に対してスピンが完全に反転します。これが完全トンネルに対応します。一方、掃引速度の符号を反転させると、yz面内の駆動場のねじれが時計回りになります(右図)。極小点付近では、x方向のギャップがスピンを反時計回りに運動させようとするため、駆動場のねじれによって生じるスピンの時計回りの動きが抑制されてしまいます。駆動場に対してスピンが完全には反転しなくなるため、極小点を過ぎた後のスピンは乱れた動きをします。
論文情報
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雑誌名 Physical Review A 論文タイトル Demonstration of geometric diabatic control of quantum states著者 Kento Sasaki∗, Yuki Nakamura, Tokuyuki Teraji, Takashi Oka, and Kensuke Kobayashi∗
DOI番号
研究助成
本研究は、文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究(研究領域提案型)「量子液晶の制御と機能」(JP19H05826)、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)、JP19H00656)、基盤研究(B) (JP23H01103, JP20H02187)、基盤研究(C) (JP22K03524)、基盤研究(S) (JP20H05661)、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラムQ-LEAP (JPMXS0118068379)、JST CREST (JPMJCR19T3, JPMJCR1773)、ムーンショット型研究開発事JPMJMS2062) 、総務省委託事業グローバル量子暗号通信網構築のための技術開発(PMI00316)、東京大学次世代知能科学研究センターの補助を受けて行われました。本研究の一部は、文部科学省「マテリアル先端リサーチインフラ」事業(課題番号JPMXP1222UT1131)の支援を受けて実施されました。
用語解説
注1 量子トンネル効果
粒子が障壁を通り抜けて移動する普遍的な量子現象です。粒子ではなく「状態」が別の状態に移動(遷移)する場合でも量子力学では全く同じ取り扱いが可能で、このときも量子トンネル効果と呼びます。量子コンピュータの基本素子である量子ビット、高感度磁気センサ、フラッシュメモリなど、様々な技術にこの現象が関わっています。↑
注2 量子二準位系
二状態からなる量子系のことで、量子ビットとも呼ばれます。自由電子や陽子のスピンなどが該当します。本研究では、ダイヤモンド中の単一の窒素空孔中心の電子スピンを量子二準位系として用いました。エネルギーが低い方の状態を基底状態、高い方の状態を励起状態と呼びます。↑
注3 窒素空孔中心
ダイヤモンド中に存在する欠陥の一つです。ダイヤモンド格子を作る炭素原子が一つ窒素原子に置き換わり、その隣の炭素原子が無くなった(空孔になった)ペアのことを指します。窒素(Nitrogen)と空孔(Vacancy)を略してNV中心とも呼ばれます。本研究では特に負に帯電した状態のみを利用しています。緑色光を照射すると赤色の発光を示します。この光学遷移は電子スピンと密接に関わっているため、そのスピン状態を初期化したり読み出したりできます。↑
注4 電子スピン
電子は電荷を持っていますが、それ以外にスピンという量も持っています。スピンがあるために1つ1つの電子は小さな磁石のように振る舞います。↑
注5 量子物質
トポロジカル絶縁体、ディラック電子系など、量子力学的な振る舞いが重要となる物質群を指します。↑