DATE2022.12.09 #Press Releases
クォーク閉じ込め問題への新しいアプローチの提唱
― 高温弱結合系における新奇物質相の発見 ―
陳 実(物理学専攻 博士課程)
嶋田 侑祐(物理学専攻 修士課程)
福嶋 健二(物理学専攻 教授)
発表のポイント
- 原子核素粒子物理学のクォーク閉じ込め問題は未解決の難問だが、虚数角速度を取り入れると摂動的な計算により容易に閉じ込め相に到達できることを示した。
- 虚数角速度を通して、未解決の低温強結合系における閉じ込め相へと、高温弱結合側から解析計算によってアプローチできることを指摘した。
- 本研究の成果は積年の問題であるクォーク閉じ込めの研究に対して新たな指針を与え、さらに原子核衝突実験、初期宇宙、天体等で実現される高速回転する高温密度物質の性質の解明に貢献するものと考えられる。
発表概要
原子核を形作る中性子と陽子は、現代物理学では、クォークとグルーオンと呼ばれる素粒子が束縛したものだと考えられています。クォークやグルーオンが単体で観測されたことはなく、これらを閉じ込めておく機構の解明は、現代物理学の未解決問題の一つです。クォーク閉じ込め機構のヒントを得るために、原子核を高エネルギーで衝突させ、クォーク・グルーオン・プラズマ(注1)を実験的に生成する研究が長年にわたって続けられてきました。特に近年では中心軸からずれた原子核衝突では、自然現象ではあり得ないような大きな角速度を持った高温物質が生成されることが実験的に確認され注目を集めています。
東京大学大学院理学系研究科の陳実大学院生、嶋田侑祐大学院生、および福嶋健二教授は、理論的に虚数の角速度を考え、虚回転する高温物質がクォーク閉じ込めの性質を持つことを示しました。従来は相転移のために高温物質研究から低温のクォーク閉じ込め相へと肉薄することは困難でしたが、本研究により、虚回転する仮想世界が、高温側から相転移なく閉じ込め相にアクセスできるバイパスであることが見出され、今後の閉じ込め機構解明に向けた新しい道筋がつけられました。本研究成果は、Physical Review Letters 誌に掲載決定され、Editors’ Suggestionに選ばれました。
研究の背景
自然界には4つの力の種類があり、原子核を構成するクォークとグルーオンの相互作用は「強い相互作用」と呼ばれ、量子色力学(Quantum Chromo Dynamics, QCD)という場の量子論に従います。もしQCDを解くことができれば、もともと殆ど質量のないクォークとグルーオンから構成される中性子や陽子等の粒子が、実験で観測されるような質量を獲得するメカニズムを、理論的に解明することができます。ところが強い力は、他の3つの力とは違って結合定数 (注2) が大きいために、摂動計算(注3)がを実行できないので、理論計算から質量の起源やクォーク・グルーオンの閉じ込めを導くことは、現代物理学の未解決の難問です。一方、QCDは大きな相互作用エネルギーに対して結合定数が小さくなる性質(漸近的自由)をもっており、高温極限や高密度極限では質量が消失したり閉じ込めが失われたりする相転移のあることが分かっています。このような相転移に関して、相対論的原子核衝突実験によって相図が調べられており、図1に模式的に示すようなQCD相図の様相が少しずつ理解されてきました。最近では、原子核が衝突中心軸から互いにずれて衝突するときには、1秒間に1022 回転という大きな角速度をもつ高温物質が生成されることが、観測粒子のスピン偏極測定によって確認されており、QCD相図に対する回転の効果が大きな関心を集めています。ところが角速度を取り入れると「符号問題(注4)」という深刻な困難により、摂動計算に頼らない理論解析が複雑になってしまい、角速度の効果について複数のグループから矛盾する計算結果が報告される等、理解が不十分な状況でした。
図1:クォーク・グルーオン物質の相図の模式図。高温・高密度(曲面の上側)では非閉じ込め相が実現する。実数角速度の効果は高密度と同様だと考えられている。本研究では虚数角速度を考えることで、高温にもかかわらず摂動的に閉じ込めが実現する新奇物質相を見出した。この新奇物質相は低温・低密度の閉じ込め相と連続的につながっていると予想される。
研究内容
原子核衝突実験で生成されるような高速回転した物質の性質を数値計算によって解き明かすためには、符号問題を回避するために一旦、角速度を虚数にした仮想世界を経由する必要があります。例えば、通常の世界では時間と空間は区別されていますが、時間を虚数にとった仮想世界では虚数時間はあたかも空間の一部のように見なせます。本研究グループでは、虚数角速度が、虚数時間と同じように空間の性質と見なせることを指摘し、十分な高温状態に対して信頼できる理論計算を実行しました。角速度がない場合の摂動計算はグロス(注5) たちによって1980年代から調べられており、高温で閉じ込めが失われるメカニズムも理解されています。すなわち、閉じ込めを引き起こすような背景ゲージ場(真空に自発的に誘起されるグルーオン)の関数としてポテンシャルエネルギーを計算すると、図2のように、背景ゲージ場がゼロとなるときにエネルギーが最も小さくなります。つまり摂動計算が役に立つような十分な高温状態では常に背景ゲージ場がゼロとなり、非閉じ込め相が最も安定になるのです。実際、先行研究により、約2兆度を超える超高温ではクォークとグルーオンが閉じ込めから解放されていることが知られています。ところが本研究の計算により、虚数角速度を大きくしていくと、ある臨界値でポテンシャルエネルギーが反転して、図2に示すように閉じ込め相に対応する非自明な背景ゲージ場の値がエネルギーを最小にすることが分かりました。
図2:本研究で摂動的に計算した背景ゲージ場の関数としてのポテンシャルエネルギー。虚数角速度がゼロの場合には、背景ゲージ場が消える自明な非閉じ込め相でエネルギーが最低になるが、虚数角速度が大きくなると閉じ込め相の方が安定化する。
臨界値以上の虚数角速度に対しては、2兆度を超えてどれだけ温度を高くしてもクォーク閉じ込めが実現しており、こうした直感に反する性質をもつ新奇物質相の発見は、弱結合の高温状態では閉じ込めが失われるという常識を覆す発見です。
研究の意義
高温高密度のクォーク・グルーオン物質から閉じ込めの性質を調べるためには、相転移を超えないと閉じ込め相にアクセスできないため、従来の摂動計算には限界がありました。本研究によって、虚数角速度をもつ仮想世界を経由することで、クォークとグルーオンの閉じ込め現象について、信頼性の高い摂動計算のできる高温側から、未解決問題となっている低温側へと相転移なくアクセスできる可能性(図1の矢印)が示され、閉じ込め機構の解明に向けて全く新しい研究の可能性が開拓されました。今後は、角速度を虚数から実数へと滑らかに変化させて仮想世界から実世界へと適用範囲を拡張することで、原子核衝突実験のデータ解析や高速回転する天体の構造計算への応用も期待されます。
本研究は、科研費「挑戦的研究(萌芽)(課題番号:19K21874)」、「基盤研究(B)(課題番号:22H01216)」の支援により実施されました。
発表雑誌
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雑誌名 Physical Review Letters論文タイトル Perturbative Confinement in Thermal Yang-Mills Theories Induced by Imaginary Angular Velocity著者 Shi Chen* , Kenji Fukushima, and Yusuke Shimada*DOI
用語解説
注1 クォーク・グルーオン・プラズマ
クォークとグルーオンが中性子や陽子等の粒子に閉じ込められているのではなく、プラズマ状にバラバラになった高温物質のこと。↑
注2 結合定数
力の強さを表す無次元の物理定数。↑
注3 摂動計算
結合定数が十分に小さいときには、相互作用の効果を摂動と見なして、物理量を結合定数で展開する手法が確立しており、このような手法を摂動計算という。↑
注4 符号問題
量子効果を取り入れるための数値積分を実行する際に、被積分関数の符号が激しく振動して数値計算が著しく困難になる問題。 ↑
注5 グロス
ディヴィッド・グロス(David Gross, 1941-)アメリカの理論物理学者。QCDの漸近的自由の発見により、ウィルチェック、ポリッツァーとともに2004年、ノーベル物理学賞を受賞。↑