DATE2026.09.29 #Press Releases
ヒトとAIの共同研究
―化学反応速度:176年目の改革―
発表のポイント
- 化学者の実験データに基づき機械学習(AI)が提供する収率予測データから反応速度定数を抽出する手法「CYAN」を開発。
- 1850年以来、反応速度定数を求める際、化学反応の時間変化を追跡してきたが、本研究では収率の基質濃度依存を解析することで反応速度定数を決定できることを発見した。
- 基礎化学分野のみならず、反応速度論が重要な役割を果たす化学工業や生命科学など、幅広い分野への貢献が期待される。
濃度依存収率解析法の概念図:化学反応の結果の違いを反応速度定数により定量的に解き明かす
概要
東京大学大学院理学系研究科の磯部寛之教授らによる研究グループは、生成物の収率(原料から目的生成物が得られる割合)が原料の濃度によって変化することに着目し、化学反応を特徴づける反応速度定数(注1)の新しい決定法「CYAN」を開発しました。反応速度定数は、1850年にはじめて登場して以来、176年に亘り、化学工業や生命科学など幅広い分野で活用されています。反応速度定数は、従来、化学反応の時間変化を追跡して決定されてきました。原理的には原料の濃度に依存した収率からも決定できますが、この方法では、多数の収率データが必要となるため、実用的な手法とは考えられてきませんでした。今回、化学者が少数の実験データを入力すれば、機械学習(AI)が多数の収率予測データを提供できることに着目し、さらにそこに化学者が考案した反応速度式を適用することで、反応速度定数を決定することに成功しました。本成果は、反応速度定数を簡便に求める新たな手法として、幅広い分野での活用が期待されます。
本研究成果は、9月27日付で国際学術雑誌「アドバンスト・サイエンス(Advanced Science)」誌のオンライン版に掲載されました。
図1:ヒトと機械学習(AI)の共同研究
まずヒトが実験を行い基本となる収率データ(少数データ)を確保、それに基づき機械学習が収率分布図(多数データ)を作成する。この過程により収率を最大化するように実験条件が最適化される。次にヒトは多数データのなかから濃度依存性の収率データを抽出し、それを解釈するための反応速度式を考案する。回帰分析法によりデータと反応速度式を照らし合わせることで最終的に反応速度定数が決定される。ヒトが最初の実験を行い、機械学習がデータ補強のためのモデルを提供、そして従来、ブラックボックスであった機械学習モデルの中身をヒトが速度論を用いて考え、再解釈するという共同研究が成立する。この手法は「CYAN(濃度依存収率解析法)」と名付けられた。
発表内容
現代化学や化学工業では、「収率」が化学反応の善し悪しを測るための重要な指標として用いられています。「収率」は化学反応に用いた原料が、どれくらいの割合で生成物に変換されたかを示す数値で、最大値となる100%に近いほど、目的の生成物を効率よく合成・製造できたことを意味します。化学反応を実施する際には、収率を最大にするために実験条件を最適化します。
磯部教授らの研究グループは、まず、機械学習(AI)を導入することで反応条件の最適化を行う手法を開発しました。この手法では、化学者がいくつかの実験データを準備し、それに基づいて機械学習が多数の収率予測データを提供します。化学者は提案された最適条件を用いて合成実験を行い、「収率を最大化する」という目的を達成するとともに機械学習のモデルの妥当性を確認します。この手法によって合成実験の最適化という目的は果たせるのですが、通常、機械学習の予測過程はヒトには理解できず、「過程・中身は理解できないが答えは得られる」という「ブラックボックス」のようなものとして働きます。磯部教授らの研究グループでは、今回、提供される収率データに濃度依存性に関する情報が含まれることに着目しました。そして、この機械学習が提供する多数の濃度依存収率データに化学者が考案した反応速度式を適用すれば、化学反応の反応速度定数を決定できることを見いだしました。研究グループは、この新手法を「濃度依存収率解析(concentration-dependent yield analysis: CYAN)」と名付けています。
反応速度定数の決定法としては、1850年にドイツの化学者ルードヴィッヒ・ヴィルヘルミーが案出して以来、化学反応の時間変化を追跡する手法が、これまで用いられてきました。この実験は、合成反応での条件最適化実験とは別個に行われます。CYANは、条件の最適化実験で得られる収率データを活用するだけで、反応速度定数を決定する新しい手法です。この研究では、機械学習が提供するデータを、ヒトが考案した反応速度式を用いて再解釈しており、ヒトと機械学習の「共同研究」の新しいかたちを示したものともなります。
1850年のヴィルヘルミーの研究は、世界で初めて反応速度定数を明らかにしたものでしたが、その研究対象にはお菓子製造に今でも用いられる「転化糖」の生成過程が取り上げられていました。磯部教授らの研究グループでは、この176年前の実験で、ヴィルヘルミーが濃度依存収率データを数点残していたことに気がつきました。そこで今回、ヴィルヘルミーのデータを機械学習により補強し、CYANにより解析することで反応速度定数を決定しました。すると、この176年前のデータから得られた反応速度定数が、21世紀に最新の分析手法を用いて決定された反応速度定数と一致することがわかり、CYANの有効性が実証されました。本成果は、反応速度定数を簡便に求める新たな手法として、幅広い分野での活用に加え、機械学習の新たな活用法の好例として、さらなる発展が期待されます。
図2:反応速度定数を決定するための手法
従前法:化学反応の時間変化を追跡して各時間での収率データ点(●)を取得し、反応速度式の理論が与える収率予測点(×)との差が最小になるように反応速度定数を決定。CYAN:濃度依存の収率データ点(●)を取得し、そこから反応速度式の理論の時間発展が与える収率予測点(×)を解析し、それらの差が最小になるように反応速度定数を決定。
関連情報
磯部寛之教授らの研究グループの関連研究成果は下記ホームページをご覧ください。
https://physorg.chem.s.u-tokyo.ac.jp/
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院理学系研究科 化学専攻
磯部 寛之 教授
肖 欣怡 博士課程学生
池本 晃喜 准教授
福永 隼也 助教
仁科 秀映 博士課程学生
論文情報
-
雑誌名 Advanced Science 論文タイトル Integrating kinetics into synthetic studies via adaptable concentration-dependent yield analysis著者 肖 欣怡†、池本 晃喜†、福永 隼也†、仁科 秀映、磯部 寛之(†これらの著者らの貢献度は同等である) DOI 10.1002/advs.77694
研究助成
本研究は、科研費(課題番号:25H00003、26K01485、26K17832)、JSTさきがけ(JPMJPR24M1)、JST ACT-X(JPMJAX23DI)の支援により実施されました。また、博士課程学生はJST SPRING(JPMJSP2108)の支援を受けています。
用語解説
注1 反応速度定数
化学反応に関与する原料や生成物などの量は、時間に依存して変化する。この際、各成分量の時間変化率を表すのが反応速度と呼ばれる物理量であり、反応速度定数を含む反応速度式により記述される。反応速度定数は濃度や時間に依存しない定数であり、化学反応の特徴を表す数値となる。 ↑

