DATE2026.04.20 #Press Releases
動物の学名における「ギリシア語志向」を解明
命名慣習に潜む歴史的支配と文化的バイアスの定量化
発表のポイント
- 軟体動物全 773 科の科名を調査し、約 72%がラテン語ではなく古典ギリシア語に由来することを明らかにしました。
- 19 世紀後半に古典ギリシア語由来の学名が急増し、「分類学的ギリシア主義(Taxonomic Graecism)」とも呼べる支配的状態に達したことを発見しました。
- 学名が単なる中立的な符号ではなく、欧州中心主義、古典教育、さらには「自国民を優先して称える」といった社会的なネットワークに深く影響されている実態を浮き彫りにしました。

軟体動物の科名における命名法調査:観察した標本の一部(左)と系統関係整理の様子(右)
概要
東京大学総合研究博物館の吉村太郎 博士(研究当時:東京大学大学院理学系研究科 博士課程)は、軟体動物の科名を対象とした網羅的な語源分析を通じて、命名慣習における「分類学的ギリシア主義(Taxonomic Graecism)」という概念を提唱しました。
本研究では、学名の語源と著者データを統合的に解析することで、本来「科学の中立的な公用語」とされるはずの学名が、西欧における古典教育や学術的権威付けの影響を強く受けていることを世界で初めて定量的に示しました。分析の結果、ラテン語(26.1%)に対して古典ギリシア語(71.8%)が圧倒的に優位であり、この傾向は19世紀後半に急増した後、言語的極相(linguistic climax:(注1))として定着したことが示されました。この嗜好は著者の出自と統計的に関連しており、英国やドイツの研究者は、フランス、イタリア、あるいは米国の研究者に比べて古典ギリシア語の語根を採用する傾向が有意に高いことが明らかになりました。さらに、命名慣行には特有の社会学的バイアスも見られ、自国の研究者らを優先して称える同質嗜好性(注2)が強いことが判明しました。これらの知見は、分類学が純粋に客観的な行為であるという認識に疑問を投げかけるものであり、歴史的なヨーロッパ中心主義、古典教育、そして男性中心の閉塞的な学術ネットワークがいかに生物多様性を記述する言葉の世界を形作ってきたかを浮き彫りにしています。

図1:学名におけるギリシア語利用の具体例と文化的背景
A.Tomichia 属 (Benson, 1851) の原記載からの抜粋。属名は、殻頂が「切断されたような(τομικός)」形状をしていることに由来する。本来、二重字「ch」は慣例的にギリシア文字のカイ(χ)を表すために用いられる。しかし、本属の語源にはカッパ(κ)が含まれるため、通常のラテン語化の手順に従えば「c」または「k」と綴るのが一般的である。したがって、ここでの「h」の挿入には、擬似的なギリシア語化の意図が窺える。B.ギリシア神話の海神トリトン(Τρίτων)に因んで命名されたTriton 属 (Montfort, 1810)。C.ギリシア神話に登場する王女セメレー(Σεμέλη)に因んで命名されたSemele 属 (Schumacher, 1817)。D. Argonauta 属 (Linnaeus, 1758)が描かれた古代ギリシアの水瓶(Poros Ewer)。E. Pinna 属 (Linnaeus, 1758)があしらわれた古代ギリシアの硬貨。
発表内容
学名は、全世界で共通して生物を特定するための客観的なツールとみなされています。しかし、その命名プロセスには著者の主観や時代背景が反映される余地が多分に残されています。これまで、特定の分類群における命名の偏り(ジェンダーや地理的偏向)に関する研究はありましたが、古典語(古典ギリシア語・ラテン語)の選択がどのような歴史的・社会的背景に基づいているかを定量的に分析した例はほとんどありませんでした。
本研究では、18世紀から現在までに命名された軟体動物の科名のうち、現在有効な773科を対象に、語源の徹底的な調査を行いました。その結果、以下の点が明らかになりました。
* ギリシア語の圧倒的優位: 語源が判明した学名のうち、71.8%が古典ギリシア語に由来しており、ラテン語(26.1%)を大きく上回っていました。その理由の一つとして、著者の属性に関わらず、形態や生態を表す学名に使用割合が高いことから、具体的な特徴を記述するための接頭辞・接尾辞の組み合わせが多様であるという古典ギリシア語の特徴が挙げられます。
* 「言語的極相」への遷移: 19世紀前半まではラテン語と古典ギリシア語の利用は拮抗していましたが、19世紀後半に古典ギリシア語が急増し、その後現代に至るまで70%以上の高いシェアで安定するという、非線形な遷移パターンが確認されました。
* 衒学的命名(注3) : 本来の語源では不要な「h」を挿入して(例えば、Tomichia 属;図1A)、学名をより「ギリシア語らしく」見せようとする、学術的な権威付けを目的とした擬似的ギリシア語の事例も特定されました。
* 社会的同質性: 人名に因む学名(eponym)において、著者が自国の科学者を称える割合が有意に高く、学名の命名が閉鎖的な国内ネットワークの影響を受けてきた実態が判明しました。
これらの結果は、純粋に客観的な科学であるべき分類学における命名が、西欧の学統や社会風土に根ざした「文化的なシステム」のバイアスに強く影響を受けていることを示唆しています。本研究は、260年以上にわたる命名の歴史に潜むバイアスを可視化することで、現代の生物多様性を把握する営みにおいて、より多様な言語や文化を反映させた、包括的な命名慣習へと進化していくための基盤を提供します。

図2:軟体動物における命名慣習の時代的変遷
箱ひげ図は、学名に使用された語源の年代を示しています。歴史的な古典語(ギリシャ・ラテン語)の独占的状態から、より多様性に富んだ命名のあり方へと移行していく過程を可視化しています。
発表者・研究者等情報
東京大学総合研究博物館
研究事業協力者 吉村 太郎 博士
研究当時:東京大学大学院理学系研究科 博士課程
論文情報
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雑誌名 Zoological Journal of the Linnean Society 論文タイトル Taxonomic Graecism: The historical hegemony of Ancient Greek and cultural bias in molluscan family nomenclature著者 Taro Yoshimura DOI 10.1093/zoolinnean/zlag053 研究助成
本研究は資金を用いずに実施されました。
用語解説
注1 言語的極相(Linguistic climax)
生態学において、時間の経過とともに植生が変化することが最終段階に達し、周囲の環境条件と均衡して安定した状態を指す極相(クライマックス)という概念を、言語慣習に応用した本研究独自の表現。本研究では、19世紀後半に古典ギリシア語を優先的に用いる命名スタイルが急増した後、それが「正しい学名の姿」として学界に深く浸透し、現在に至るまで揺るぎない標準的な慣習として固定化された状態を指しています。 ↑注2 同質嗜好性(Homophily)
社会学の用語で、自分と似た属性(国籍、言語、教育背景、性別など)を持つ他者を好み、結びつきを強めようとする心理的・社会的な傾向のこと。本研究の文脈では、研究者が自身の発見した生物に人名を献名(eponym)として付ける際、純粋な業績の多寡だけでなく、自国や自身の所属するコミュニティに近い人物を無意識あるいは意図的に選んでいるという、命名における「身内びいき」的なバイアスを指しています。 ↑注3 衒学的命名(Scholarly affectation in naming)
知識をひけらかすような、誇示的な命名。本研究では、語源的に不要な「h」を挿入してギリシア語風の綴りに仕立てる擬似的ギリシア語志向(pseudo-graecism)などの事例を指す。新渡戸稲造は著書『武士道』の中で、真の知行合一を伴わない知識の蓄積を「衒学」と呼び、空疎な虚飾として戒めた。本研究で見出された「格好をつけるための綴り」は、分類学が純粋な記述を超え、学術的な権威や審美性を誇示する「衒学」の一面を持っていたことを示唆している。↑

