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Press Releases

DATE2025.08.20 #Press Releases

細胞内生体分子の熱泳動の可視化に成功

—— 細胞内流動性と生命現象の関連に迫る新たな計測法を開発  ——

発表のポイント

  • 独自に開発した分子振動光熱顕微鏡を用いて、生きた細胞内での生体分子の熱泳動(高温領域から低温領域へ分子が移動する現象)を世界で初めて可視化しました。
  • 細胞質において、通常の熱泳動とは逆に低温側から高温側へ分子が移動する特異な現象を観測しました。また、細胞死の進行に伴い、熱泳動が消失していく様子も捉えました。
  • 本技術により、生体分子の拡散性や流動性と生命現象との関係を、生きた細胞内で新たな視点から解析する道が開かれます。


分子振動光熱顕微鏡による細胞内生体分子の熱泳動可視化の概念図


発表概要

東京大学大学院理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構の戸田圭一郎特任助教と井手口拓郎准教授らの研究グループは、分子振動光熱顕微鏡(注1) を応用し、細胞内に形成される温度勾配に伴う生体分子の熱泳動現象を可視化することに世界で初めて成功しました。この顕微鏡を用いて、細胞内の核と細胞質における拡散係数とソレー係数(注2)を定量的に測定したところ、細胞質では核とは逆方向、すなわち低温側から高温側へ分子が輸送される特異な挙動が観察されました。さらに、細胞死の進行に伴って熱泳動が抑制される現象も確認され、細胞の内部環境変化と分子の流動性の関連が示唆されました。この成果は、細胞内における分子の動態と生命現象との関連を明らかにする新たな手がかりとなるとともに、分子振動顕微鏡の応用範囲を拡張する重要な一歩です。

発表内容

分子振動を利用した顕微鏡技術は、ラマン散乱や赤外吸収といった分子の振動過程を捉えることで、標識なしに化学情報を取得できる手法として、生命科学や医療の分野で注目されています。従来は、ラマン散乱光や赤外光の吸収そのものを計測していましたが、井手口准教授らが開発した分子振動光熱顕微鏡では、分子振動による赤外光吸収が引き起こすわずかな温度上昇に伴う屈折率の変化を検出することで、間接的に化学的なコントラストを得ています(下記、関連情報参照)。本研究では、この検出メカニズムをさらに応用し、赤外光の照射により細胞内に誘起された定常的な温度勾配を利用して熱泳動を発生させ、生体分子の質量濃度の変化を光回折トモグラフィ(注3)で可視化することに成功しました。これにより、これまで人工的な環境でしか調べられなかった生体高分子の熱泳動現象を、生きた細胞内で直接観測できるようになりました。

本手法により、細胞内での分子の拡散係数とソレー係数の定量的な評価が可能となりました。また、細胞質では核とは逆方向、つまり低温側から高温側へと分子が移動する熱泳動が観察されました(図1)。この挙動は、熱泳動で移動した小分子が周囲の高分子を押し出すことで逆方向の輸送を引き起こす「拡散泳動」を誘起した可能性を示しています。さらに、二酸化炭素供給を止めた条件下で長時間観察を行ったところ、数時間経過後に熱泳動が顕著に低下する現象が確認されました(図2)。これは、細胞死の進行に伴う分子の凝集によって、細胞内部がガラス化(注4)している可能性を示唆しています。

本研究で開発されたイメージング技術は、細胞内における熱泳動の動態を非標識かつ定量的に解析可能にするものであり、分子振動顕微鏡の新たな応用範囲を切り開くものです。従来は難しかった、細胞内分子の流動性や拡散性といった物理的性質を可視化することで生命現象を探る新たな生命科学研究が可能になると期待されます。

図1:細胞内の異なる領域(核/細胞質)を加熱した際の熱泳動の挙動 
a核を加熱した場合、b細胞質を加熱した場合。(左)屈折率分布に温度変化分布を重ねて表示した画像。(中央)生体分子の質量濃度変化の空間分布。(右)加熱スポット中心における生体分子質量濃度の時間変化。

図2 :細胞死の進行に伴う熱泳動の変化
観察開始(二酸化炭素供給停止)直後および5時間後の比較。a (左)屈折率画像。(右)生体分子の質量濃度変化の空間分布。b加熱スポット中心における生体分子質量濃度の時間変化

 

関連情報
「世界最高速の単一細胞中赤外顕微イメージングを実現 ――非標識で細胞内分子動態のリアルタイムビデオ撮影が可能に――」(2023/07/19)
「世界最高の空間分解能を持つ中赤外顕微鏡を開発 ――約100ナノメートルの空間分解能で分子振動分布の可視化が可能に――」(2024/04/17)

発表者・研究者等情報

東京大学大学院理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構
  戸田 圭一郎 特任助教、井手口 拓郎 准教授

論文情報

雑誌名 Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
論文タイトル
Ludwig-Soret microscopy with vibrational photothermal effect
著者 Keiichiro Toda, and Takuro Ideguchi* *責任著者
DOI番号 10.1073/pnas.2510703122

研究助成

本研究は、科研費「基盤研究(A)(課題番号:23H00273)」、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR236C)、精密測定技術振興財団の支援により実施されました。

用語解説

注1  分子振動光熱顕微鏡
赤外光による分子振動吸収に伴う温度上昇で生じる屈折率変化を可視光で検出し、赤外吸収に基づく化学コントラストを1マイクロメートル以下の空間分解能で可視化する赤外超解像顕微鏡技術。

注2  ソレー係数
熱勾配により生じる分子の移動(熱泳動)の方向と大きさを表す係数。熱泳動は「ソレー効果」とも呼ばれる。

注3  光回折トモグラフィ
さまざまな角度から試料に光を照明して得られる回折光パターンを記録し、計算機による逆問題解析を通じて、試料内部の三次元的な屈折率分布を可視化する可視光顕微鏡技術。

注4  ガラス化
細胞内環境の流動性が失われ、ガラスのように固化した状態。