DATE2025.05.20 #Press Releases
代謝ダイナミクスの応答性とネットワーク構造の関係に新たな知見
発表のポイント
- 大腸菌代謝の微分方程式モデルを用いて、代謝反応の外部からの摂動に対する応答性を解析。
- ATPなどの補酵素のダイナミクスと、代謝ネットワークの特徴的な構造が応答性に重要であることが明らかになった。
- 代謝系の頑健性をネットワーク構造から評価する指標の開発の基礎となることが期待される。
代謝ネットワークの微分方程式モデルを用いた応答性解析
発表概要
今回、東京大学大学院理学系研究科の姫岡優介助教と古澤力教授は、大腸菌代謝の微分方程式モデルを用いて、代謝状態が外乱などを受けた場合の「応答の強さ」を決める因子の研究を行なった。その結果、代謝状態が外乱に対して強い応答を示すには①ATP(注1) などの補酵素のダイナミクス、②ネットワーク構造が疎(代謝物に対して代謝反応数が少ない)である、という2つの要素が重要であることが明らかになった。
本研究成果は、「どのような反応系ならば外乱に対しても頑健に機能し続けることができるのか」を明らかにするために重要な数理的基礎研究であり、化学的な細胞の合成を目指す合成生物学研究や、微生物の代謝反応系を改変して有用物質の生産を目指す代謝工学の分野における貢献が期待される。
発表内容
我々の身体を構成する細胞一つひとつの内部には、1,000種類を超える化学物質が存在しており、同じく1,000種類を超える化学反応によって絶えず相互に変換されている。1,000種類を超える化学反応がお互いに協調して機能している、ということそれ自体が極めて不思議なことであるが、そのようなことがなぜ可能なのかはほとんど分かっていない。本研究においては、大腸菌の代謝状態が外乱に対してどのように応答するのか、その応答性は代謝系のどのような性質に起因するのかということの解明を目指した。
本研究では、大腸菌代謝の微分方程式モデルを複数用いて、モデルの外乱への応答性を計算機シミュレーションにより調べた。代謝系においては標準的なモデルはまだ無く、解明したい実験内容に応じて異なる数理モデルが立てられている。そのため、ある特定の代謝モデルに関して成り立つ現象が、他の代謝モデルには成り立たないということが往々にして考えられる。そこで本研究では代表的な3つの代謝モデルの応答を比較し、共通して成り立つ性質を調べるという戦略を採用した。
本研究では、大腸菌代謝の微分方程式モデルをまず定常状態(注2) に緩和させたあと、代謝物質の濃度をランダムに変化させ(「摂動」と呼ぶ)、再び代謝系を時間発展させるとどのような応答を示すかを調べる、というものである。この『摂動-応答解析』の結果3つのモデルいずれも共通して、最終的には元の状態に戻るものの、その途中で初期摂動の数百倍の応答を示す「強い応答」を示すことが明らかになった(図1)。興味深いことにこの「強い応答」は、大腸菌の代謝動力学モデルのような、実際の代謝系の忠実なモデルに特徴的に見られるものであり、ランダムなネットワークを代謝反応系と見做すような単純化した代謝系のモデルからは生じないことが分かった。
この「強い応答性」は大腸菌代謝ネットワークのどのような構造的特徴から生み出されているのかを調べるために詳細な解析を行ったところ、
1. エネルギー補酵素であるATP,ADP,AMPのダイナミクス
2. 代謝反応ネットワークが疎なネットワークとなっていること
の2点が重要であることが明らかになった。代謝ネットワークは疎なネットワーク(反応による代謝物同士の繋がりが少ない)であるため、ほとんどの代謝物質は2つか3つ程度の化学反応にしか参加していない。しかしATPなどの補酵素は10以上の化学反応に関わっている。我々は「ほとんどの物質は少数の反応にしか関わっていないが、ごく一部の物質は多数の反応に関わっている」という、参加する反応数の格差構造が強力な応答性の出現に重要であると解釈している。この命題をより一般的な化学反応ネットワークの枠組みのなかで解析し、安定的に機能する反応ネットワークのデザイン原理を見出すことが今後の課題である。
図1:(A) 本研究で扱った大腸菌代謝細胞代謝モデルの概略図。含まれている経路などがモデルによって少しずつ異なる。(B-D)それぞれの代謝モデルにおいて、代謝物質濃度を摂動したのちに見られる典型的なダイナミクス。縦軸・横軸には代謝物質濃度(定常状態を1とした相対値)と時間を対数スケールでプロットしている。異なる線は異なる代謝物質を表す。上段には強い応答、下段には弱い応答(初期摂動の影響が増幅されず、単調に元の状態に戻る応答)で見られる典型的なダイナミクスを示した。上下段で異なるのは代謝物質濃度の初期値だけである。
論文情報
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雑誌名 eLife 論文タイトル Perturbation-response analysis of in silico metabolic dynamics in nonlinear regime: Hard-coded responsiveness in the cofactors and network sparsity著者 Yusuke Himeoka*, Chikara Furusawa(*責任著者) DOI番号 10.7554/eLife.98800.4.
研究助成
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(課題番号:JP 21K20626, JP 22K15069,JP 22H05403, JP 22K21344)、学術変革領域(A)超越分子システム(課題番号:22H05403, 24H01118)、JST ERATO (JPMJER1902), GteXバイオモノづくり(課題番号:JPMJGX23B4)の支援により実施されました。
用語解説
注1 ATP
ATPはアデノシン(アデニンとリボースが結合した分子)に3つのリン酸が結合した分子で、細胞の増殖、筋肉の収縮、光合成、呼吸、発酵などの代謝過程にエネルギーを供給するという重要な役割を担い、「生命のエネルギー通貨」とも呼ばれている。↑
注2 定常状態
着目系の状態が時間的に変化しなくなった状態のこと。化学反応系においては、各物質の生成量と消費量が釣り合った状態が典型的な定常状態である。 ↑