DATE2022.12.21 #プレスリリース
溶液をかき混ぜると結晶成長が速くなるのはなぜか?
―― 「結晶のゆりかご」の中で揺すられて、結晶の成長速度は増加する ――
中室 貴幸(化学専攻 特任准教授)
中村 栄一(化学専攻 特別教授/東京大学名誉教授)
灘 浩樹(産業技術総合研究所 客員研究員/鳥取大学 教授)
発表のポイント
- 食塩の濃厚溶液をかき混ぜると一気に結晶が出現する。人類が製塩を始めた8000年前には既に人々はこのことに気がついていたはずだ。今回われわれはその理由の一つを解明した。
- 結晶形成は結晶核形成と結晶成長の二段階からなる。昨年われわれは第1段階目の様子の撮影に成功したが、今回、さらに 10倍速いカメラを使って、第2段階目の映像取得に成功した。
- 第二段階はNaClイオン対が集まってできた「浮き島」の形成で始まり、容器が振動するごとに浮き島の安定化と不安定化が交互に起き、その変換により結晶が成長することが分かった。
発表概要
食塩の濃厚溶液をかき混ぜると細かい結晶が一気に出現する。逆に、刺激がないとゆっくりと大きな結晶が成長する。小学校の理科実験でおなじみの現象である。人類が製塩を始めたのは8000年前と言われるが、恐らくその頃から物理刺激と結晶成長の関係に人々は気がついていたに違いない。しかし学術文献での記載は時代をだいぶ下る。われわれが調べた限り、明治維新の頃のアメリカ学会誌の記述が最初の定量的な記述である(Mohr, F. On the formation of rock salt. J. Chem. Soc. 1871, 24, 310–311)。今回、われわれは機械的刺激によって食塩の結晶成長が加速する現象を、3ミリ秒のタイムスケール、原子1つ1つを見ることのできる高速・高分解能の電子顕微鏡で映像化することに成功した。外部刺激がないと結晶がほとんど成長しないことを原子レベルの連続撮影で初めて証明した。文部省科学研究費補助金特別推進研究によって昨年の報告に用いたカメラより10倍速いカメラを導入して、初めて達成できた成果である。医薬・食品・先端材料製造などさまざまな分野で結晶化の制御の重要性はますます高まっている。今回の成果は、結晶成長の最初のプロセスを初めて映像に捉え、かつその速度を定量的に測定した点において、学術的にも、産業応用の点でも画期的成果である。
東京大学大学院理学系研究科化学専攻の中村栄一特別教授らの研究グループは、昨年度、結晶の「赤ちゃん」が誕生する場面を電顕で逐一捉えた。今回、その赤ちゃんが、ゆっくりと振動する「結晶のゆりかご(図1)」の中で成長する様子を原子分解能透過電子顕微鏡(注1)で1秒間に300フレームの高速映像として記録することに成功した。その結果、分子(イオン対)が結晶に取り込まれる前段階で、従来の結晶成長理論では見過ごされてきた非周期的な構造を持ち、素速く動き回る「浮き島」状の中間体が形成されることを明らかにした。さらに、結晶生成に用いる容器の内壁と結晶表面の間に生じるナノサイズの空間で毛細管現象が生じて「浮き島」を吸い込み、結晶が容器の中で振動するごとにナノサイズの空間の持つ表面エネルギーが変化することで、浮き島の安定化と不安定化が連続して起きて、結晶が成長することが分かった。本研究は、創薬や材料製造の分野における高効率・高品質な結晶成長手法の開発につながるばかりか、化学教育でも重要な役割を果たすと期待される。
発表内容
結晶化は、われわれの身の周りから工業プロセスまで広く見出される現象である。半導体など先端材料の工業的生産の場では効率的な結晶化や高品質な結晶の取得がプロジェクトの成否を分ける鍵であり、結晶成長過程の詳細な理解が欠かせない。特に、結晶成長の最初期過程である二次元核生成は結晶の成長速度や成長方向を決定づける重要な過程であり、結晶化の精密制御に直結するとして重点的に研究されてきた。しかし、このプロセスは原子分子レベルの過程として確率論的に起きると考えられるために、そもそもどのような実験系を組み上げることによって、その詳細が研究できるのかさえも知られていなかった。
中村教授らの研究グループでは、「単分子原子分解能時間分解電子顕微鏡(SMART-EM)イメージング法(注2)」と呼ばれる分子電子顕微鏡技術の開発に取り組み、分子1つ1つの動きを動画撮影して解析する研究を行ってきた。昨年、食塩結晶形成の瞬間を映像で報告したが(注1)、今回の研究では、ナノメートルサイズの「結晶のゆりかご(図1)」の中で結晶が成長する様子を、昨年より10倍速いカメラを用いて観察した。ここでは結晶表面に分子(イオン対)が吸着・集合して二次元核形成を経て新たな結晶層を形成する過程を連続的に撮影することに成功した(図2)。
図1:本研究の概念図。結晶成長プロセスを直接観察することにより、分子やイオン対が容器の内壁と結晶の隙間に効率的に捕捉され、まるで「ゆりかご」のように容器が振動することで結晶成長が促進されることが明らかになった。昨年発表した、結晶の核形成に関する教育用ビデオのQRコードを記載する(注3)。
図2:CNT内のNaCl結晶表面でNaClが集合し「浮き島」を経て新たな結晶層となる様子を捉えた原子分解能透過電子顕微鏡映像(300フレーム/秒)。NaCl結晶表面で「浮き島」中間体が動き回り(6.76 ~ 87.88ミリ秒)、その後結晶層へと成長する(87.88 ~ 114.92ミリ秒)様子を捉えており、理論計算により観察結果の妥当性を検証した。赤色の線はNaCl分子集合体の位置を示す。図中のスケールバーは1ナノメートル。
本研究では、水分散性円錐状カーボンナノチューブ(CNT(注4))を容器としてその内部に塩化ナトリウム(NaCl)を導入することで、容器の中でNaCl結晶が成長する様子を撮影した。撮影された動画では、NaCl結晶の成長に先立って結晶表面に1ナノメートル(10億分の1メートル)程度の非周期的な構造の分子集合体が形成され、まるで「浮き島」のように結晶表面を動き回る様子が捉えられた(図2)。従来の結晶成長理論ではこのような「浮き島」中間体の存在は想定されていなかった(図3)。
図3:本研究によって、二次元核の前駆体として動的・非周期的構造の「浮き島」中間体が形成されることが明らかになった。
さらに重要な発見は、容器の振動にともなって内壁と結晶表面がくっついたり離れたりすることで、結晶の成長が促進されることである。外部刺激がないと結晶がほとんど成長しないことを原子レベルの連続撮影で初めて証明した。振動などの機械的刺激が結晶化を促進することは150年以上前から経験的に知られていたが、その原子レベルのメカニズムは解明されていなかった。今回の原子分解能での連続高速撮像(~300フレーム/秒)により、容器の内壁と結晶との隙間に毛細管現象で浮き島が安定化され、ついで容器の振動によって毛細管現象が解消されると浮き島が不安定化して、結晶成長が起きるサイクルを発見した(図4)。すなわち、この隙間は「結晶成長のゆりかご(図1)」とも言えるものであり、容器の内壁の隙間で浮き島が形成され、ゆりかごが振動するごとに壁面と浮き島の相互作用が変化し、浮き島がそのまま結晶面に定着したり、どこか近くの結晶面に移ったりして定着することで結晶成長が先に進むのである(図5)。研究グループでは、ナノレベルで結晶成長の速度を測定し、結晶を入れる容器の機械的なゆらぎの頻度が大きくなると結晶成長が速くなることを定量的に明らかにした。同様の過程はわれわれに身近なスケールでも生じていると考えられ、従来検討されてきた濃度や温度といった結晶化条件に加え、これまでは見逃されていたごく微小な機械的刺激による結晶化への影響を応用できれば、結晶成長の精密制御が実現できるものと期待される。
図4:容器(CNT)の振動が結晶成長を促進する様子を捉えた原子分解能電子顕微鏡映像(左)と容器内壁の振動を測定したプロット(右)。左図中赤矢印で示された分子集合体が、2.3086秒では図中下側の面へと移動し、1層分結晶成長する様子が捉えられている。右図中実線は容器の振動が最も大きくなったとき、破線は結晶成長が起こったときを示しており、容器の振動直後(33ミリ秒後)に結晶成長が生じたことが分かる。図中のスケールバーは1ナノメートル。
図5:容器の振動によって結晶成長が促進されるメカニズムを表した模式図。表面エネルギーが低下する結晶と壁面の隙間(図中網掛け部)で分子集合が促進され(毛細管現象)、形成された分子集合体が容器の振動にともなって結晶層へと変化する。
振動などの刺激が分子に与える影響は、1分子1分子の動的応答過程を直接観察することが困難であったため、もっぱらマクロな分子集合体の視点から扱われてきた。今回、振動が結晶成長に及ぼす影響を原子分解能で直接観察することに成功したことで、微小な機械的刺激が分子レベルでどのような現象を引き起こすのかをナノレベルで研究できる可能性が示された。本研究手法は、これまでブラックボックスだったマクロな分子集合体の応答を生み出す1分子1分子の挙動解明につながるだけでなく、望みのマクロ応答を示す新材料を分子レベルでの観察に基づいて設計・開発する革新的分子技術への応用が期待される。原子や分子の動きの実態を映像として目で見ることのできるSMART-EMの画像を、「化学を楽しみ、理解する」ためのツールとして化学教育に活用することができると期待される(図1、QRコード参照;第63回科学技術映像祭研究開発部門優秀賞受賞ビデオ)。
本研究の主たる成果は、科学研究費助成金(JP19H05459、JP20K15123、JP21K18610)およびソルトサイエンス研究財団(2206)の支援により得られたものである。本研究では、国際科学イノベーション拠点整備形成事業により導入され、東京大学分子ライフイノベーション機構により運営されている共用機器である原子分解能透過電子顕微鏡(日本電子株式会社製JEM-ARM200F)を利用した。
発表雑誌
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雑誌名 ACS Central Science 論文タイトル Cinematographic Recording of a Metastable Floating Island in Two- and Three-Dimensional Crystal Growth 著者 Masaya Sakakibara, Hiroki Nada, Takayuki Nakamuro*, Eiichi Nakamura* DOI番号
用語解説
注1 原子分解能透過電子顕微鏡
原子1つ1つを区別して観察可能な性能を持つ透過電子顕微鏡。透過電子顕微鏡は光より波長の短い電子線を用いる顕微鏡で、物質を透過してきた電子線により像を結ぶことによって物質の形状を視覚的に知ることができる。近年の収差補正技術の進歩とカメラの高速化により、有機材料の観察に適した低加速電圧を用いた電子顕微鏡においても原子分解能でのミリ秒高速撮影が可能になった(2021年東京大学理学部プレスリリース参照)。↑
注2 単分子原子分解能時間分解電子顕微鏡(SMART-EM)イメージング法
原子分解能電子顕微鏡を用いて、原子や分子1つ1つの構造や形状の時間変化を原子分解能で追跡する分析手法。中村教授らの研究グループにより独自に開発された手法で、カーボンナノチューブ(CNT(注4))を担体とすることで有機分子やイオン結晶などの無機化合物を長時間安定して観察することが可能である。↑
注3 結晶ができる瞬間をカメラで捉えた!
SMART-EM最先端研究を教育用映像として再編した映像が、第63回科学技術映像祭部門優秀賞(研究・技術開発部門)を受賞した。(2022年東京大学理学部受賞・表彰ページ参照)↑
注4 カーボンナノチューブ(CNT)
ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。飯島澄男教授(現名城大学)が1991年に発見した。炭素単層からなるグラフェンシートが直径1ナノ(10億分の1)メートルから数ナノメートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。CNTはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として注目されている。今回の研究で利用されたのは2006年に中村教授らの研究グループにより開発されたアミノ化カーボンナノホーンと呼ばれるもので、カーボンナノチューブの一種に化学処理を行うことで水への分散性を向上させている。↑