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プレスリリース

DATE2022.06.24 #プレスリリース

画像データから上皮細胞の力学パラメータを推定する手法を開発

 

荻田 豪士(生物科学専攻 技術補佐員)

近藤 武史(京都大学大学院生命科学研究科 特定講師)

井川 敬介(生物科学専攻 特任助教(研究当時))

上村 匡(京都大学大学院生命科学研究科 教授)

石原 秀至(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)

杉村 薫(生物科学専攻 准教授)

 

発表のポイント

  • 画像から上皮細胞(注1)の機械特性(注2)を表す力学パラメータを高速かつ簡便に推定する手法を開発しました(図1)。
  • 本研究において開発した手法をショウジョウバエ上皮組織に適用し、細胞接着面の負のばね定数という力学パラメータが細胞の並び替えを促進しうることを見出しました(図2、図3)。
  • 開発した手法はその簡便さから、力学パラメータという新しい指標に基づく遺伝子スクリーニング(注3)への応用が期待されます。

 

発表概要

生き物の体は、組織の秩序だった変形が繰り返されることで形づくられます。この過程では、細胞が自ら力を出して変形を駆動するのに加えて、弾性や粘性といった機械特性を変化させることで変形の速度や向きを調節することが知られています。ここ10年ほどの実験技術の進歩により、生きている個体の中でも、細胞や組織の変形や力の測定は可能になりつつあります。一方で、細胞の機械特性の生体内測定には高度な技術が必要とされてきました。

今回、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の荻田豪士技術補佐員と杉村薫准教授らの研究グループは、画像データから上皮細胞の機械特性を表す力学パラメータを高速かつ簡便に推定する方法を開発しました。シミュレーションを用いて生成した人工データによる試験により、本研究によって開発した手法は従来の手法に比べて、パラメータを精度高く推定できることが確認されました。さらに、開発した手法をショウジョウバエの上皮組織に適用し、細胞接着面の負のばね定数という力学パラメータが細胞の並び替えを促進しうることを明らかにしました。本手法はその簡便さから大規模な遺伝学スクリーニングに応用可能であり、メカノバイオロジー(注4)における強力なツールになると期待されます。

 

発表内容

研究の背景・先行研究における問題点
生物の体は、組織の秩序だった変形が繰り返されることで形づくられます。この過程では、細胞が自ら力を出して変形を駆動するのに加えて、弾性や粘性といった機械特性を変化させることで変形の速度や向きを調節することが知られています。ここ10年ほどの実験技術の進歩により、生きている個体の中でも、細胞や組織の変形や力の測定は可能になりつつあります。これに対して、細胞の機械特性の生体内測定には高度な技術が必要とされてきました。

実験的な計測の代替手段として、理論モデルを用いた研究も並行して進められてきました。理論モデルを用いたアプローチでは、細胞の機械特性を表現するモデルを構築して、シミュレーションを行い、得られた組織の形態を実際の組織の形態と比較することで、細胞の機械特性と組織の形態の関係を調べることができます。

一方で、先行研究におけるモデルの構築やパラメータ推定にはいくつか問題点がありました。具体的には、分子の働きに関する定性的な知識に基づいてモデル関数を決定している点や、シミュレーションの結果と実際の組織とを細胞の多角形分布などの要約統計量を介して間接的に比較することでパラメータを推定している点が挙げられます。このような背景を受けて、本研究では、定量的なデータに基づいてモデルを構築し、データが持つ情報から直接的に力学パラメータを推定する手法の開発を目指しました。

研究内容
本研究では、画像データから上皮細胞の機械特性を表す力学パラメータを高速かつ簡便に推定する方法を開発しました(図1)。開発した手法は、モデル構築、パラメータ推定、モデル評価から構成され、上皮組織の細胞接着面を蛍光標識した画像データを入力として、上皮組織の最適な力学モデルと力学パラメータを出力します。モデル構築では、画像データから力のベイズ推定法(注5)によって推定した細胞の力と形態特徴量の定量的な相関関係を基に、力学モデルの関数形を決定します(図2)。次に、モデル関数を細胞頂点における力の釣り合い方程式に代入し、パラメータについて解くことで、モデル関数のパラメータを推定します。最後に、統計学において広く用いられるモデル評価規準である赤池情報量規準 (Akaike Information Criterion) を用いて、複数のモデル関数の中から最も適した力学モデルを選択します。


図1:本研究で開発した手法の概要
本手法は、画像データ(上段)を入力として、最適な力学モデルと力学パラメータ(下段)を出力する。本手法ではまず、画像データから力のベイズ推定法により推定した細胞の力と形態特徴量の関係から力学モデルの関数を構築する(中段、左;詳細は図2)。次に、構築した力学モデルの関数を細胞頂点における力の釣り合い方程式に代入し、この方程式を解くことで力学パラメータの推定値を得る(中段、中央)。最後に、最小AIC法によって複数の力学モデルの中から最も適した力学モデルを選択する(中段、右)。

 


図2:本研究で開発した手法により構築された細胞接着面の力学モデル
力のベイズ推定法により推定した細胞接着面の張力と長さおよび向きの関係の持つ特徴を基に、力学モデルの関数系を決定した。上段のグラフは、細胞接着面の張力(縦軸)、長さ(横軸)および向き(点の色)の関係を示す。上段のグラフに示した特徴を下段の式で表すことで、データに基づいて、細胞接着面の力学モデル(異方性ばねモデル)を構築した。

 

本研究で構築した細胞接着面の力学モデル(異方性ばねモデル)は以下の特徴を有しています。第一に、細胞接着面の張力の大きさが細胞接着面の角度に依存しています(線張力の異方性)。第二に、細胞接着面の張力が細胞接着面の長さに対して負の依存性を示します(負のばね弾性)。第三に、細胞接着面の負のばね弾性が、細胞接着面の角度に依存しています(負のばね弾性の異方性)。

シミュレーションを用いて生成した人工データによる試験から、本手法を用いて正確なパラメータ推定と適切なモデル選択が可能であることがわかりました。また、本手法による推定が画像解析の誤差に対して頑健であることも確認されました。

次に、開発した手法をショウジョウバエ上皮組織に適用し、ショウジョウバエ上皮細胞の機械特性を解析しました。赤池情報量規準を用いて、当該分野で一般的に用いられている力学モデルと異方性ばねモデルを比較した結果、すべてのサンプルにおいて後者が選択され、異方性ばねモデルがショウジョウバエ上皮組織の機械特性をより良く表すことが示唆されました。異方性ばねモデルを用いて力学パラメータを推定したところ、ショウジョウバエの発生ステージに伴って力学パラメータが変化することが明らかになりました。さらに、推定した力学パラメータと上皮組織の力学や形態形成に関する知見とを比較することで、細胞接着面の線張力の角度依存性は組織外からの力に抵抗する役割を、細胞接着面の負のばね定数の角度依存性は細胞の並び替えを促進する役割を担うことを明らかにしました(図3)。


図3:ヅショウジョウバエ上皮の解析から示唆された細胞接着面の機械特性の異方性が担う役割
推定した力学パラメータと上皮組織の力学や形態形成に関する知見とを比較した結果、細胞接着面の線張力の角度依存性は組織外からの力に抵抗する役割を、細胞接着面の負のばね定数の角度依存性は細胞の並び替えを促進する役割を担うことが明らかになった。

 

今後の展開
本研究において開発した手法は、先行研究において用いられていた手法とは異なり、細胞の力と形態特徴量の相関という定量的な情報に基づいてモデルを構築し、データから直接パラメータを推定します。さらに、本手法のパラメータ推定はシミュレーションを繰り返す必要がないため、画像データから迅速かつ簡便に力学パラメータを推定することができます。したがって、今後は本手法をさまざまな生物のさまざまな組織に適用することで、上皮組織が多様な形を作る仕組みや、上皮組織の形態形成に共通する原理などを解明するための有用なツールとなる可能性があります。さらに、推定した力学パラメータを指標として、形態形成の力学制御に関わる遺伝子を探索する遺伝学スクリーニングへの応用も期待されます。

 

本研究は以下の支援を受けて実施されました。
日本学術振興会科学研究助成事業(17K15125)、日本学術振興会研究助成事業(18H01185)、日本学術振興会国際共同研究事業 スイスとの国際共同研究プログラム(JPJSJPR20191501)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構の革新的先端研究開発支援事業 (20gm5810025h9904)、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業(JPMJCR1923)

 

発表雑誌

雑誌名 PLOS Computational Biology
論文タイトル Image-based parameter inference for epithelial mechanics
著者 Goshi Ogita, Takefumi Kondo, Keisuke Ikawa, Tadashi Uemura, Shuji Ishihara*, Kaoru Sugimura*
DOI番号

10.1371/journal.pcbi.1010209

 

用語解説

注1  上皮細胞

上皮組織を構成する細胞。上皮組織は生き物の体の表面を覆い、外界と体内部を分けるバリアとして働く組織である。例えば、ヒトの腸上皮など。バリア機能を実現するために細胞どうしが細胞間接着分子を介して強固に接着している。個体発生過程では、上皮細胞どうしが接着したまま、互いの配置関係を動的に変えることで、組織変形や多細胞パターン形成が進行する。

注2  機械特性

力を加えたときにどれくらい変形するか、また、力を取り除いた時に元の形に戻るか否かなどを決める、物質の物理的な性質。代表的なものに弾性や粘性が挙げられる。

注3  遺伝子スクリーニング

ある生命現象にかかわる遺伝子を同定する実験手法。順遺伝学スクリーニングでは、ゲノムにランダムに変異を加えた生物集団のなかから、注目する生命現象に異常を示す個体を単離する。その後、単離した個体の持つ変異を特定することで、興味のある生物現象にかかわる遺伝子を同定する。

注4  メカノバイオロジー

命現象において、分子や細胞、組織の力学が果たす役割を解明する学問分野。

注5  力のベイズ推定法

本研究グループが以前に提案した、上皮組織の画像から細胞接着面の張力と細胞の圧力の相対値を推定する手法 (Ishihara and Sugimura. Journal of Theoretical Biology 313, 201–211, 2012; https://doi.org/10.1016/j.jtbi.2012.08.017)。