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プレスリリース

DATE2022.03.29 #プレスリリース

分子の映像と構造をつなぐ新しい分子模型

 

原野 幸治(研究当時:化学専攻 特任准教授/現:物質・材料研究機構 主幹研究員)

中室 貴幸(化学専攻 特任准教授)

中村 栄一(化学専攻 特別教授/東京大学名誉教授)

 

発表のポイント

  • 分子模型で使う原子の半径を原子番号に関連付けることによって、電子顕微鏡技術で観測される分子映像から分子構造を容易に推測するための分子模型を提案した。
  • 19世紀以来用いられてきた球棒模型や空間充填模型に代わって、電子顕微鏡によって分子の動きや反応を理解するための新しい分子模型を提案した。
  • 頭で想像するだけであった分子の世界を、実際に自分の目で見ることのできる「映像分子科学」の手法を用いて、子供や社会人に教えるための新しいツールができた。

分子の映像と構造をつなぐ新しい分子模型 (https://doi.org/10.1073/pnas.2114432119)

 

発表概要

歴史の審判を生き延びた分子模型の種類は極めて限られている。19世紀半ばに提唱され原子と原子の結合距離に限定して分子の特徴を表した球棒模型(Ball and Stick model)は分子の基本的性質を知るために、20世紀半ばに提唱され電子の広がりの外観を表す空間充填模型は分子間相互作用を知るためにこんにちでも用いられる。今回、中村教授らのグループはこれらの分子模型にかわって、原子分解能透過電子顕微鏡(注1) によって観察されるひとつひとつの分子の動きや反応を理解するための新しい分子模型「原子番号相関模型」(Z-correlated (ZC)模型)を提案した。この模型を用いる事で、ひとつひとつの有機分子像からゼオライト(注2) や食塩結晶のような無機物の固体まで、さまざまな物質の電子顕微鏡像を手に取るように再現することが可能となった。実験により観測された分子の世界を正確に反映する分子模型が提案されたことにより、人々が分子の存在をより身近に感じることができる「映像分子科学」の時代が到来した。

本研究成果は、米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, PNAS)に掲載された。

 

発表内容

人間の目には見えない原子や分子の世界は、球で原子を表現した3次元分子模型によって照らし出されてきた。その中でも現在に至るまで使用されるものは図1に示す2種類に限られる。その一つである球棒模型は19世紀に提唱されたもので、原子の大きさは元素によらず一定とし結合長、結合角、ねじれ角のみを表示する原始的な模型であるものの、分子の立体構造を直感的に理解する助けになる。もう一つは20世紀前半に提案された、元素ごとのファンデルワールス半径を表現した空間充填模型であり、分子間に働く相互作用を理解するために分子表面を図示するように設計された。なお、生体分子でよく目にするリボン模型は構造の特徴を模式的に強調するために用いられており分子構造そのものは反映しない。

図1:分子模型は分子の構造情報を視覚的に表現するために用いられ、これまで球棒模型や空間充填模型が提案、使用されてきた。今回、電顕でみえる分子の構造に対応する初めての分子模型として「原子番号相関(ZC)模型」を提案する。

 

近年、1オングストローム(100億分の1メートル)以下の画像分解能とサブミリ秒(1万分の1秒)の時間分解能をもつ原子分解能電子顕微鏡(電顕)が急速に発展し、原子や分子、さらにはその集合体の動きや反応をあたかも分子模型をみるがごとくに観察できることが可能となった(例:東京大学プレスリリース「結晶はどうやってできる?その瞬間を見た!」https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2021/7211/)。しかし、実際に実験で得られた電顕像を模型で描き出そうとすると、化学者が慣れ親しんだ球棒あるいは空間充填模型から予想されるものとは大きく異なる。これは、空間充填模型は原子の電子雲の広がりを反映した模型であるのに対し、電子顕微鏡像にあらわれる原子像の「濃さ」はその原子の原子番号(Z(注3)に依存したものになるためである。図2に金属有機構造体(注4)のクラスターの例を示すが、空間充填模型を使って実験で得られた電顕像を再現しようとすると、水素や炭素などの軽い元素の半径が過大に強調され、電顕像と空間充填模型を比較してもとの分子の構造を推定することは難しい。また、図3に示す触媒として重要な材料であるゼオライト(ZSM-5)と、太陽電池の活性層として盛んに研究されている有機鉛ペロブスカイト結晶(注5)の透過電顕像でも、色のない透過電顕像だけではどこにどの原子が配置されているかどうかということも不明であった。これらの例でも分かるように,電顕で見られた分子像と分子構造を結びつけ,未知の分子構造やそれらが集まった構造を決定することは電顕を分子科学に応用するにあたっての長年の課題だった。

図2:ヨウ素原子、亜鉛原子などを含む1ナノメートルサイズの有機無機複合体クラスターの電顕像と、構造に対応する空間充填模型および原子番号相関(ZC)模型。従来の空間充填模型では電顕像に比べて水素、炭素などの軽元素のサイズが大きく像が一致しないが、今回提唱する原子番号相関(ZC)模型により重いヨウ素原子(電顕像の赤点線、模型では橙色で表現)の位置、大きさが正しく再現される。元素のカラーリング:水素=白色、窒素=青色、炭素=灰色、酸素=赤色、亜鉛=水色、ヨウ素=橙色。図のスケールバーは1ナノメートル。

図3:ゼオライト(ZSM-5)および有機鉛ペロブスカイト結晶(CH3NH3PbBr3)の透過電顕像にそれぞれのZC模型を重ね合わせて表示させた画像。図のスケールバーは1ナノメートル。

 

今回中村教授らは、電顕像シミュレーションを用いた検討により、画像ノイズの全く無い理想的な条件においては原子番号と相関がなく、透過電顕における原子像は元素の種類にかかわらずほぼ同じ大きさで見えること、しかしながら、実際には電子の量子的性質に由来して検出段階で生じる画像ノイズを考慮すると、実験的に観測される原子像の大きさが原子番号に強い相関を示すことを発見した。雲海(ノイズ)の上に見える山(シグナル)の大きさは概ね山の高さを反映している,という訳である(図4)。

図4:電子顕微鏡に映る原子サイズの決定原理。「雲海から突き出た山を見て、山の大きさを決める」が如くに「ノイズを越えたシグナルの強度から、原子半径を定める(赤矢印)」ことで新分子模型のパラメータとした。

 

この方法に基づいて、電子顕微鏡シミュレーションから各元素の半径を決定し、これを球棒模型における原子の表示サイズとした原子番号相関分子模型(ZC模型)を新たに提案する。この模型を使うことにより従来の分子模型よりもはるかに正確に、電顕画像から分子構造を推定することを可能にした。画像を取得するために照射した電子量や試料の厚みに対応して、高ノイズ条件、低ノイズ条件での2種類の原子像半径を各元素ごとに決定した(図5、6)。

図5:撮影条件に対応する画像ノイズを加味した電顕像シミュレーションの解析により、原子像半径を決定する流れ。

 

図6:代表的な空間充填模型であるCPK模型と今回提案するZC模型との比較。ZC模型は原子番号を系統的に反映した模型であることがわかる。原子の並びは元素周期表に対応している。

 

前者は特に単一の有機分子や分子集合体(図2、7)、超原子や金属酸化物クラスター(図8)など、1〜数ナノメートル程度のサイズの観察試料の像をよく再現し、後者は前出のゼオライトや有機鉛ペロブスカイトに加え(図3)、有機物、無機物、有機無機複合体、イオン結晶(図9、10)など、あらゆる物質の薄膜試料の電顕像をよく再現する。

図7:有機分子および分子集合体の原子分解能電顕像と ZC模型。(A)フッ化アルキル基が結合した[60]フラーレン。(B)γ―シクロデキストリン(食品添加剤)。(C)芳香族分子のファンデルワールス集合体。(D)チロキシン(甲状腺ホルモン、アミノ酸の一種)。図のスケールバーは1ナノメートル。B、Dの電顕像中の数字は動画撮影開始時からの時間(秒)。

 

図8:無機分子、超原子の原子分解能電顕像と ZC模型。(A)酸化モリブデンクラスター触媒。(B)金24原子からなる超原子化合物。(C)コバルト、ケイ素、タングステンを含む酸化仏クラスター([CoSiW11O39]6–)。図のスケールバーはAが1ナノメートル、B、Cが0.5ナノメートル。球の色は元素の種類を表す(図8と同じ)。

 

図9:ジルコニウム錯体とテレフタル酸からなる金属有機構造体UiO-66の薄膜結晶の透過電子顕微鏡像と、結晶構造に対応するZC模型、球棒模型、空間充填模型。矢印で示したベンゼン環部分の像の比較からもわかるように、ZC模型が電顕像に現れる各原子のサイズを最もよく再現している。

 

図10:種々の無機、有機材料の結晶薄膜の透過電顕像にそれぞれのZC模型を重ね合わせて表示させた画像。図のスケールバーは1ナノメートル。

 

分子模型はこれまでも物質の構造や現象に対する化学的理解を深め、研究や教育の助けとなってきた。21世紀となった今、原子分解能電顕により有機および無機の単一分子のダイナミックな動きを原子レベルの動画として研究できる新しい時代が到来した。今回提案するZC模型は、電顕像と分子像を関連づけ、構造決定を容易にすることで、新時代の分子科学の助けになるものである。すなわち、単一の分子、分子集合体、さらには有機物や無機物の薄い結晶が電顕でどのように見えるかを先験的に提供するものであり、直感に基づく電顕像の解析が可能となる。このZC模型が拓く「映像分子科学」の手法によって、人々が頭で想像するだけであった分子の世界を、実際に自分の目で見ることのできるものとして感じることができ、科学研究だけではなく自然科学教育一般への波及効果も大きいと考えられる。

本研究成果は、科学研究費補助金(課題番号:JP19H05459、  JP20K15123、  JP21H01758)、科学技術振興機構(JST)CREST(課題番号:JPMJCR20B2)などの支援によって実施された。

 

発表雑誌

雑誌名
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)
論文タイトル
Atomic-Number (Z)-Correlated Atomic Sizes for Deciphering Electron Microscopic Molecular Images
著者
Junfei Xing, Keishi Takeuchi, Ko Kamei, Takayuki Nakamuro, Koji Harano*, Eiichi Nakamura*
DOI番号
10.1073/pnas.2114432119
アブストラクトURL

 

用語解説

注1  原子分解能透過電子顕微鏡

原子1つ1つを区別して観察可能な性能を持つ透過電子顕微鏡。透過電子顕微鏡は光より波長の短い電子線を用いる顕微鏡で、物質を透過してきた電子線により像を結ぶことによって物質の形状を視覚的に知ることができる。近年の収差補正技術の進歩により、有機材料の観察に適した低加速電圧を用いた電子顕微鏡においても原子分解能での撮影が可能になった。

注2  ゼオライト

ナノメートルサイズの微小な孔を持つアルミノケイ酸塩鉱物。吸着剤や触媒として広く使用されている。ZSM-5は中細孔ゼオライトと呼ばれるものの一種で、石油化学プロセスにおける不均一触媒として石油成分のクラッキングなどに用いられる。

注3  原子番号

ある元素の原子核に含まれる陽子の個数。通常、記号Zで表される。原子番号は元素の種類と対応しており、各元素について原子番号は一義的に決まる。例えば炭素の原子番号は6、ヨウ素の原子番号は53である。原子番号が大きいほど質量数が増え、「重い元素」となる。

注4  金属有機構造体

MOF(Metal-organic framework)とも呼ばれる。金属イオンと有機分子を混合して作られる、多孔性をもった固体材料の総称。結晶内部のナノサイズの空間を分子認識場として利用して、水素や天然ガスの吸蔵材料、固体触媒、分離膜などへの応用が期待されている。京都大学の北川進教授、東京大学の藤田誠教授、カルフォルニア大学バークレー校のOmar Yaghi教授らの先駆的な研究にはじまり、過去20年にわたり世界中で広く研究されている機能性材料である。

注5 有機鉛ペロブスカイト結晶

ハロゲン化鉛と有機アンモニウム塩の混合により、結晶形の一つであるペロブスカイト構造を形成した材料。高効率で低コストの太陽電池の材料として注目を集めており、応用研究が世界中で盛んに行われている。