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プレスリリース

DATE2021.01.27 #プレスリリース

ClCチャネルによる味覚応答の調節

 

パク チャンヒョン(生物科学専攻 博士課程3年生/現:韓国 基礎科学研究院(IBS)博士研究員)

神田 真司(大気海洋研究所/生物科学専攻 准教授)

飯野 雄一(生物科学専攻 教授)

國友 博文(生物科学専攻 准教授 )

 

発表のポイント

  • ClC型の陰イオンチャネル(注1) が線虫(注2) の味覚探索行動を調節することを見出しました。
  • ClCチャネルは、塩化物イオンの輸送を介して、味覚ニューロン(注3) による塩濃度変化の感知に寄与していることが明らかになりました。
  • ClCチャネルの遺伝子は種を超えて保存され、ヒトでは遺伝子疾患の原因になっています。本研究成果は、神経におけるClCチャネルの役割を明らかにしたことに加えて、それらの疾患の理解にもつながることが期待されます。

 

発表概要

動物は嗅覚や味覚を手掛かりとして環境中の餌の種類や場所を割り出し、時に試行錯誤しながらその場所へ移動します。このような探索行動の過程でどんな遺伝子が脳・神経系のはたらきを制御しているか、わからない点が多く残されています。

東京大学大学院理学系研究科の國友博文准教授らと東京大学大気海洋研究所の神田真司准教授の研究グループは、神経の研究にしばしば用いられる線虫を使って、味覚情報に基づく行動の制御にClC型の陰イオンチャネルが関わっていることを見出しました。遺伝子が変異した線虫の行動や神経活動を調べた結果、ClCチャネルは、細胞内の塩化物イオンの濃度調節を介して、塩刺激に対する味覚ニューロンの応答に寄与することが明らかになりました。これは、ClCチャネルが神経の応答性を調節し、ひいては行動の制御に関わることを示す新たな知見です。ClCチャネルの遺伝子はヒトにも複数あり、遺伝子疾患への関与が知られています。今回の研究成果は、ClCチャネルの機能と疾患との関係を理解することにも役立つと期待されます。

 

発表内容

自然の中で生きる動物にとって、餌を得ることは生存に直結する一大事です。環境から得られる嗅覚や味覚の情報に加え過去の経験を活かして、効率よく餌場に向かわなければなりません。このとき、脳・神経系は感覚情報を記憶と擦り合わせ、目的地へ向かうように運動を指令します。一連の複雑な情報処理にどのような遺伝子がはたらいているか、未解明な点が多く残されています。

線虫はわずか300個ほどのニューロン(神経細胞)から構成される簡単な脳・神経系をもつ生物ですが、経験に依存して行動が変化する学習を観察することができます。その一例が味覚学習です。野生型の線虫は餌を得ていた環境の食塩(塩化ナトリウム、これ以降、単に塩とよびます)濃度を記憶し、その後しばらくの間、記憶した塩濃度に向かう探索行動(塩走性)を示します。東京大学大学院理学系研究科の國友博文准教授、飯野雄一教授らは、線虫の味覚学習をモデルとして、感覚ニューロンが刺激を感知するメカニズムや神経回路における情報処理、記憶と学習のメカニズムの解明に取り組んでいます。これまでの研究から、味覚学習には、ASERとよばれる味覚ニューロンが塩の濃度変化を正しく感知することが必要とわかっていました。また探索行動の制御機構として、間違った塩濃度に向かっているとき、ASERからの情報を処理する神経回路がはたらいて移動方向を修正し、正しい塩濃度に向かうことが知られていました。しかし、塩に対するASERの応答性がどのように調節されているか、またその応答が行動の制御にどう反映されるかは、良くわかっていませんでした。

 

今回、パク チャンヒョン博士課程3年生(研究当時)らは、味覚学習に必要な新たな遺伝子を見出すため、塩走性に異常を示す変異体を得てその原因遺伝子を同定しました。その結果、2つの異なる変異体が、いずれもClC型陰イオンチャネルの遺伝子(clh-1遺伝子)に変異をもつことがわかりました。同じ遺伝子の変異が複数得られたことは、この遺伝子が重要な役割を担っている可能性を示唆しました。ところが、意外にもclh-1遺伝子のはたらきを完全に失った機能欠損変異体は塩走性に異常を示さず、上記の2つの変異体では、clh-1遺伝子が従来とは異なる機能をもつように変化していたことがわかりました。また、変異体の塩走性を詳細に調べたところ、変異体は低い塩濃度に向かう走性が野生型より弱まっているものの、学習には大きな異常は無いことがわかりました。

clh-1遺伝子は、神経に限らず体のほとんどの組織で発現しています。組織・細胞ごとに遺伝子の機能を回復させる実験を行った結果、正常なclh-1遺伝子がASERで機能することが塩走性に重要とわかりました。ASERは環境の塩濃度の変化を感知して活動し、下流の介在神経にその情報を伝達します。野生型とclh-1変異体を比べたところ、変異体のASERは塩濃度の変化に正しく応答できず、特に、繰り返し与えられる刺激への応答が弱まっていることがわかりました(図1上・中段)。また、ASERが興奮するとき、細胞内の塩化物イオンの濃度が上昇し、clh-1変異体ではその上昇幅が大きくなっていることも明らかになりました。これらの結果から、clh-1遺伝子は細胞のイオン濃度の調節を介して、塩濃度の変化に対するASERの応答性に寄与していることが示されました。さらに、clh-1変異体では、ASERから情報を受け取る介在ニューロンの活動が弱まり、低い塩濃度に向かうための方向転換が起こりづらくなっていることが明らかになりました(図1下段)。

図1:線虫の塩走性におけるclh-1遺伝子のはたらき
線虫は頭部にあるASER味覚ニューロンで塩濃度の変化を感知します(上段)。clh-1変異体では細胞の陰イオン濃度の調節が異常になり、塩刺激に対するASERの応答が小さくなります(中段)。その結果、変異体では低い塩濃度へ向かう走性が低下します(下段)。

 

ClCチャネルの遺伝子はバクテリアからヒトまで生物界に広く保存され、細胞内のイオン濃度の調節に広く関わっています。このためClC遺伝子の変異は細胞の恒常性を破綻させ、ヒトではいくつかの遺伝子疾患を引き起こすことが知られています。また、ほ乳類にはClCファミリー(注4)の遺伝子が9個あり、組織や細胞内でそれぞれ異なる役割を果たすことが知られています。一方、線虫にはClCファミリーの遺伝子が6個あり、ほ乳類と同様な役割分担があると考えられていますが、詳しくは調べられていません。今回の研究では、はじめに得られたclh-1遺伝子の変異のみが塩走性に顕著な異常を示し、各遺伝子は実際に異なる機能をもつことが示唆されました。また興味深いことに、6個の遺伝子すべての機能を失った線虫も生存し子孫を残すことができました。この結果は、ClCファミリーの遺伝子は個体の生存に必須ではなく、細胞のイオン濃度を調節するはたらきは他の遺伝子によって代替され得る可能性を示しています。clh-1を含む線虫のClCファミリーの機能をさらに調べることによって、ヒトの疾患を理解することにつながる知見が得られるかもしれません。

 

発表雑誌

雑誌名 eLife
論文タイトル Roles of the ClC chloride channel CLH-1 in food-associated salt chemotaxis behavior of C. elegans
著者 Chanhyun Park, Yuki Sakurai , Hirofumi Sato , Shinji Kanda , Yuichi Iino*, Hirofumi Kunitomo* (*共同責任著者)
DOI番号 10.7554/eLife.55701
アブストラクトURL https://elifesciences.org/articles/55701

 

用語解説

注1 ClC(シー・エル・シー)型陰イオンチャネル

すべての細胞は、細胞膜上の輸送タンパク質を介して細胞内外の物質をやりとりします。ClC型陰イオンチャネルはこのような輸送タンパク質のひとつで、塩化物イオン(Cl-)や重炭酸イオン(HCO3-)などの陰イオンを通過させます。イオンチャネルのはたらきは細胞内のイオン環境を一定に保つために不可欠なほか、ニューロン(神経細胞)では膜電位を変化させ細胞を興奮させる役割を担っています。

注2 線虫

学名は「Caenorhabditis elegans(カエノラブディティス・エレガンス)」。成虫の体長が約1 mmの線形動物で、バクテリアを餌とします。体が透明なため顕微鏡で内部を観察できることや世代交代が早いこと、コンパクトな脳・神経系を持つなどの利点から、モデル生物として、発生生物学や神経科学の研究によく用いられています。

注3 味覚ニューロン

線虫のニューロンには、それぞれ固有の名前が付けられています。個体の頭部にあるASERとよばれるニューロンは、環境の塩濃度の変化を感知する味覚センサーとして機能します。

注4 ClCファミリー

陰イオンチャネル以外の類似した機能をもつ遺伝子も含めて、ClCファミリーと呼ばれます。