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卒業生インタビュー

〜回り道で広がった新しい創造と世界〜

キュリオシティ・ドリブンで真理を追究する

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 自然環境学専攻 陸域環境学講座 講師

久保 麦野

April 3, 2023

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学部を理学部生物学科人類学コースで学び、修士を農学生命科学研究科ですごし理学系研究科で博士号を取得。農学と理学の違いを肌身に感じ理学を選択します。東京大学総合研究博物館で子育てとポスドク生活を両立させて、新領域創成科学研究科に着任。研究を続けながら第三子に恵まれ研究者としてのキャリアを築いていくことに。自身の好奇心と周囲の人との結びつきを大切にしながら進んできた久保麦野さん。久保さんのさまざまな選択を紹介します。

東京大学理科二類から理学部の人類学コースに進学されたのですね。

はい。元々生物がすごく好きで、生物の研究者になるというのを大学に入るよりもずっと前から決めていました。入学当初は理学部生物学科植物学コースを考えていましたが、駒場の教養学部で長谷川寿一先生の授業を受けて、動物や進化の研究にも魅力を感じました。

進振り先をどうしようかといろいろ考え、マクロスケールでの生物学をやりたいという気持ちから理学部生物学科人類学コースと出会いました。人類学コースは解剖学や組織学はもちろん、野生動物の観察や遺跡の発掘調査と実習のバラエティーの豊富さに惹かれて第一希望を出しました。

人類学コースでは多面的なアプローチで研究を進めていて、いろいろな研究手法を幅広く学べたことは後々にも活きていると感じています。

修士で一度理学部を離れ、農学部に進学されたのはなぜですか?

野生動物の研究をやりたい、動物も植物も好きだから両者の関わりを見ていきたいという想いがあり農学へ進みました。植物生態学のご出身でニホンジカと植物の関係を研究されていた高槻成紀先生の研究室です。先生は農学部の兼担で本務は総合研究博物館でしたので、駆除されたシカの頭骨の標本をたくさん集めていらして、形態学的な研究を計画されていました。私は人類学コースで骨計測学の基礎を学んでいましたし、骨と生態の関係に興味がありシカの標本を使った研究を始めたんです。

全国のハンターの方々に協力していただいて、シカの標本を集めるところからはじめました。日本は南北に細長いので、地域によってシカが生息する環境は異なります。高槻先生の生態学的な研究から北のほうに棲んでいるシカはイネ科の植物をよく食べ、南に行くほど木本植物の葉っぱを食べることが明らかになっていました。この影響が骨や歯に現れてくるのではないかという研究でした。

特に注目したのは歯の大きさです。食べ物を食べれば歯がすり減ります。すり減るのが速ければ、それに対抗して歯を大きくしたり、歯の高さを高くしたりという進化が起きるだろうということがアフリカの有蹄類の比較研究から言われていました。シカの場合は、北に棲息する、硬いイネ科植物をたくさん食べる個体群ほど歯が大きく高くなっていることが予想されます。実際にその予想通りになっているというのが修士での研究でした。種間のような大きなスケールでの進化現象が、ニホンジカ1種の中でも起こっていて、とても面白いと感じました。

博士課程でまた理学部へと戻っていますね。

研究をしていくなかで農学と理学の違いをひしひしと感じるようになっていました。農学は「何々のための科学」というのが基本ポリシーにあります。そのため、面白いことだからという理由だけで研究をしてはいけないような雰囲気を感じていました。「役に立つ」というのはとても大事なことですが、分かっていないことを明らかにするということはサイエンスとして十分に意義があるというのが私の考えでした。理学部には真理を追究する印象があったので、そのギャップをより強く感じたということもあるかもしれません。

そこで、博物館に籍をもっていて日頃から研究相談をしていた諏訪元先生の研究室に移りたいという相談をして、理学部人類学に戻ってきました。学部の頃を知る人類学の先生方からは「出戻り」と言われました(笑)。

諏訪先生のもとで、初期人類化石サイトからでてくる偶蹄類などの化石から古環境や古生態を復元するプロジェクトを進めることになりました。骨から環境情報を引き出す、その基礎研究として引き続きシカを題材として研究を行っていくことになりました。

博士課程での研究を具体的に教えてください。

歯の表面にはマイクロウェアと呼ばれる微細な傷があります。食べものの種類によって傷の形が変わってくるというのが1970年代頃から電子顕微鏡を使って調べられていました。これを生態が詳しく分かっているシカで比較し、マイクロウェアからの古生態復元の基礎を築くのが当初のテーマでした。一定の手応えはあったのですが、撮影条件によって傷の見え方が変わってきてしまい、定量化に行き詰まってしまいました。

そこでマイクロウェアはいったん横に置いておいて、歯のマクロな摩耗について深掘りし始めました。シカは地域によって食べ物が違うので、歯がすり減る速度に違いがあるのではないか。そう考えて、シカの歯の磨り減り速度を比較したところ、やはりイネ科植物を食べる地域ほど磨り減りが速いことが示されました。地域によって磨り減り速度が違うということは、歯が機能的に長持ちする集団と長持ちしない集団があるということです。そこで、死亡時の年齢データを使って生命表というものを作成して各集団の期待余命を計算し、それと、シカの歯が長持ちするかどうかの対応関係を調べていきました。すると、両者には強い正の相関があり、歯がすり減るのが遅くて長持ちする集団ほど期待余命が長いという結果が得られました。これが2本目の論文としてまとまりました。

その頃から諏訪先生も関わるプロジェクトで沖縄の洞窟遺跡調査が始まりました。シカの化石が沢山でてくるので、その標本整理をサイドワーク的にやらせていただきました。このシカがとても体が小さくて、柴犬を一回り大きくしたくらいです。島に入ると小型動物は巨大化し、大型動物は小型化するという進化現象「島嶼化」というのがあり、まさにその典型例でした。当時の沖縄本島からは肉食動物の化石が全然でてきていなかったので、沖縄の化石シカには捕食者がいなかったはずです。このことは寿命に影響するのではないか、そう考えて、生態が分かっているニホンジカのデータを使って歯の高さから年齢を推定する式を作り、化石シカの寿命を計算してみました。一番長生きするもので25歳くらい。野生のシカの平均寿命が10歳くらいまでというのを考えると、化石シカは体が小さくても相当長生きだったようです。現生のシカと化石のシカ、歯の磨り減りと寿命、両者をつなぎ合わせて学位論文としてまとめるというのをどうにか認めていただいて、人類学なのにシカの研究で学位を取得することになりました。

そこからさらに、アフリカのような初期人類がいた古環境の復元に資するような成果へとたどり着くことはできず、大変悔やまされました。一方で、マイクロウェアの研究はその10年後におおきく花開くことになりましたし、島の哺乳類の「島嶼化」研究はもう一つの研究の軸になっていきました。この記事が出る頃には論文が出ていると思います。

その後博物館でのポスドクをへて新領域に移られます。

学位取得後は博物館でポスドクとして雇っていただきました。この間に一人目の出産を経験したこともあり、博士課程で研究したことをパブリッシュするだけで必死でした。その後学振の特別研究員に採択され研究が深まっていくのですが、その間に二人目を出産し、ゆっくりしかものごとが進まずもどかしいこともありました。夫も研究者で、当時は福井の恐竜博物館で研究員をしていたために、ずっと単身赴任でした。

二人目を出産した2015年の春に、新領域創成科学研究科の公募に挑戦し、10月から採用となりました。私の所属する自然環境学専攻は理学の先生と農学の先生の両方がいらして、理学と農学とをバックグラウンドに持つことを面白いと思っていただけたのかもしれません。個室が用意され、作業スペースもしっかりと確保いただけて、さあこれからいろいろなことを始められるぞ、という素晴らしい環境でした。

ただ……、ですね。着任してすぐ第三子の妊娠が判明してしまい、「どうしよう!!」とすっごく悩みました(笑)。

まずは、着任以来よくお話したりお昼を一緒に食べたりしていた同僚の鈴木牧先生に相談しました。不安な気持ちいっぱいで妊娠したことを切り出すと「それのなにが問題なの?」とさらっと言ってくださいました。専攻長の先生からも「おめでたいことじゃないですか。大丈夫ですよ!」と言っていただけました。サポートと理解に助けていただいて、三人目も産んでがんばろうという気持ちになりました。

夫も、私がこちらに着任したことで常勤職を辞めて一緒に住むようになり、二人目と三人目の歳が1年3か月しか離れていないことから、育休はゆっくりとったほうがいいだろうと思いました。私はテニュアトラックの助教で、4年半の任期後に審査があることを考えると長く休むリスクはありました。一方で、これが最後の育休なら三人の子供たちと夫との時間をゆっくり過ごしたいという気持ちもあり、思い切って1年休むことにしました。蓋を開けてみると予想外の帝王切開で産後は大変だったので、長く休みを取ることにして本当に良かったと思いました。

新領域では、諏訪先生からの課題だったマイクロウェアの研究に再挑戦されています。

はい。諏訪先生からいただいていた歯の摩耗痕の研究をもうちょっとなんとかしたいと思いました。2004年くらいから微細な起伏を3Dで撮れる機械(共焦点顕微鏡)が出始めました。今まで2次元画像から数えていた歯の表面の傷が、3次元のデータとして得られます。電子顕微鏡下で観察できた傷を定量化することの難しさを肌身で感じ、いずれはこれが主流になっていくだろうと感じていたところでした。中古であれば着任経費を使ってなんとか購入できる価格で、産休に入る前のはちきれんばかりのお腹の頃に購入することができました。

2017年に育休から戻ってきて、さっそくこの機械を使ってシカのデータを取り始めました。最初はシカだけだったのですが、学生さんがやってみたいと手を上げてくれたこともあり、カモシカ、イノシシ、ニホンザルなどでもデータをとり、成果が出始めています。

これを使ってどんなことを解き明かしているのでしょうか?

マイクロウェアからの古生態復元を進めていくうえで、食べているものが分かっている現生の野生動物を使って基礎データを蓄積させていく段階がまずあります。この部分は順調に進んで論文も何本も出ています。シカの研究では、イネ科植物をたくさん食べている北のシカほど歯のマイクロウェアが多く傷も深いことが定量的に示せました。10年越しの宿題をやっと提出できた気分です(笑)。

私の夫が恐竜の研究者で、共同研究でマイクロウェアから恐竜の食性を推定しようという研究をしています。マイクロウェアを使った研究は人類学から始まり、ヨーロッパのラボなどが哺乳類に応用していきましたが、恐竜の研究はほぼ手付かずだったのでそこに可能性を感じました。さらには恐竜のマイクロウェア研究に興味を持ったドイツ人の優秀なポスドクが、学振の外国人研究員として私のラボに来てくれました。恐竜マイクロウェア研究の体制が整い、比較対象としての現生ワニの給餌実験が国際共同研究で進み、論文が出ました。恐竜のマイクロウェア論文も2022年に2本出版され、さらにもう1本控えています。恐竜の研究はインパクトが大きいので全てプレスリリースしました。恐竜マイクロウェア研究で私たちが世界のフロントランナーだと思っています。

理学を志す学生の方へのメッセージをお願いいたします。

理学に進んで良かったなと思うのが、真理を追究しようとすることそれ自体が尊い、サイエンスの営みとしてそこが第一なんだという姿勢です。だから、自分が面白いと思った現象とか、これはもっと深堀してみたいというものを見つけたら、それがなにかの役に立つとか、誰かのためになるとかはいったん脇に置いてしまっていいと思います。自分が分かったという気持ちになれるまでやり込んでみると、そこで新しい展開があるはずです。

一度はくじけた研究も、テクノロジーが進歩することで違うやり方で進めていけるかもしれません。好奇心を常に広く張っておいて、以前うまく研究することのできなかったこれは、こっちを使うことで今度はできるかもしれないとぐっと突き進んでいく。そういう態度でやるのがいいかなと思っています。

肉食恐竜のマイクロウェア論文をプレスリリースした時、ドイツ人のポスドクがインタビューの中で「我々の研究はキュリオシティ・ドリブンだ」と話していました。私が一番大事に思っていることが彼女にも伝わっているんだなと思い、すごく嬉しかったです。好奇心の赴くままに進んでいくと、ときにお金がつかなくてやりにくいこともあるけれど、いつか誰かがきっと「面白い!」と言ってくれるはずです。

研究室: https://sites.google.com/edu.k.u-tokyo.ac.jp/mugino-kubo-lab/home

※2023年取材時
文/堀部 直人
写真/貝塚純一

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 自然環境学専攻 陸域環境学講座 講師
KUBO Mugino
久保 麦野
2003年理学部生物学科卒業。2005年3月東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻修士課程修了。2010年3月理学系研究科生物科学専攻博士課程修了。博士(理学)。2010年4月より総合研究博物館特任研究員、2013年4月より日本学術振興会特別研究員PD(受入機関:東京大学総合研究博物館)、2015年10月より新領域創成科学研究科助教、2020年4月より現職。
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