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理学のフロンティア

睡眠は21世紀の今も謎だらけだ

生物科学専攻 教授

林 悠

September 1, 2023

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脳の発達に睡眠は関係している?

問題です──「動物はなぜ眠るのでしょうか?」

答えは──「わかっていない」

二つ目の問題──「動物は眠らないとどうなるでしょうか?」

答え──「みな死んでしまいます。その理由もわかりません」

林悠教授が睡眠の研究に打ち込もうと心に決めたのは、そんなふうに、眠りについては今もなお多くが謎のままだという驚きが大きな理由だった。

「ラットをまったく眠らせないと3週間以内に死んでしまう。このことをアメリカの研究グループが見出したのが1983年です。それから40年もたっているのに、なぜ死ぬのか、その理由はまだわかっていない。あるいは、レム睡眠は1950年代に見つかった現象なのですが、なぜレム睡眠が必要なのかということも、何十年もたった今でもほとんどわかっていないのです」

つまり、私たちが1日の3分の1の時間を費やす睡眠というものが、いや人間だけでなく、多くの動物にとって不可避の睡眠というものが、なんと科学の世界においてはいまだ未踏の領域、フロンティアであったということなのだ。

もともと林は東京大学大学院の理学系研究科で脳の発達について研究をしていた。人が生まれた後、環境との相互刺激を受けながらどのように脳が発達していくのかを分子レベル、細胞生物学レベルで解明しようとしていたのだ。やがて博士課程を修了し、ポスドクとしてどういう研究をしていくべきかと悩んでいたときに、林はある論文に偶然出会う。

「1960年代の古い論文だったのですが、人間の睡眠状態について生後2週間の赤ちゃんから76歳の高齢者までずっと計測、記録した研究でした。それによると、産まれたばかりの赤ちゃんは睡眠時間がとても長く、しかも、睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠の2種があるのですが、赤ちゃんにはレム睡眠が特に多いという特徴があったのです。この論文を読んで、もしかしたら、レム睡眠は赤ちゃんの脳発達に関係しているのではないかと思いました。それがきっかけでした」

睡眠の世界に分け入った林が驚いたのが、冒頭に書いたように、睡眠については多くがいまだ謎のままだったということである。

「レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルをコントロールできるネズミを作ろうと最初に考えました。きっと、すでに多くの研究がなされているはずで、わかっていることもたくさんあるだろうから、自分はそこに介入していくだけでいいだろうと思っていたのですが、そもそもほとんどわかっていないということがわかって……。結局、睡眠の根本的なメカニズムの研究をまずやらなければというところから始まったのですね」

それが2008年ごろのことだった。

「ポスドクになったばかりでしたから、不安でいっぱいで、五里霧中という感じでした。そのころ、猫の脳幹のある部位にレム睡眠の中枢があるのではないかという重要な論文を出された、フランスで活躍している酒井一弥先生に学会でたまたまお会いする機会がありました。私が、遺伝子操作などでマウスをコントロールして、レム睡眠の機能解明をしたいと話したところ、とても共感してくださってアドバイスもいただきました。それが大きな励みとなりました。それ以来、酒井先生にはずっとサポートしていただき、とても感謝しています」

そして睡眠の研究は、林を思いも寄らぬ可能性に満ちた世界へと連れていくのだ。

研究について熱く語る林教授

進化によって獲得したレム睡眠

ノンレム睡眠は心拍や呼吸が落ち着き、デルタ波という脳波が支配的になっている状態。一方のレム睡眠は心拍や呼吸が不規則で、眼球が素早く動き、脳波ではアルファ波やベータ波が支配的で、人間はこのレム睡眠時に鮮明な夢を見る。ちなみに、ノンレム睡眠が深い睡眠で、レム睡眠が浅い睡眠と考えるのは間違いで、むしろレム睡眠は深いノンレム睡眠と同じ程度の深さだ。

「ネズミにはレム睡眠がありますし、鳥の中でもニワトリなどいくつかの種類はレム睡眠をしています。鳥は恐竜の子孫ですよね。人間もまた太古には爬虫類から分かれてきました。とすると、鳥と哺乳類の双方にレム睡眠があるならば、おそらくトカゲなどの爬虫類にもあるのではないか。実際、最近の研究では睡眠中の爬虫類の脳では活動が活発になることがあり、目も一緒に動いている状態があることがわかってきました。ということは、爬虫類、鳥類、哺乳類の共通の先祖にはすでにレム睡眠があったかもしれない。じゃあ、魚はどうなのかということですが、レム睡眠、ノンレム睡眠という感じではないのですが、それでも2種類の睡眠がありそうだということはわかってきました。おそらく、そのあたりにレム睡眠の何か原型があるのではないだろうかと考えています」

レム睡眠──それは進化の過程で、一部の複雑な脳を持つ動物が独自に獲得したものに違いないと林は考える。言いかえれば、ノンレム睡眠のほうが進化的に古い睡眠ではないかというわけだ。これを林は線虫の遺伝子操作による睡眠の研究から次のように考える。ちなみに、体長1ミリの線虫だって“眠る”のだ。もちろん、線虫では脳波は計測できないから、生体の静止状態によって判定する睡眠の定義によって眠っているかどうかを決めるのである。

「研究者によってはレム睡眠が原始的な睡眠で、ノンレム睡眠がむしろ進化的に新しいと主張する人もいます。しかし私たちは、マウスのノンレム睡眠を促す遺伝子と相同なものが線虫にもあり、それは線虫の睡眠そのものを促す遺伝子だということを見出しました。ということは、やはり古いルーツを持つのはノンレム睡眠のほうであると。そう、私は考えています」

それならば、動物はなんのためにレム睡眠を新しく獲得したのだろうか。

「それが、私が解明したいと願う、一つの大きな命題なのです。レム睡眠を人間で研究するのはとても難しく、ちょっとした昼寝で人はレム睡眠に入りません。しかもレム睡眠の量も少ないので、人間の脳で何が起きているのかを観察するのはかなり難しいのです。そこで、私たちはマウスの脳にガラスの窓を取り付けて、睡眠中の変化を調べる研究を行いました。すると、レム睡眠時には大脳皮質の血流が大幅に上昇し、起きているときの2倍ほどになっていることがわかったのです。脊椎動物は進化の過程で大脳皮質がどんどん大きくなっており、人間の大脳皮質もとても大きいことから、レム睡眠を獲得したのはこの大脳皮質を常によい状態に維持するためだったのではないかと考えられるのです」

だとすれば、脳の高次機能にとってレム睡眠は必須の活動だということになる。実際、最近ではこんな論文も発表されているという。

「60歳以上の健康な人のうち、その後の12年以内に認知症になった人の睡眠の特徴を調べると、その多くはレム睡眠が少ない人だったというのです。つまり、レム睡眠の減少は認知症の危険サインだということが最近、わかってきたわけです」

そんなふうに人間にとって重大な役割を持っていることがわかってきたレム睡眠。だが、その全貌はいまだ見えない。それが林の情熱をさらにかき立てる。

ぐっすり眠るマウス ©林 悠

マウスの睡眠をコントロール

林たちは、マウスで睡眠をコントロールする神経細胞群を詳しく調べ、それらの細胞を制御することで、睡眠のしかたが異なるマウスを人為的に作り出すことに成功した。それは世界でも林たちだけが持つ独自の技術だ。この技術を使うことで、マウスの脳内のレム睡眠のスイッチを人間がいわばオン・オフできるのだ。

「そのためには遺伝子操作を用いるのですが、ものすごく時間がかかる、とてもたいへんな作業です。どうするかというと、まず、細胞が持っているDNA自体はみな同じです。その中で、ある細胞はこの遺伝子とこの遺伝子を使うのでそれらの遺伝子をオンにする。一方、別の細胞は違う遺伝子を使うのでそちらのほうをオンにする。というように、各細胞のDNAは同じでも使う遺伝子は各細胞ごとに異なっているのです。いわば、それが各細胞の個性です。つまり、同じ場所にある細胞でも、呼吸をコントロールする細胞と、レム睡眠をコントロールする細胞とでは、違う遺伝子のセットをオンにしているわけですね。どの遺伝子がオンになっているのかは、RNAを見ることでわかります。そして、たとえば、Aという遺伝子がオンになっている細胞が何をしているのかを知りたいときは、プロモーター遺伝子という技術を使って──これはノーベル賞を受賞された利根川進先生が神経脳科学では世界で初めて用いた技術ですが──Aの遺伝子がオンになっている細胞だけを壊してみる。そうすれば、Aの遺伝子がオンになっている細胞の役割が何だったのかがわかるわけです」

そうやって林はマウスのレム睡眠をコントロールする脳内のスイッチを見つけ出した。もちろん、人間ではまだレム睡眠を制御できないが、少なくとも脳幹にレム睡眠をオン・オフできる細胞があるに違いないということまではわかっている。

「加齢やストレスからレム睡眠をコントロールする細胞の機能がだんだん衰えてくると、レム睡眠が減ってきます。すると、大脳皮質の血流が停滞し、そのために認知機能が低下していくのではないか。私はそんなふうに考えています。私たちはレム睡眠をコントロールする細胞に、神経活動を上げるような遺伝子を入れてやることでマウスのレム睡眠を増やすことができました。そんなふうにしてレム睡眠を人為的に増やすことができれば、人間の認知症の進行を遅らせたり、防いだりすることができるようになるのではないかと思っています」

眠らなくても死ななくて済む?

レム睡眠の解明の他に、林が今最も力を入れている研究が、眠らなくても死なない線虫を作ることである。

冒頭に書いたように、動物は眠らないと必ず死ぬ。だがその理由はまだわかっていない。林が挑むのは、まさにその理由なのだ。

「一時期言われていたのは、血中にいわゆる常在菌のような菌が増えて免疫力が下がり、敗血症のようになって死ぬのではないかということ。でも、その後、抗生剤などで菌の繁殖を抑えても、眠らないと死ぬことがわかってきました。他にも、眠らないと活性酸素が溜まるからではないかとか、いろいろな仮説があるのですが、いずれも確かなエビデンスはなく、どれもはずれてきました。ということは、人間の想像力を超えたところに理由があるのかなと」

言いかえれば、想像力で仮説を立て、それを実験で証明していくようなアプローチでは限界があるのではないかと林は思ったのだ。では、どうすべきか。仮説をあらかじめ立てることをやめて、まずは遺伝子に無作為に傷を入れ、面白い現象が出てきたものを拾い出し、そこで何が起きたのかを調べる、そういうアプローチのほうが適しているのではないか。そのためには、線虫がターゲットとしてぴったりだ。そう林は考えたのだ。

「線虫も眠らないと死にやすくなることはわかっていましたので、線虫でも睡眠の役割は解明できるはずだと思いました。私たちは、いろんな遺伝子にランダムに変異を入れるという実験をしてみました。すると、普通の線虫の2倍以上よく眠る変異体が取れたのですね。その線虫がなぜよく眠るのか、次にそれを調べました。すると、その線虫の変異体は、全身に不良品のタンパク質──ちゃんと折りたたまれていないタンパク質がたくさん溜まりやすい線虫だということがわかったのです」

林はマウスでも同様に調べてみた。すると、不良品のタンパク質を除去できないマウスほどよく眠ることがわかったのである。つまり、起きて活動していると不良品のタンパク質が溜まってくる。それを解消するのが睡眠の重要な役割の一つではないかというのだ。

「なぜ睡眠が不良品のタンパク質を除去するのか、それはまだよくわかっていません。ただ、睡眠中は新しいタンパク質の合成が一度抑えられるのではないかと考えています。つまり、溜まった不良品のタンパク質を処理しやすい状態にしているのが睡眠ではないかと。他にも何かあるはずだとは思っていますが、まずそれが確実な理由の一つではないかと思っています」

この、身体の末梢組織などに不良品タンパク質が溜まると動物は眠るという発見を報告する論文は、2023年に発表したばかりである。つまり、「睡眠の存在理由」をめぐる今最もホットなトピックスなのだ。

研究室所属の学生さんと林教授

なぜ動物は夢を見るのか

小さい頃から動物が大好きだった。

「とくに魚が好きでした。祖父が教えてくれた投網が得意で、いつも川で魚を捕っては何日間か家で飼って観察して、次の投網に出かけたときに川に逃がして……ということをずっとしていました」

情報科学の研究者であった父の渡米に伴い、小学1年から5年までをアメリカのテキサス州やロードアイランド州で過ごした。雄大な自然に触れる機会が多いそこで少年時代を過ごしたことが、林をますます生物好きにした。だから、東大理学部に入り、生物学を選んだのはごくごく自然な流れだった。

「もともとは動物の行動というものに興味がありました。そこからおのずと脳に行き着いたという感じですね。脳科学をやる人というのは、動物より人間への関心から入る人が多いと思うのですが、私の場合は、動物のほうから脳へと関心が流れていったのですね」

京都大学に勤務していたときは、暇があればよく子どもと一緒に琵琶湖に魚を捕りに行っていたという。投網で捕った魚を見ながら、この魚の睡眠はどうなっているのかなあ、夢は見ているのかなあと考えていたと林は笑う。

「なぜ夢を見るのか。そのことにも、とても興味があるのです。夢の研究で難しいのは、夢は見た人の自己申告に依存するということです。だから、夢の研究は人間でしかできませんでした。でも、マウスでもできる可能性はあるのです」

人間はレム睡眠中に夢を見ても体は動かない。それはレム睡眠が体を金縛り状態にするからだ。そのため、レム睡眠はもしかすると夢を見るために進化的に獲得されたのではないかと、林は時に思うことがある。そんなレム睡眠の最中にもかかわらず、立ち上がったり、跳びはねたりして体を動かすマウスを作り出すことに林は成功した。

「レム睡眠高度障害というものに悩まされている方々がいて、その人たちはレム睡眠中に夢の通りに叫んだり体を動かしたりするのですね。そういう人たちのレム睡眠関連の細胞の状態と、レム睡眠中に動くマウスの細胞の状態が同じかどうかを、いま調べているのですが、もしも、両者が同じなら、そのマウスはレム睡眠中に夢の通りに動いていると考えられるわけです。ということは、夢を読み取れるマウスが作れるということになります。夢を見ているときの脳の活動を、人間ではなく動物を通じて研究することができれば、夢の役割についての解明も早まるのではないかと思います」

そんなふうに睡眠の数多の謎に挑み、そのベールを一枚一枚着実にはぎ取っていく林。

研究室での研究が睡眠についてのさまざまなことを明らかにしていく

「生物学者はとても楽しいですよ。科学の大型化が進む中で、生物学にはまだ小型のサイエンスだからこそできる発見というものがいっぱいあります。その意味では、一人一人が独自の大きな発見ができるのが生物学だと言えます。理学は、新しい原理を見つけることができる学問です。たくさんの若い人に理学部に来てほしいですね」

ちなみに林本人の睡眠だが、若干、いびきの気があるという。

「妻に『うるさい』って言われます」

林研究室HP:https://hayashi-sleep-lab.net/

※2023年取材時
文/太田 穣
写真/貝塚 純一

生物科学専攻 教授
HAYASHI Yu
林 悠
2003年、東京大学理学部生物学科 卒業。 2008年、東京大学大学院理学系研究科博士課程生物科学専攻修了。2016年~2020年、筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 (WPI-IIIS) 若手フェロー、准教授。2020年~2022年、京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻 教授。2020年~現在、筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 (WPI-IIIS) 客員教授(兼任)。2022年~2023年、京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻 特定教授。2022年~現在、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 教授。
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