ダーウィンの進化論も、メンデルの遺伝の法則も、生命科学の偉大な発見は、多様な生物のつぶさな観察から生まれた。生物の多くは森や海にいる。その多様な生態から、進化の根源を探る――。
◎宝箱のような海を舞台に、生物進化の謎と向き合う
朝、三浦教授は研究室に着くとときおりウェットスーツに身を包んで海に潜る。そこは、東京湾と相模湾を隔てる三浦半島(神奈川県)のほぼ突端。この地にある理学系研究科附属臨海実験所が、三浦教授の研究拠点だ。
研究テーマは、生物の「表現型可塑性」だ。表現型とは、生物個体の姿形や特徴(形質)のこと。表現型に大きな影響を与えるのは遺伝情報(ゲノム)だが、それだけで表現型が決まるわけではない。多くの場合、環境の影響も受ける。表現型可塑性とは、生物個体が環境条件に応じて表現型を可塑的に変化させられる性質のことを指す。
「多くの昆虫は、脱皮や変態の季節によって表現型が変化します。チョウが季節ごとに翅の色や形を変えるのが好例です。また、アリやハチ、シロアリなどの社会性昆虫には、女王や王、兵隊やワーカーなどの階級があり、ゲノムはほぼ同一であるにもかかわらず、それぞれに特徴的な形質を示します。こうした表現型可塑性のメカニズムや、進化における意義を研究しています」
三浦教授が海に潜るのは、表現型可塑性を持った海洋生物を捕まえ研究するためだ。実験所周辺の海域は東京湾と相模湾の境にあたり、多様な海洋生物が生息している。「ほとんど研究されていない変な生き物がたくさん捕れる」と、三浦教授は宝箱を見つけた少年のような笑みを見せる。
◎同じゲノムから、異なる形質が発現する
いま力を入れて研究に取り組んでいる海洋生物のひとつが、ゴカイに近縁なシリスだ。シリスは岩場や海底に付着して生活し、個体の成熟とともに尾部に卵巣や精巣が発達する。その後、尾部がちぎれて泳ぎ出し、卵と精子を放出する。ちぎれた部分はストロンと呼ばれ、頭部や目も備わっている。それはすなわち、親個体のゲノムを受け継ぐクローンだ。その命は卵と精子を放出すると終わるが、親個体では尾部が再生し、再びストロンを放出する。「親のクローンであるストロンが、親とは異なる形質を発現させます。ストロンの形成を促す環境要因は何なのか、どのようにして尾部がストロンに変化するのか、その秘密を探っています」
三浦教授が海洋生物を本格的に研究し始めたのは、2017年に臨海実験所に赴任してきたのがきっかけだ。それまでは主に、シロアリやアブラムシなどの社会性昆虫を研究対象としてきた。
シロアリには、生殖虫(女王・王)や兵隊、ワーカーなどの階級がある。教授が長く研究しているオオシロアリでは、ワーカーが脱皮を繰り返して生殖虫と兵隊に分化する。ずっとワーカーであり続ける個体もいる。「シロアリは、同じ親から生まれた集団で生活しています。ほぼ同一のゲノムを持った集団内の個体が、階級ごとに異なる形質を発現するわけです。階級分化は、シロアリの体内を巡るホルモン濃度によって決まりますが、それが何によって調整されるのかは分かっていません。集団から生殖虫や兵隊を除くと、それらへの分化が誘導されることから、生殖虫や兵隊から、ホルモン濃度を調整する何らかのフェロモンが出ていると考えられています」
◎興味を持ったこだわりを、理学なら受け止められる
「学生のころは冒険家になりたかった」研究者を志したいきさつを尋ねると、そんな答えが返ってきた。
「小さいころからカブトムシやクワガタムシが大好きで、生物学科に進もうと決めていました。でも人気が高くて進振りの点数も高くて……。自主留年して、大学受験のときよりも猛烈に勉強しました」
外国語の点数も上げようと、いろんな語学を受けたひとつがインドネシア語だった。「子どものころは、ボーイスカウトにも入れ込んでいました。探検気分で沖縄の西表島に行って感動し、本物の熱帯雨林を見てみようとインドネシアのボルネオ島も旅しました。熱帯雨林の昆虫を研究すれば、探検しながら昆虫に触れられる。そう思って大学院に進学し、熱帯でフィールドワークをしている研究室のお世話になりました。ところが、カブトムシやクワガタムシはそう簡単に見つけられない。シロアリの研究を始めたのは、熱帯雨林の至るところにいて扱いやすかったからです」
それからしばらく、主に社会性昆虫を研究対象としてきたが、海の生物も研究し始めたのはなぜなのか。
「昆虫は生物分類上、節足動物門昆虫綱という大きなグループに分類されます。いろいろなことが分かってきていますが、海にはもっと多様で、進化系統樹の根っこ近くに位置づけられるものがいます。昆虫や節足動物の常識では考えられないことがたくさん起きている。その生態や発生・分化の仕組みを明らかにすれば、進化の根源により深く迫ることができます」
三浦教授は、生物進化の過程で最初期に“左右相称性”を獲得したと考えられる無腸類の研究も進めている。その意義は、「ヒトを含めた左右相称動物の進化を考えるうえで、重要なヒントをもたらしてくれる」ことにあるという。
教授が自身の研究を語る表情は、終始楽しげだった。
「とにかく研究が楽しくて楽しくて……。今も夏休みの延長のような気分で研究しています。学生のみなさんには、興味を持ったことにとことんこだわってほしい。そのこだわりを受け止め、温かく見守ることができるのが理学という学問だと思います」
※2019年理学部パンフレット(2018年取材時)
文/萱原正嗣、写真/貝塚純一