ミクロとマクロを繫ぐもの
理学部数学科の准教授である松井は、学生たちに線型代数を教える一方で、自身の研究テーマの説明文にはスピンや量子場という用語が踊り、何やら物理学の匂いがぷんぷんする。いったい、松井は数学者なのか?それとも物理学者なのか?
「そうですね、私自身は物理学者だと思っているのですが、ちょうど数学と物理の境界領域というんでしょうか、物理的な直感を使って研究を進めていく中で、新しい数学が生まれる可能性もあるような、そういう領域を研究しています」
そう言って松井はほほ笑むが、聞き手の謎は深まるばかり。数学と物理の境界領域──それはいったいどんな世界なのだ?
そもそも、きっかけを作ってくれたのは小学校5年生の時の、理科にめっぽう強い担任の先生だった。
「小学生の枠にとどまらないいろんな知識を教えてくれて、日常の出来事を科学の理論で説明してくれるような先生だったんです。理科って面白いなっていう気持ちがそこで芽生えて、中学、高校になると、中でも物理をちゃんと勉強しておけば、どんな科学の分野のことも理解できるようになるのではと思うようになりました」
もちろんその根底には、宇宙そのものを、その神秘を理解したいという素朴で抑えがたい情熱があった。
東大理学部に進み、物理を学ぶが、「学部の授業がすごく難しくって、とくに『物理的に』という言葉ですまされる説明が、うまく飲み込めませんでした」という。そんな中でとくに惹かれた統計力学を、松井は大学院で研究しようと心に決める。
統計力学とは、ミクロ(微視的)な世界とマクロ(巨視的)な世界をつなぐものと言えるかもしれない。あるいは、ミクロな世界で起きていることが、マクロな世界ではどんな現象として現れ出るのかを探るものと言えるだろうか。
「ミクロな視点では、それぞれの粒子はシュレーディンガー方程式やニュートン方程式にしたがって動いています。たとえば粒子1個であれば、その動きを方程式から解くことができますが、その粒子の数がアボガドロ数のように10の23乗個などといったものすごく大きな数になった場合は、そのすべての動きを方程式で解くことは不可能です。でも、そういった多体──つまり、たくさん粒子が集まっているからこそ出てくる性質というものを、統計の知識を使ってミクロな世界の法則から取りだしてあげようというのが統計力学です」
さらに言いかえれば、量子力学などの法則に従って運動するミクロな世界の粒子たちがとてつもない数の大集団となったときには、いったいどんな振る舞いをするのか、どんな現象を起こすのか。そんなマクロな世界での性質を、確率や統計の考え方を使って導くのが統計力学ということだ。
大学院でこの統計力学を学び、研究し続けた松井だったが、その関心はやがて数学の側へと大きく向き始める。
「物理学における二大基礎理論が量子力学と統計力学だと思うのですが、その二つとも、どこかで数学的に詰めていかなければならない地点に突き当たります。ところが、数学的に厳密に取り扱えるものと、厳密に取り扱えないので近似するというものと、近似もできないので数値計算で頑張るというものと、そこにいろんなやり方が出てくるのですね。私はその中でも、厳密に取り扱えるものにとても興味があって、その厳密に取り扱えるクラスとはどういうものなのか、厳密に取り扱えるからこそ出てくる性質とは何なのか。そういうところに関心がシフトしていって、それで数学科に移ったのですね」
いったい、厳密に取り扱えるものとは? 謎はさらに深まる……。
厳密に解ける模型?
松井の大きな研究テーマの一つに「可解模型」というものがある。どうやらこれが「厳密に取り扱えるもの」のようである。まずは、模型(モデル)とは何か、から説明していただこう。
「物理学では、ある観察したい現象や物質があるときに、それをそのまま丸ごと数式にして表しているわけではありません。注目したい現象や性質だけをうまく取り出せるような数式になるように考えてあげるのですね。そうすることで、ひょっとしたら他の性質は記述できないかもしれないけれど、取り出したい部分だけはうまく記述できるようになる。そんなふうに組織化してあげることが『模型(モデル)』化だと思います」
つまり、ある物理的現象を矛盾無く記述し、理解するために構築された数学的な枠組みということだろうか。そして「可解模型」なる枠組みこそが、「可解」──すなわち問題を数学的に厳密に「解」くことが「可」能な模型なのだという(正確には複数の模型の総称)。
「統計力学における模型を考えていろいろ研究する上でも、実はいろんなタイプの手法があります。その中でも可解模型──厳密に解ける模型、厳密にいろんな物理量が計算できる系になると、やはり数学との関係がとても深くなってくるのですね。私はそういう模型を特に対象として研究を進めたかったのです」
可解模型なるものの面白さについて、例をあげて教えてほしいという質問に、松井はこう答えてくれた。
「今のところ統計力学が記述できるのは平衡系と呼ばれる系(システム)のみで、マクロに見て動きがないようなところだけなのです。統計力学にはいくつかの原理があって、たとえば一つの箱の中のたくさんの粒子(たとえば気体分子など)からなる状態が平衡状態にあるとき、その箱の中のミクロの状態を観察すればそこにはいろんなパターンがあるわけですが、そのたくさんのミクロの状態はエネルギーが等しければマクロに見るとほとんど区別できないという原理があります。これはティピカリティ(典型性)と言います。また、等重率(等確率)の原理というものがあり、これは、エネルギーの等しいミクロな状態はすべて同じ確率で実現されるというもので、平衡状態とは異なるミクロの状態がその中に含まれていたとしても、その全体に対するそのウェイトはとても小さくなるのでその例外は無視できるということです。こういった統計的な考えを基礎に記述するのが統計力学です」
またまた乱暴を承知で言いかえるなら、たとえばスイッチの入った湯沸かしポットの中のフツフツと湧いているお湯の状態は非平衡状態だが、スイッチを切ってそのままにしておき、室温と同じ状態になって落ち着いたポットの中の水の状態が平衡状態と考えればよい。また、ティピカリティ(典型性)とは、ポットの中の水の分子はいろいろな速さで運動している状態が考えられるが、ほとんどの場合、マクロな量は同じ値を取るということであり、等重率の原理とは、ポット中の全体のエネルギーが同じであれば、それぞれの水分子がいろいろな速さで運動する状態はすべて同じ確率で起こるということである。
「この平衡系の記述において、私が考えているような可解模型というのを考えてあげると、この『エネルギーが等しい』としたところを、『《エネルギー+箱の大きさとともに個数の増える保存量》が等しい』に置きかえて考えなくてはいけないので、等確率で出現するミクロな状態が少なくなってしまい、統計的な考え方が使えなくなってしまうのですね。可解であるというのは、対称性がとても高くなることで、それは保存量が多いことになり、そうなるとさまざまな条件が増えてきてしまい、統計的な考えを満たすような領域がとても小さくなってしまうんです。そのため、これまでの熱平衡の考え方では説明がつかない系になっているのではないかという話が出てきていて、これが最近ではブームになってきていて、とても面白いと思っているのですね」
また、統計力学の視点から離れると、こんな面白さもあるのだと松井は語る。
「可解模型は物理模型の中ではかなり抽象化された模型です。物理現象の背後にある数学的な構造だけを取り出したというイメージですね。そのため、たとえば、ナノ物理に現れる現象と宇宙スケール(高エネルギー物理、弦理論など)に現れる現象とが同じ可解模型で記述できるなど、一見、何の関連もなさそうな物理現象の中に共通の数理構造が見出せるのですね。それもまた可解模型研究のとても面白いことの一つです。いつの日か可解模型の研究を通して、ミクロ(原子レベル)からマクロ(宇宙レベル)までを一括して理解できるのじゃないかと思うこともあります。もちろん、現実世界はもっと複雑なので、抽象化してエッセンスだけ取り出せば、の話ですが」
そう言って松井は楽しそうに笑う。だが、謎はやはり謎のままだ。
ここが数学と物理の境界領域
自分を「物理学者」と考える松井は、その理由をこんなふうに語る。
「たとえば研究している内容は同じでも、そのモチベーションには数学者と物理学者とでは違いがあると思います。私は物理学の話を聞くと、反射的に『あ、それだったらこういうモデルに変形したらどうなるのかな』とか、『出てきたものがこういう量だったらどうなるのかな』といった、物理学的な直感だとか、物理現象にリンクするような反応をしてしまうので、やはり自分は物理学者なのだなと思ってしまうんです。一方で、その先にどういう数学的な拡張が可能なのかとか、そこに新しい数学は出てくるのだろうかという点に興味を持つ人は、やはり数学の人なのかなって、そういう印象を持っています。でも、『物理屋』の私ですが、願わくは数学と物理学の両方に貢献したいなと思っています」
その貢献のイメージを松井はこう答えてくれた。
「私は厳密に解ける可解模型を研究していることもあって、物理的な観点から拡張していったとしても必ず新しい数学が必要になる場面が出てきます。それはまったく新規に作られた数学ということだけではなく、全然別のコンテキストで知られていた数学という意味も含めてですが。そういうケースが多々あるのです。たとえば、最近私がおこなった仕事ですが、スピン模型(原子どうしが自転の向きに応じて相互作用する模型)についての研究なのですが、「初めにスピンの配置を乱してから十分に時間を置いたときに、スピンの流れは見られるか?」という、ずっと解決できなかった問題がありました。それは結果的に数学的な問題に帰着するものだったのですが、あるとき、今まで物理学では使われたことがなかった、ある数学的な量を用いてみたところ、それが解決できたのですね。その手法はまったく別の数学の研究で発見されたものだったのですが、まさかこのスピン模型で使われるとは誰も思ってもいなかったのです。その手法を発展させてきた数学者自身も、そういう使い方をされるとは思ってもみなかった。そんなふうに、物理の研究だけをしていたら分からなかった数学の使い方、数学の研究だけをしていたら分からなかった数学の使い方、それを見つけて使うできるということが、やはり数学と物理学の両方をやることの大事な点であり、貢献できることだと思うのですね」
つまり、ここが数学と物理の境界領域ということなのか。
「私の研究分野は可積分系と言われるものなのですが、最近ではこの分野に興味を持ってくれる人が増えてきました。以前は数学に寄りすぎているとか、非現実的だとか言われて、敬遠されていた時期もありました。可積分系の模型は数学的な整いを保つために、ちょっと非現実的な相互作用が入ったりするので、それが実験に乗らないとか、恣意的だとか言われていたのですね。ところが、実験技術が向上して、その非現実的と言われた相互作用が実験で再現可能になったり、可積分系特有の性質が分かってきたりしたことで、最近また注目を浴びてきていて、ちょっと嬉しいな、と思っています。以前は私が発表する時は会場がシーンとしていたのですが、いまはたくさん質問もいただきます」
いまも挑戦を続けている課題が松井にはある。その解決は、彼女の夢でもあるという。
「閉じた系の可解性(多数の粒子の振る舞いが厳密に計算できること)はある程度知られているのですが、開いた系──つまり外部と相互作用があるような系に対しては、どうしたら解けるのかというのはまだほんの一部しか分かっていないのです。中には奇跡的に解けてしまうような可解模型の例もあるのですが、それもなぜ解けるのかが分からない。それらを数学的に定式化したい。私には、そういう思いがあります。古典系というのは基本的に量子系のある種の極限であるので、その古典系に近いところの理論を作るところからでもできたらなと思って、ずっと挑戦しているのですが、なかなかうまくいきません」
それにしても、数学と物理、その両方に視線と思考を常にクロスオーバーさせつつ研究を続けること。それはすさまじい労力を要することではないだろうかと思うのだが。
「いえ、すごく楽しいですよ。でも、自分の中でやはりどっちも中途半端になっていないだろうかという不安とか、負い目は感じますね」
物理屋の直感と感動
松井は幼い二児の母である。パートナーもまた研究者で、超伝導や非平衡系が専門である。となると、同じ物理の研究者どうし、家で議論が始まって、ついつい喧嘩になったりはしないのだろうか。
「しますよ(笑)。しょっちゅう喧嘩しています」
……やっぱり。
「身内じゃない方と議論をするときはちゃんと相手の意見を聞きますし、相手の話の意味を必死に理解しようと思うんですが、身内だと『そんなこと、分かっている』という傲慢な心があるのでしょうね、イラッとすると、つい言い返しちゃって(笑)。でも、家に常に議論できる相手がいるというのは、実はとても楽しいことなんですよ。夫には子どもを保育所に迎えに行ってもらったり、食事を用意してもらったりとかしますし、家のことは二人でしっかり分担をしています」
そんなふうに女性研究者の一つの「模型」である松井は、研究者を目指す女性に向けてこんな言葉をくれた。
「自分の興味のおもむくままに、やりたいことをやると、本当に楽しい世界が待っています。ぜひ、足を踏み入れていただきたいなと思います」
松井にとっての楽しい世界の一つである数学については、その魅力をこう語る。
「やはり、数学によって目の前の世界の成り立ちを自分なりに理解できるかもしれないというところが第一の魅力ですね。それから、もう一つ。私はけっこう語学が苦手ですけど、数学って万国共通の言語なんですよ。難解ではありますが、文化や言語と関係なく、ちゃんと追っていけば誰でも理解できる言葉で書かれている。それがとても魅力だというふうに思っています」
とは言われてみても、見たことのない記号が並ぶものであることには変わりはないのだが……。
「こう考えたらどうですか。数学が難解に見えるのは、万人に分かるように書こうとして難しくなっちゃったからだと。だから、本来はそんなに難しいものではないはずなんです。なのに式が煩雑だったりとか、使われている記号が特殊だったりするので、みんな敬遠してしまうのですが、ある規則に従って書いてあるだけなので、分かれば『全然難しいこと言ってなかった』というようなものもけっこうあるんですよ。ちなみに、私だって知らない記号、いまだにあります(笑)」
松井はパソコンではなく、“手で計算する派”だという。以前は紙に書いて計算していたが、最近はタブレットがお気に入りだ。計算が間違ったときは、すぐに消せるのがいいという。ただし、長大な計算が実は全部間違っていたと知ったときの絶望感は「半端ない」と言う。
「私は物理出身なので、これはこうなるべきだという直感が自然とわきあがってくるときがあるんです。その直感が的中して、これまで解けなかった問題が、ちゃんと数式で示せたときなどは、ほんとうに感動します。こうなるんだ、やっぱりね!! みたいな感じで。とはいえ、そういうことはそれほど頻繁には起こりませんけど。あれば、もっとたくさん論文を書いていますよ」
そう言って、松井はまた楽しそうにほほ笑むのだ。
※2023年取材時
文/太田 穣
写真/貝塚 純一