東京大学理学部は、2017年に創設140年を迎えた。明治時代から日本科学の礎を築き、戦後にはノーベル賞・フィールズ賞受賞者を生んだ。その軌跡を、駆け足で振り返る。
日本の科学、揺籃の地
東京大学の創設は今からおよそ140年前の 1877(明治10)年、そのとき理学部も設立された。だがその淵源は、さらに200年近く遡ることができる。1684(貞享元)年、徳川幕府内に暦を司る「天文方」が設立され、 天体観測の技術や知識の蓄積が、後の理学部に引き継がれた。同年に徳川幕府が開設した「小石川御薬園」は、理学部設立時に「理学部附属植物園」となった。1860(万延元)年には、後の化学科の母体となる「蕃書調所 精錬方」が、やはり徳川幕府内に設立された。
理学部設立時に発足した学科は、「数学物理学及び星学科」、「地質学及び採鉱学科」、「化学科」、「生物学科」、「工学科」の5つだ。「数学物理学及び星学科」は、数学科・物理学科 ・天文学科の母体であり、「地質学及び採鉱学科」は、後の地学科、現在の地球惑星環境学科につながっていく(工学科は後に分離して工学部の母体となる)。
創設当時の理学部には、「日本物理学の源流」と称される山川健次郎博士(1854-1931)や、「日本近代化学の父」と呼ばれる櫻井錠二博士(1858-1939)が名を連ねる。山川博士の教え子には、1903(明治36)年に原子の「土星モデル」を提唱した長岡半太郎博士(1865-1950)が、櫻井博士の教え子には1907(明治40)年に「うま味」の成分を発見した池田菊苗博士(1864-1936)がいる。
世界のなかの東大理学部
理学部は、それぞれの時代に新たな学問分野を開拓してきた。当初発足した学科に次いで、1923(大正11)年の関東大震災をきっかけに地震学科が新設された。1941(昭和16)年には地球物理学科へと名前を変え、現在の地球惑星物理学科につながる。1958(昭和33)年には生物化学科が誕生する。1940年代ごろから米国を中心に分子生物学が急速な発展を見せ、国内の大学で初めて分子生物学を専門に担う学科が設置された。
コンピュータが社会に浸透し始めた1975 (昭和50)年には、情報学の研究・教育ため に情報科学科が設立された。情報科学の発展は科学のあり方をも大きく変え、なかでも生命科学に大きな影響を与えた。2000年代に入り、生命を「情報」として捉えるバイオイ ンフォマティクスを司る教育プログラムを設置し、2007年には、それを発展させる形で生物情報科学科を新設した。
140年に及ぶ歴史のなかで、理学部は多くの世界的人材を輩出してきた。その象徴が、世界的な賞の受賞者だ。最初の栄冠は、1954(昭和29)年に日本人としても初の数学フィールズ賞を受賞した小平邦彦博士(1915-1997)である。複素多様体論に関する業績が認められた。1973(昭和48)年には、卒業生で初のノーベル賞を江崎玲於奈博士が受賞(物理学賞)、理由は「半導体のトンネル効果の発見」である。21世紀にもノーベ ル物理学賞の受賞が続いた。2002年の小柴昌俊博士、2008年の南部陽一郎博士(1921- 2015)、2015年の梶田隆章教授(理学系研究科出身)の3名だ。理由はそれぞれ「宇宙ニュートリノの検出」、「自発的対称性の破れの発見」、「ニュートリノ振動の発見」で、い ずれも素粒子物理学における画期的な成果だ。 2016年には、理学系研究科出身の大隅良典博士が、「オートファジーの仕組みの解明」で、初のノーベル生理学・医学賞に輝いた。2021年には、理学部出身の真鍋淑郎博士が、「複雑系である地球気候システムのモデル化による地球温暖化予測」を理由に、大気海洋科学分野では初めてノーベル物理学賞を受賞した。理学のフィールドは世界中にある。東大理学部は、たしかにその一翼を担っている。
※ 文/萱原正嗣、イラスト/Yo Hosoyamada