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理学のフロンティア

量子力学の奥深く美しき世界に魅了され

物理学専攻 教授

村尾 美緒

January 4, 2023

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奇妙奇天烈な“重ね合わせ”

2022年のノーベル物理学賞は、量子もつれ(エンタングルメントとも言う)の研究において大きな貢献を果たした仏パリ・サクレー大学のアラン・アスペ(Alain Aspect)、米のジョン・クラウザー(John Clauser)博士,オーストリア・ウィーン大学のツァイリンガ−(Anton Zeilinger)教授の3氏に贈られた。そのため、この量子もつれが主役となる量子情報科学や量子コンピューターに世界中の熱い視線が注がれることとなった。実はこの領域こそが、村尾美緒教授の取り組み続けてきた分野なのである。

「私の父も理系の研究者なのですが、その父から量子もつれが何か分かるように説明してほしいって言われて試みたんですが、何言っているか分からないって怒られて」と村尾はおかしそうに笑う。

電子や光子、原子核といった超ミクロのスケールの世界を扱う量子力学は、確かに、私たちの常識に反するような奇妙なことでいっぱいだ。あのアインシュタインでさえ、この量子もつれという現象を「不気味な遠隔作用だ」として受け入れなかったほどである。だから村尾もこう言うしかない。

「本当に分かるように説明しようとすると、線形代数という数学から始めないといけないのですが、でもそれをするとみんな嫌がるみたいで(笑)。結局、重ね合わせの原理というのがいちばん重要で、重ね合わせの原理があるからこそ量子もつれもありうる。この重ね合わせの原理をちゃんと理解するには、線形代数やベクトルを理解することが大事、とまた戻ってしまうのですが、そのベクトルが複素数のベクトルなので、イメージを想い描きにくくて慣れないと難しいところなのですけれど……」と、村尾の表情が今度は曇る。

私たちの日常の世界では、物体の位置や運動量(速度など)を同時に計測してその値を知ることできる。たとえば、米MLB・エンゼルスの大谷翔平選手が投げるボールの軌跡のように。ところが、ミクロの世界では粒子の位置と運動量は、両者を同時に測定することができず、それぞれの情報を取り出すことはできないのだ。これは、量子力学では、重ね合わせ状態を測定すると重ね合わせが解かれ、重ね合わせ具合に応じてランダムに粒子の状態が変化してしまうことと、位置と運動量が互いに他方の重ね合わせとなる関係にあるために起きる現象であり、不確定性原理と呼ばれる関係式をみちびく。つまり、重ね合わせとは、測定後に確率的に変化しうる状態を成分として含む状態のことであり、測定前にはまだ実現していないすべての可能性が可能性のまま「重なり合って存在している」状態のことであるとも言える。とはいえ、それは実に奇妙な状態である。

「シュレディンガーの猫」という、ちょっと可哀想だが、有名な思考実験がある。箱の中に一匹の猫を入れ、その猫がランダムな確率で死ぬように放射性元素の崩壊でスイッチが入る毒ガス装置を仕掛ける。猫が死んだか、まだ生きているかは、箱を開けて中を見れば分かるわけだが、さて、箱の中を見ることができない状況では、中の猫は死んでいるのか、生きているのか。常識で考えれば、当然、猫は生きているか死んでいるかのどちらかであり、単にそれが分からないだけの話である。ところが、この猫の状態を量子力学の重ね合わせと見れば、猫は生きているわけでもなく、死んでいるわけでもない。生と死の二つの状態が重ね合わさっているのだということになる。

「これは、ある確率で生きていて、ある確率で死んでいるということとも違います。生きている猫と死んでいる猫が同時に存在してるわけでもありません。箱の中の猫は生きている状態の成分と死んでいる状態の成分をもつが、生きてるわけでもなく、死んでるわけでもない。つまり、重ね合わせなんです」

生きながら死んでいる猫、死にながら生きている猫──そういうことでもないらしい……。つまり、重ね合わせと言う以外にないということか。

粒は粒、波ではない

「位置と運動量が互いに重ね合わせの関係にあるように、量子力学の根本はこの重ね合わせの原理だと言ってもよく、重ね合わせの説明として波の性質というアナロジーがよく使われます。でも、波の性質は持っているけれども波ではありません。粒子は粒子なのです。波のように重ね合わせのできる粒子。言いかえれば、重ね合わせている状態を波と呼んでいるのですが、これを波と粒子の二重性のように言って説明する教科書がとても多い。でも、それは波と粒子を同列に扱って大きな誤解を与えてしまうような気がします」

この「粒子の持つ波のような性質」を説明するときに使われるのが「二重スリットの実験」である。電子を一つずつ発射できる電子銃があり、その銃口の先にあるスクリーンには電子が当たると跡が付く(これは測定を意味する)ようになっている。この電子銃とスクリーンの間に、二つのスリット(「Ⅱ」のように並ぶ微細なすき間)を開けた板を置く。さて、この状態で電子銃から電子を連射したとしよう。電子は二つあるスリットのうちどちらかを通ってスクリーンに当たるわけだから、おそらくスクリーンにはスリットと同じ「Ⅱ」のような跡が付くはずだ。ところが、実際にスクリーンに描かれるのは濃淡のグラデーションのついた「ⅢⅢ」のような縞模様なのである。こうなるのは、一つの電子が二つのスリットを波のようになって同時に通過し、干渉縞ができたからだとしか考えられない。これが、電子はあるときは波であり、あるときは粒子である二重性を持つと説明されるゆえんだ。だが、村尾は、それは「波と粒子の二重性」ではなく、「粒子は粒子」であり、異なるスリットを通過する粒子の重ね合わせの状態を「波」と呼んでいるのだと説明する。粒子であり、かつ波であるというだけでも摩訶不思議で理解しがたいことであるのに……。

「量子力学の性質は古典のアナロジーで考えるととても不可思議で、直感に反したことがたくさん引き起こされることになってしまいます。量子もつれは、光子の場合、もつれている2つの光子の片方を測定するともう一方の光子に瞬時に影響を与えるという不思議な性質を引き起こしますが、重ね合わせ状態を持つ複素ベクトルの性質を量子力学の測定のルールにしたがって普通に追っていくと、驚くべきことでも何でもないのですね。私の場合は量子の世界が普通になってしまっているので、不思議なことは何もない、そういうものでしょう、みたいな感じになってきています。むしろ普通の日常の世界のほうが特殊な状況のように思えたりもします」

とはいえ、私たちにとってはやはり不思議極まりないのだが、ここで量子もつれについての説明にトライしてみたい。ここでは電子を例にとろう。ここに量子もつれにより強い相関関係を持つ(EPR状態にあると言う)二つの電子がある。この二つの電子は特別な重ね合わせを持ち、互いにどんなに距離が離れていようが、一方の電子の状態が測定されると重ね合わせが解かれて、瞬時にもう一方の電子の状態に測定結果に対応した変化が引き起こされるのである。あたかも運命の絆で結ばれた双子さながらに。たとえば、EPR状態にある二つの電子のうちの一つを地球に置き、もう一つを月面に置いたとしよう。このとき、地球にある電子のスピン(量子力学に特有の角運動量)の向きを測定して上向き(z軸上向き)であると決まったとき、月面上にあるもう一方の電子のスピンは瞬時に下向き(z軸下向き)として決まるのである。さらに驚くことに、電子のスピンを測る向きを変えて右向き(x軸上向き)であると決まった時には、月面上にあるもう一方の電子のスピンは、今度は瞬時に左向き(x軸下向き)として決まるのである。まるで、光速を超えた速さで、地球の光子から月面の光子に測定の向きと測定結果の情報が伝わったかのように!! これが量子もつれだ。もちろん、光速を超えて伝わる情報など存在しない。アインシュタインがこの量子もつれを否定したゆえんである。だが、2022年のノーベル物理学賞を受賞した3氏は、間違っていたのはアインシュタインのほうであり、量子もつれという現象は間違いなく存在することを実験によって証明したのだ。ただし、量子もつれによって光速を超えて情報が伝わるわけではない。量子もつれは光速を超えた状態の変化によって古典力学ではありえない強い相関を作り出すが、測定結果はランダムに決まり、測定の向きを知らないと相関を持つ測定はできないために、光速を超えた情報の伝搬はできないのである。

なぜなぜミオちゃん

幼い頃の村尾は「なぜなぜミオちゃん」と呼ばれていたという。

「なんで空は青くなったり赤くなったりするの?、とか、親にも近所の人にもいつも、なぜ? なぜ?って言う、ちょっと“ウザイ”子だったんです(笑)。学校でも先生が納得できないことを言うと、“その説明、よくわかりません”とか言うので、きっと、先生にも“ウザがられて”いたと思いますね」

 高校時代は一時、薬剤師になろうかと考えたと言うが、「薬科大学のパンフレットを見たらネズミに注射している写真があって。動物が苦手なので、注射どころか、ネズミに触れることができない」と思ってあきらめた。結局、「物理は覚えることが少ないから楽だ」という理由からお茶の水大学理学部に進み、そこで運命の量子力学と出会うことになるのである。

「惹かれたのは“重ね合わせ”の概念ですね。自分の見えることが世界のすべてだと思っちゃいけないなと思いました。自分は世界の一面を切り取って見ているに過ぎないと。そこに量子力学の奥深さを感じました。一見不可思議なのに、すべてロジックで結果を導き出していけて、すべての辻褄が最終的にあう。それが楽しいのです。“なぜ?”から答えが見つかったり、そこからまた次の“なぜ?”に行ったり、さらに一歩進んで別の“なぜ?”にぶち当たったり」

 大学院修士の時に企業での量子デバイスの研究者としての仕事を探したが、ある大企業を訪問した際に研究職の方から、基礎研究をしたいのなら大学院に戻ったほうがいいと諭される。そこで方向転換、博士課程に進むのだが、後にケンブリッジを訪れた際、村尾にアドバイスした当の研究職の方とそこで偶然再会した。

「きっと、その方も基礎研究を続けたい人だったので、基礎研究をしたいのならこの会社に来ないほうがいいよって言ってくれたんだと思います。ある意味で恩人ですね。私は自分に自信がなくていつも落ち込んじゃうのですけど、ほんとうに運がよくて、先々でいろいろな人に出会い、励まされたからこそ、数少ない女性研究者としての今があるのだと思っています」

たとえばハーバード大学で学んでいたときのことである。

「みんな本当に頭がよくて、私は気後れしていたし、研究もうまくいっていたわけではなかったので辛かったのですが、今は偉い先生となっているけれど当時はポスドクだったハンス・ブリーゲル(Hans Briegel)さんと廊下ですれちがった時にこんなふうに励まされたんです。ブリーゲルさんがハワユーと言うので、ノットファイン、みんな頭が良さそうで嫌になっちゃいますみたいなことを言ったら、みんなは頭よさそうに見せてるだけで、見かけ倒しだよって(笑)。その一言がきっかけで、あまり人のことは気にせず自分の道を行こうと思えるようになりました。人は人。自分ができることを一歩ずつやるしかないと」

 そんな村尾が、学生や女性研究者に向けて、こんなメッセージを語ってくれた。

「大事なのは、やはり自分のやりたいこと、自分の本能ですね。それ以外の部分を気にしないで、まずはやりたいことを考える。研究のために海外に行っていろんな人と話をすると、自分の足で立っている感じの人が多いですね。先駆者がだれもいない所で、自分がこれをしたいからと道を切り拓いてきた。そういう方が多くて、とても尊敬できます。自分の可能性を制限せずに、やりたいことを考えて、自分で自分の道を切り拓いていく。それだけですごいんですよと、周囲もエンカレッジする雰囲気があるといいですね。万が一失敗して、一、二年は無駄にするかもしれないけれど、長い人生、それくらい、大したことじゃないです」

量子コンピューターの未来を見据える

そんな村尾自身が切り拓く未踏の地、その一つが量子アルゴリズムである。そこは、揺籃期にある量子コンピューターの計算法の基礎を築くという、すこぶる歴史的かつ創造的な領域なのだ。

「量子コンピューターではどういう計算が可能かとか、どういうふうにプログラミングを作ったらいいのかとか、量子コンピューターならではの新しいアルゴリズムを考えるといった研究です。今あるあまり性能の高くない量子コンピューターを使って何か面白いことをするというよりも、将来優れた量子コンピューターが登場してきた時にいったい何ができるのかという、そちらをメインに基礎研究としておこなっているのです」

私たちが日常使っているコンピューター(古典コンピューターと呼ぶ)と量子コンピューターではその仕組みはまったく異なる。古典コンピューターがトランジスタによって0と1(ビット)を表現して計算するのに対して、量子コンピューターはまさに量子の0と1の重ね合わせ状態(量子ビット)をつくり出し、この状態を操作して計算をおこなうのである。さまざまな演算ゲートを並べてプログラミングする点は似ているが、量子コンピューターではコマンドで重ね合わせ状態を作ったり、量子もつれを作ったりするなど、古典コンピューターとは似ても似つかない操作をおこなう。まさに真っさらな状態から新たなアルゴリズムを創造していくことが求められているのだ。

「量子コンピューターの場合、量子ビットは量子状態なので複素ベクトルになります。この複素ベクトルである量子状態に対して変換をおこない、それを量子測定して最終的に古典的な情報を取り出す。それが量子コンピューターのやっていることです。重ね合わせをうまく使うことによって、普通のコンピューターより速い計算ができる場合があるのです。“うまく使う”ということが大事で、うまく使わない計算はおそらく古典コンピューターでやっても変わりません」

この「うまく使う」方法を見出すのが、量子アルゴリズムの研究であり、村尾はさまざまな新しい試みへの挑戦を続けている。

「力を入れているのは、髙階量子演算という、とても新しいアイデアに基づいたアルゴリズムで、世界でも取り組んでいる人はほとんどいません。また、分散型量子計算の研究もおこなっていて、離れたところにある量子コンピューターどうしをうまく接続して、大きな一つの量子コンピューターとして作用させるにはどうしたらいいかを探っています。量子もつれを利用した量子テレポーテーションの原理をうまく使って分散型量子計算をおこなうのですが、この研究では、時空や因果律といったこともテーマに上ってきて、それを考えるのはわくわくしてとても面白いですね」

そんな多忙な研究の傍ら、村尾は、量子技術の人材を育てる「Q-LEAP人材育成」の量子技術高等教育拠点というプログラムで量子情報技術に関するオンライン教材の開発にも携わっている。さまざまな大学の一二年生向けに基礎的な量子力学や量子情報技術を教育するものだ。

「若者たちには量子リテラシーが必要だと思っています。たとえば、量子コンピューターは何でも解けるすごい機械だとか、量子コンピューターが速いのは0と1が同時に起きるからだとか言う人がいるのですが、そういう説明は実は間違っているのですね。正しい理解は研究だけでなくビジネスにおいても必要ですし、過大な楽観や安易な説明にだまされないようにしてほしいのです」

量子力学を記述する複素ベクトルの世界はとても美しいと村尾は言う。

「複素ベクトルで表せば自然に重ね合わせも出てきますし、全てが矛盾せず、閉じた奇麗な世界が作れるのです。一見不可解な量子の世界が簡単な原理で全て説明できるのですね」と、楽しそうに笑みを浮かべる。村尾は研究者としての日々が楽しいのである。

「楽しいです。科学者になれてよかったなと、とても幸運だったなと思っています」

研究室:http://www.eve.phys.s.u-tokyo.ac.jp/indexj.htm

※Year of interview:2022
文/太田 穣
写真/貝塚 純一

物理学専攻 教授
MURAO Mio
村尾 美緒
1991年、お茶の水女子大学理学部物理学科卒業。1996年、お茶の水女子大学大学院博士。1996年、PDとして米国ハーバード大学。1996年〜99年、英国インペリアルカレッジ。1999年、理化学研究所。2001年、東京大学大学院 理学系研究科助教授(2007年より准教授)。2015年、東京大学大学院理学系研究科教授。
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