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理学のフロンティア

物理と統計の目で生命を理解する

生物情報科学科 准教授

杉村 薫

April 3, 2023

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生命とはなんなのだろう?

たった一つの細胞ですら精妙な姿と驚異的な能力を備え、そして細菌から人間まで気が遠くなりそうなほどの多様性に溢れる生命とは、いったいなんなのだろう?

「自己増殖してこそ生命という考えもあれば、自ら動いてこそ生命という考えもあります。私は、生き物の動きやパターンを理解し、生き物がどのようにして自発的に動いて秩序を形成するかを知ることが、生命の本質の探求につながると思っています」

そう語る杉村准教授は、細胞の形やパターンを物理学の視点から解明することで、生命の謎に迫るという研究を続けている。その鍵となるのが細胞の変形や運動を引き起こす機械的な力だ。

杉村のそのアプローチは力学や幾何だけでなく、そこに統計学を融合させたものであり、生物学の領域では画期的なものなのだという。

「形やパターンを理解しようと思うなら、変形や運動を引き起こす機械的な力を考えることはごく自然なことです。たとえば、棒と布があっただけではテントは立たないですよね。棒と布と地面との間で力のバランスが取れて初めてテントは立ちます。つまり力学の視点というのは生物に対してもとても自然なことで、1世紀以上前から、生き物の形やパターンを力学的に考察しようというアプローチはあったのです。ところが、20世紀中ごろに分子生物学が興り、特に1980年代あたりから高等生物も分子生物学の対象となり、遺伝子の研究が盛んになったことで、物理的なアプローチは下火になっていったのですね」

細胞といったミクロな対象への力学計測技術が発展しなかったこともその原因の一つだったという。だが、2000年ごろから変化が始まる。細胞を生きた状態で観察できるライブイメージングの技術(ライブイメージングに用いられるGFP=緑色蛍光タンパク質を単離した下村脩博士はノーベル賞を受賞した)が急速に発展して、細胞が変形する過程をリアルタイムに可視化できるようになった。これが細胞の変形を引き起こす機械的な力に研究者たちの関心を再び集めることになったと杉村は言う。

「2000年代の後半ぐらいから、FRET張力センサー(分子内張力を計測するセンサー)、油滴法(組織に埋め込んだ油滴の形状から応力を計測)など、さまざまな新しい生体内力計測手法が開発されて、研究が一気に進んだのですね。私たちが2012年ごろに報告した『力のべイズ推定法』(画像から統計学を用いて細胞に作用している力を定量する手法)もその一つです。物理法則を取り込んだ統計手法を用いて生物を理解しようとした私たちの試みは、おそらく当時としてはとても斬新だったと自負しています」

生命のもう一つの驚異

ここで読者の皆さんの中には、ヒトゲノムの解読が終わった現代にあって、細胞が変形するときに働く力を研究することにいったいどんな大きな意味があるのだろうといぶかる人もいるのではないだろうか。DNAがオーケストラの指揮者のように、すべてを采配しているのではないのかと。

「DNAはたんぱく質の配列をコードし、いつ発現するかを決めているだけなのです。ですから、そのDNAの情報が形やパターンにどのようにして変換されるのかは、力学などで考えていく必要があるのです。先ほどのテントの例で言えば、DNAは棒と布を用意することはできても、その布と棒をどういうふうに力のバランスを取って地面に立ててテントをつくるかということまではコードしてはいません。ですから、その段階はまた別の物理学的な側面から解明しないといけないのです」

実はそこにこそ、生命のもう一つの驚異が隠されているのだ。

胃や小腸などの上皮では、たくさんの細胞が六角形の形になって蜂の巣のように規則正しく整然と並んでいる。これを六角格子化というのだが、こういった構造になることで組織は強く安定したものになる。杉村はこの六角格子化がどのようにして起こるのか、ショウジョウバエの翅の上皮細胞を対象にした研究から、その物理メカニズムを解明した。

「レーザーによる組織損傷や“力のベイズ推定法”などを用いて、幾何的な面と力学的な面から解明を進めたのですが、あえてシンプルに言えば、六角格子化は、細胞が力のバランスが取れる心地よい方向に並んだだけということなのです。細胞が自分で頂点の数を数えているわけじゃない。細胞は力のバランスを見ているだけなのです」

最近の研究成果である、細胞接着面の切り替えのメカニズムの解明もまた、細胞の変形とパターン化を引き起こす力の発見である。

「多細胞組織が変形するときやパターンを作るときというのは、細胞の数が変わるか(細胞増殖)、細胞の形が変わるか、配置関係が変わるかの3つに分けられるのですが、このうち、細胞のお互いの配置関係が変わることを『細胞配置換え』と言います。この細胞配置換えを理解することは、組織の形やパターンを理解する上でとても重要なことなんです」

細胞があたかもグルリと回転したように(実際回転はしていない)、隣接する細胞との接着面を変えることで起こる細胞配置換えは、細胞の接着面の収縮、切り替わり、新しくできた接着面が伸びる、この3段階で進む。この1番目と3番目の解明は進んでいたが、2番目の切り替わりのメカニズムについてはまったく分かっていなかった。杉村はこの謎の解明に挑戦したのである。

「今まで観察できなかった、手をつなぎ替える場面を、高性能の顕微鏡を使うなどして調べることができ、今まで分からなかったことも見えてきました。ここでメカニズムを分かりやすく説明するのはとても難しいのですが、細胞接着面自体が縦から横に変わる性質を持っているわけではないのですね。細胞の力学とシグナリング(情報伝達)が接着面の幾何特性と連関することで、細胞接着面の収縮と伸長に伴い、自然に正しい方向に切り替わっていたのです。そのことを見つけたというわけです」

そして先に書いた驚異がここにあるのだ。

「こういった多細胞の秩序化がおこるときに一番不思議なことは、細胞はローカルな情報しか持っていないのに、全体としては秩序だった形やパターンができあがるということなのです」

自然を表現する研究をしたい

たとえばレンガで家を建てるときには、設計図にしたがって職人さんがレンガの数と位置を確認しながら積み重ねていく。だが、多細胞組織の場合、職人さんがいないのに、レンガがひとりでに積み上がって家ができていくようなことが起きているのだ。細胞はローカルな情報、つまり自分の隣の細胞の情報しか持ち得ない。それなのに、まるで現場監督さながら何かが全体を俯瞰して個々の細胞に指示を出し、秩序だった大きな組織を作りあげているようにしか見えないことがそこでおこなわれている。もちろん、現場監督などいない。私たちの身体もまた、そんなふうに成長し、できあがっているのだ。それが何よりも不思議だということなのだ。

「このことは逆に捉えると、どれほど見事な生物の形、パターンといえども、個々の細胞のレベルでは、個々の細胞が無理なく実行できるタスクに分解されるはずだということが強く示唆されているわけです」

その「タスク」は、力学と幾何がキーになると杉村は考える。

「生物の複雑さというのは驚異的で、『有毛細胞における音刺激受容など、これ、反則やろ』というのがたくさんあります(笑)。私の場合は、一見複雑に見えるものが、どうやったら簡単なタスクに分解されるのかということに興味があります。背後に隠されている簡単なルールを探したいのですね。六角格子化も細胞接着面の切り替わりも、物理的な量と幾何とがカップリングすることが重要だったわけですが、複数の生命現象に共通しているメカニズムを見出していくという面では、とても物理学的なアプローチだと思います」

それにしても、生物のようなどちらかというと軟らかく流体的なものに幾何のイメージを重ねることに違和感を抱く読者もいるかもしれない。

「対象が軟らかいものだったとしても、その生物の組織は曲率という物理量は必ず持っています。そういう幾何的な特性や情報というのは、どんなものも内在的に持っているのです。幾何といってもタイルみたいなものだけじゃなく、それが固体だろうが流体だろうが、曲率なども含めて幾何なのですね」

これまでは能動的な要素が比較的少ない現象をターゲットにしていたが、今後は能動的な要素が強く働く現象にも挑戦したいと杉村は言う。

「たとえば細胞分裂などでは、そこで細胞は能動的な力を出しています。今後はそういった能動的な効果も含んだ形やパターン形成について研究をしたいと思っています。そのための技術開発もしていきたいですね」

自分には他の生物学の研究者とはちょっと違うところがあるとも杉村は語る。

「多くの研究者は、何かを作りあげたいとか、何かを解き明かしたいと願っているのだと思います。でも、私の場合は、少し違うんです。なにかしら、自然を表現したいといった欲求がある。おそらく、自然を解き明かしたいと思っている人のほうが、どんどん疑問も出てくるでしょうし、研究成果もあがるでしょうし、それでいいと思うのですが、私はどうも異分子のようで、自然を表現するような研究をずっとしていたいのです」

理科が好きなサッカー少女

理系に進もうと思ったのは中学生のときだったという。

「本もたくさん読むし、虫取りも好きでしたが、なにかしら世界を表現したいみたいな思いがありました。でも自分には文才が無いしと思っていましたね。理科が本格的に好きになったのは中学のときの実験の授業がきっかけでした。四人一組でしたが、私以外の女子三人が完全に興味が無くて、私一人で全部考えて実験してレポート書きました。それが、めちゃくちゃ面白くて(笑)。生物に興味を持ったのは高一の時です。夏休みにたまたま手に取った分子生物学の初学者向けの本で、たとえば三つの塩基で一つのアミノ酸をどんなふうにコードしているかを解き明かしたといった話を読んで、生き物もこんなに理路整然とできているんだと。それが私の生物観を変えてくれました。物理的な視点で生き物を理解したいと考えたのがその時です。そのころは建築やデザインにも興味があったのですが、生命が一番面白いと思ったんです。ですから、動物が好きだから生物学者になりましたというタイプとはちょっと違うんです」

幼稚園の年長からサッカーを始めた杉村は、サッカー部がなかった中学以外は、高校3年の夏までずっとサッカーに夢中だったという。ポジションはフォワードが多かったが、「フォワードは性格に合っていないので、ボランチで差配しているほうが好きだった」と言う。ボランチというポジションに、サッカーというゲームの要素である「力と幾何」を操る役回りを感じるのは筆者だけだろうか。

理系研究者を目指す女性へのメッセージをお願いしたら、こんな言葉をくれた。

「好きなことを続けていってほしいなと思います。周囲も女子のやりたいことを制限しないで欲しいです。そういう意味でいくと、日本という国は人口の半分の才能を活かせていない状況なんです。そんなことをしている余裕は日本にはありません。環境を変えて、女性もやりたいことをやれるようにしていかなければなりません。人口の半分の才能をちゃんと活かし、知の生産にしっかりと乗せてくださいと言いたいです」

さて、杉村先生、仕事は楽しいですか?

「はい。16歳の時にやりたかったことができてるので」と杉村は微笑んだ。

研究室:http://www.koolau.info/about.html

※2023年取材時
取材・文/太田 穣
写真・ビデオ/貝塚 純一

生物情報科学科 准教授
SUGIMURA Kaoru
杉村 薫
2001年、京都大学理学部卒業。2006年、京都大学理学研究科卒業、学位取得。学振特別研究員、理研基礎科学特別研究員などを経て、2011年、京都大学 助教。2017年、京都大学特定拠点准教授。2021年、東京大学 理学部生物情報科学科准教授。
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