木曽路はすべて山の中
御嶽山、木曽駒ヶ岳、乗鞍岳を望む、長野県は木曽町、上松町、王滝村の境に位置する美しい丘にその天文台はある。
「17年前(2008年)に初めて見た時は、これが本で読んだ、かの有名な木曽の望遠鏡かと感激したのを覚えています」
そう語るのは、いまや世界最先端の天文台であるこの東京大学木曽観測所の〝大改造計画〟を担った酒向重行准教授だ。
木曽観測所の誕生は1974年にさかのぼる。東京大学東京天文台の大型観測施設として設立された木曽観測所は、世界有数の広視野を誇る口径1.05mのシュミット望遠鏡を中核として、日本だけでなく世界の天文学研究に大きく貢献してきた。その後の改組に伴い、東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターの施設として再出発したのが1988年のこと。当初の写真乾板による観測からCCDセンサーによる観測へとデジタル化を果たすなど、その時代の先端技術を取り入れながら木曽観測所は進化を繰り返してきた。いわば、日本の天文学の発展を支え、見つめてきた伝説的な天文台。それがここ、木曽観測所なのである。
そして今、シュミット望遠鏡の焦点面にはトモエゴゼンと名付けられた1億9,000万画素のCMOSカメラが搭載されている。トモエゴゼンは、満月84個分に相当する20平方度の空をカバーし、観測画像は静止画ではなく動画として記録され、そのデータ生成量は一晩で30テラバイトにも及ぶ。さらに、この世界最大の広視野動画カメラにより得られた世界唯一の観測データは、人工知能(AI)を活用した大規模データ処理システムに送られ、世界中の研究機関とリアルタイムに共有される……。
「山中にある孤立した望遠鏡だったのが、いまでは高速ネットワークによって世界中とつながり、世界のどの天文台よりも大量のデータを生成し発信し続けている、まさにビッグデータ天文学のフラッグシップのような、そういう天文台へと変わったのです」
酒向は誇らしげにそう語る。
時間がゆっくり流れる高校天文部で
木曽川が御岳山の麓から南へと下り、濃尾平野に出たところにあるのが愛知県犬山市だ。酒向の生まれ故郷である。
「街明かりが少なく星がきれいに見えたせいか、幼少期から宇宙の図鑑を片手によく夜空を眺めていましたね。中学生の頃になるとカメラを持ち出し、一人で自宅の庭先で天体写真を撮っていました」
進学した名古屋市内の高校には県内では珍しく天文部があった。酒向は運動部での華々しい高校生活にあこがれを持っていたが、随分と悩んだ結果、ひっそりとたたずむ天文部への入部を決めた。
「ゆったりとした時間が流れる中で、誰から指導されるわけでもなく、数名でおしゃべりしたり、ときどき工作や調べものをして過ごしていました。その3年間は自分にとっては貴重な時間だったと今にして思います。あの時、天文部に入っていなければ、宇宙とのつながりは途切れていたでしょうし、また、ゼロからモノを生み出す力も育まれなかったでしょう」
その後、酒向は宇宙への漠たる興味のおもむくままに名古屋大学で物理学を、東京大学大学院では天文学を専攻した。修士課程では指導教員の赴任先である国立天文台ハワイ観測所と日本を言われるがままに行き来する。
「完成したばかりのすばる望遠鏡の現場で、朝から晩まで先輩の研究者や技術者たちといっしょに手を動かす日々でした。研究と言うより雑用が多かったかもしれません。朝、ヒロの町で弁当を買い、観測所の車でマウナケア山へ向かう。そうでない日は観測所の実験室にこもってゴソゴソ何かをやっていました。論文を読むのは嫌いでしたが、最先端の装置に囲まれるとわくわくしました。そうした環境での生活が2年ほどたったところで、ようやく気づいたのです。『どうやら天文学は人生をかけてもよいほど面白いぞ』と。博士課程では完全にハワイに引っ越してしまいました」
酒向はすばる望遠鏡に搭載する赤外線の観測装置を開発するチームに所属し、センサーに関するパートを担当することとなった。
「子どもの頃に天体写真を撮っていた時は、肉眼では見えないものが映ると、自分の代わりにこのカメラが宇宙を見てくれているのだという感慨に襲われたものでした。この気持ちは、すばる望遠鏡に搭載された赤外線装置が天体からの信号を初めて検出した時にもよみがえりました。自分の代わりに赤外線の目で宇宙を見てくれている。これは実に面白い。もっと人類の知らない宇宙の姿を見たい。そのために、世界で一番高い感度の観測装置を自分の手で実現させよう。そうした気持ちが日に日に強くなっていきましたね」
国立天文台ハワイ観測所では、大型プロジェクトの立ち上げ時に特有のトラブルが毎日のように起き、多くの人々がやって来ては去って行きを繰り返し、熱いエネルギーが渦を巻く。日々がまるでお祭りのような躍動に満ちていたと酒向は振り返る。
トモエゴゼン計画の序章
帰国後、東京大学天文学教育研究センターに着任、同センターが運用する木曽観測所の担当を命じられたのが2008年、32歳の時である。酒向に与えられたミッションは木曽シュミット望遠鏡用に開発中だった可視光広視野CCDカメラを完成させ、木曽観測所の科学成果をさらに上げることであった。
「赤外線天文学を専攻してきた私が、可視光天文学の観測装置の計画代表としてチームを引っ張れということでした。技術的にも天文学的にもどうすればよいのか見当がつきませんでしたので、木曽観測所の技術職員の皆さんや、可視光天文学を専門とする研究者の話を聞いて回りました。最初はなぜ自分が分野外の可視光天文学の観測装置を開発せねばならないのかという気持ちがありましたが、話を聞くうちに計画のイメージが鮮明になり、自分の経験を生かしながら皆と一緒になにか面白いことをやってみたいという気持ちが芽生えてきました。世界有数の広視野を誇るCCDカメラKWFCが完成したのが2012年。ふと気がつけば、木曽観測所には多くの有能な仲間が集まっていました。まるで家族のような、自由で、エネルギッシュな集団ができていたのですね」
そんな多彩な人々が集まっている木曽観測所を拠点に、シュミット望遠鏡の単体にとどまらず、観測所の設備が一体となって動く、何か一貫性のある統合的な天体観測システムを作れないものかと酒向は夢見た。また、プロジェクトマネージメントをしながら天文学と技術開発をリードしていく、そういう仕事の面白さにも気づき始めていた。そうした中で立ち上がったのが「トモエゴゼン計画」だった。38歳の時である。なお、トモエゴゼンとは、平家物語に登場する、木曽義仲に仕えた地元出身の女武者、巴御前にちなむ。
微かな光ではなく、微かな変化を追う
「ある夜、ふと一台のCMOS動画センサーをシュミット望遠鏡の焦点にとりつけて観測してみたのです。すると、たくさんの流れ星や人工天体が横切っていきました。そのことに大きな違和感を覚えました。これまでずっと観測装置を作って宇宙のデータを取ってきたはずなのに、流れ星が駆け抜ける姿を見た記憶がないのです。考えてみれば、これまでは静止画センサーを使ってゆっくりとした宇宙の姿しか見ていなかったので当たり前なわけです。一方で、そう思った瞬間に胸の鼓動が高まったことを覚えています。宇宙でおこるサッと動いたり、一瞬だけ光ったりする現象を、我々人類は大量に見落としているのではなかろうかと。」
世界中のほぼすべての可視光の天文台では、高感度を特長とするCCDセンサーを使って観測を進めている。微かな光までをも捉えるためであり、それがいわば現代天文学の常識である。だが、酒向たちはこれを、感度を優先せず、読み出しが速く動画で観測できるCMOSセンサーに置きかえることを考えた。酒向曰く、「微かな光を見たいという欲望を捨てて、微かな動きをとらえることに専念しようと思った」というのだ。木曽観測所のシュミット望遠鏡は、さいわい視野が極めて広い。その広大な焦点面に多数のCMOSセンサーをずらりと並べれば、人類がいまだに存在に気づいていない宇宙の動的な現象に出会えるかもしれない。それは世界でまだだれも挑戦していない試みだった。
「私はセンサーまわりの技術が得意だったので、多数のCMOSセンサーを動かすことに障壁はなく、大学院生といっしょに楽しく開発をしていきました。問題は毎晩生成されつづける尋常なく大量な観測データです。人間が一枚一枚すべての画像をみることは到底、不可能です。どうすればよいのかわからず、この時は答えを求めて情報学や統計数理学の研究者のところに駆け込みました。空を広く効率的に調べるには望遠鏡だけでなく観測所全体を高度に情報化し、統合的に自立運転させる必要があります。そのためには旧式の設備が残る木曽観測所のあらゆる箇所にメスを入れる必要があります。このままじゃダメだ、研究費も取ってこないと……という具合で、今ふりかえれば無我夢中で、協力者を雪だるま式に増やしながら、一つの目的のために皆で全力で走り、考える日々が続きました」
こうして完成したのが、84台の高感度CMOSセンサーを搭載した世界初の天文用広視野動画カメラと、自立観測とデータの自動解析を実現する大規模計算機からなる観測統合システム──すなわちトモエゴゼンだったのである。2019年のことだった。
「木曽観測所に集う多分野の専門家の力と若い学生達の情熱が結集したことで、私が想像していたものよりも、ずっとずっと豊かなものになりました。その進化に驚きを感じています」と酒向は言う。
トモエゴゼンと時間軸天文学
超新星や恒星フレアなどの爆発現象や小惑星や流星などの移動天体の時間変化を観測し、研究することを時間軸天文学と呼ぶ。近年の、センサーの大型化、計算処理能力の向上、ネットワークの高速化などの技術発展により可能となった天文学の新分野だ。トモエゴゼンは、この時間軸天文学に最適化されている。しかも、広視野と動画センサーの組み合わせにより、空の広範囲で発生する秒単位の短時間現象をとらえることができる。
「トモエゴゼンはすでに様々な宇宙の新しい姿を私たちに見せてくれています。たとえば、これまで検出が難しかった短時間で増光する強力な赤色矮星(せきしょくわいせい)フレアです。星の明るさがいきなり10秒間だけ倍になる。だれもこうした現象がおきることを想像していませんでした。それも空のいたるところで頻繁に起きていることがわかってきたのです」
超新星爆発の直後の変動を捉えるのもトモエゴゼンが得意とするところだ。最近ではトモエゴゼンと国際宇宙ステーションに搭載されたX線望遠鏡を使ってブラックホールに星が落ち込む様子を同時刻に高速観測した例もある。また、地球に衝突する恐れのある小惑星をいち早く発見することにもトモエゴゼンは貢献している。
「バス1台ほどの大きさの岩の塊が地球の近く、月ぐらいの距離のところを通り過ぎていく事象をすでに50件ほど見つけています。宇宙デブリと呼ばれる使われなくなった人工衛星の光跡も多数検出しています。こうした宇宙のゴミ問題の解決もまた、トモエゴゼンの観測によって進むことを願っています」
夜な夜な続けられる観測は無人で自律的に実行され、膨大な動画データは学術用高速ネットワークSINETを使って東京大学柏キャンパスにあるデータプラットフォームmdxへ送信、保存される。同時に、観測データに興味深い現象が含まれているかどうかを、AIが確認し、候補があれば人間に通知する。観測で得られる圧倒的な量のビッグデータは人間の力だけではどうにもならないのだ。
「ビッグデータの扱いに困っているのです、と情報系の先生に相談したところ、『面白いですね、それならぜひ自分たちの技術を使ってほしい、最先端のAI技術の文献はこれですよ』と快くサポートしてくださいました。また、木曽の自治体に相談すると、科学の役に立つのであればと光ファイバーのインフラを融通してくださいました。木曽観測所が持つ科学に対する自由な空気と、木曽観測所が設立以来50年かけて培ってきた地元との深い関係により、いまのトモエゴゼンが形作られているように思います」と酒向は言う。
トモエゴゼンは、いまや時間軸天文学における世界的なネットワークの重要拠点として位置づけられている。酒向はこれを「バトンをつなぐ」という言い方をする。トモエゴゼンがいち早く木曽で見つけた現象は、ネットワークを通じてたちまち世界へと伝えられ、世界中の望遠鏡がすぐさま追観測を実施する。トモエゴゼンを起点に世界中で観測のリレーが始まるわけだ。最近では重力波やニュートリノなどの非電磁波の観測が時間軸天文学の起点になる場合がある。これはマルチメッセンジャー観測と呼ばれ、新しい天文学として注目を集めている。この時は、重力波やニュートリノが到来した情報をトモエゴゼンが受信し、すぐさま自動で追観測を始めることになる。そういった世界的なネットワークでの関わり合いが、現在の天文学においてはとても重要になってきているのだ。
酒向は「多くの若者が自身のアイデアを自由に試すことができる場として木曽観測所と私の研究グループが存在し、今後の時間軸天文学の発展に貢献していくことを望んでいます」と語る。
Unknown unknowns ── 正体不明の何かを見つけたい
夢をたずねると、酒向はこう答えた。
「英語で『unknown unknowns』と言うのですが、つまり、知るべきことがあることすら気づいていない何か、私たちが想像もしていなかった何かをトモエゴゼンで捉えたいです。物理モデルが予言する事象を検証することも面白いのですが、私はどちらかというと、予言もされていないものを観測のほうから見つけにいきたいですね。天文学は長い歴史を持っているので、すでに多くのことが発見されていますが、短い時間で起きている現象についてはその多くがまだまだ見逃されているはずです。我々のトモエゴゼンがデータを大量に取る中に、正体不明の何か、理解不能な何かを見つける、それが我々の存在価値、ゴールなのではないかと思っています」
若者に対しては、こんなふうに語ってくれた。
「最近では検索エンジンや生成AIに尋ねると、これをすると良いとか、これをすると安全だといった情報が簡単に手に入ります。それらに沿って一番安全な選択肢を採ることが悪いとは言いませんが、それらから外れた行動を起こすことこそが皆さんの存在価値であり、外れた行動こそが単純に楽しいことでもあると私は思います。大学生活の中でぜひ皆さんのunknown unknowsを探してみてください。」
振り返れば、一人、庭先で星をながめていた幼少期にはじまり、高校天文部、ハワイでの生活を経て木曽トモエゴゼンへと至る道は、それぞれの環境で私を支えてくれた人々による導きと、私自身が持っていた科学に対する静かな挑戦の心により繋がったもののように感じるとも言う。
石垣調の土台の上にそびえるシュミット望遠鏡のドームを見上げながら、酒向はこうつぶやく。
「外から見れば、このドームの中で最先端の観測データが膨大に生成されているとは想像すらできないですよね。そういうところがまた渋くて私は好きですね」
※2024年取材時
取材・文/太田 穣
写真/貝塚 純一