理学部には、さまざまな国から多様な人材が集まっている。彼らはどのような思いを抱き、日本に来て東大理学部で学ぶことを決意したのだろうか。
――どんなお仕事をされていますか?
米国の化学メーカー3M社日本法人の研究開発部門で、自動車向けの次世代接着剤を開発しています。ネジやボルトの代わりに接着剤を使えば、車体を軽量化して燃費を向上させることができます。ガソリン車から電気自動車への転換期に当たる今、接着剤の需要も増えていくはずです。
普段は、日本法人の研究開発拠点がある相模原事業所(神奈川県)にいますが、ときには顧客訪問や海外長期出張もあります。入社して3年半ほどのあいだに、米国ミネソタ州セントポールの3M本社と3Mドイツにそれぞれ数ヶ月ずつ出張しました。
――大学・大学院ではどんな研究をされていたのでしょうか?
化学専攻の中村栄一先生*の研究室でナノカーボンをテーマに研究していました。私が取り組んだ研究は大きく2つです。
ひとつは、カーボンナノチューブを使って単体の有機分子を調べる研究です。電子顕微鏡を使って分子の動きや化学反応の様子を調べました。その結果、分子はより安定な構造に変化していることを発見しました。
もうひとつは、球形の炭素分子フラーレンの研究です。多くのフラーレンをつなげて二重膜構造をつくる技術を中村先生が開発されていました。二重膜は細胞膜にも見られますが、フラーレンの二重膜は、細胞の脂質二重膜より1万倍も水を通しにくい性質を持ちます。この性質を活かし、新材料の開発やドラッグデリバリへの応用を想定して研究していました。
――博士号を取得されてから企業に進まれた理由は? 3M社を選ばれた理由とあわせてお聞かせください。
変化を求めて企業への就職を決めました。就職先の条件は、「日本を拠点に、グローバルに活躍できる化学メーカー」でした。化学が好きだから化学に携わっていたい。また、中村研究室にはいろんな国の人がいて非常に楽しかったので、そういう環境で研究を続けたい。一方で、日本に10年住んで日本文化が大好きになっていました。
この条件に合致したのが3M社です。3M社が幅広く事業を展開している点も魅力でした。大学での研究をそのまま企業で活かすのは難しかったのですが、ここでなら活躍の場を見つけられるだろうと感じました。
次世代技術の研究開発に取り組む今、基礎研究の重要性を実感しています。新しい何かを生み出すには、基礎研究の蓄積が重要ですが、企業でできることには限界があります。いずれは、企業と大学をつなぐ架け橋になりたいと思っています。
――日本への留学、東京大学への進学を決めた理由は何でしょうか?
日本に留学したいと思った理由は、化学分野で世界トップクラスの日本で化学を学びたかったから。化学には子どものころから興味があり、実験キットでよく遊んでいました。
さらに、祖父母が日本人で日本文化に強い関心があったことです。当時の私は日本語をまったく話せませんでしたが、日本の文部科学省の国費留学生制度では、大学入学前に日本語を中心に予備教育を受けることができます。国費留学生に受かったことが日本留学の決め手になりました。
東大に決めたのは、ブラジルの国費留学生の先輩から、サイエンスをするなら日本トップの東大がいいと強く勧められたからです。東大は世界的にも知名度があり、国外でも一目置かれます。
――留学を考えている学生さんにメッセージをお願いします。
日本での生活を心配する必要はありません。日本人は親切で、生活面での面倒をとてもよく見てくれます。日本に住んで13年、トラブルもありましたが、いつも日本の人はこちらが困っていることを理解しようとしてくれました。大学時代の海外短期留学や就職してからの海外長期出張の経験と比べても、日本の人の温かさが印象に強く残っています。
研究室でも先生や先輩方の指導はとても丁寧でしたし、研究面でも生活面でも困ったときは研究室のメンバーが相談に乗ってくれました。日本社会での礼儀作法についても教わったことは、就職の際にも大いに役立ちました。日本でやりたい研究があるのなら、思い切って日本に来てください。
*革新分子技術 総括寄付講座
※2019年理学部パンフレット(2018年取材時)
文/萱原正嗣、写真/貝塚純一