ミステリアスな地底世界
人類は地球から56億km(平均距離)も彼方の冥王星にまで探査衛星を送り、火星には地震計を置き、小惑星から石を持ち帰ってさえいるのに、私たちの足元に広がる大地に対しては、ロシアでのコラ半島超深度掘削坑計画によって、これまでにわずか12kmの深さの穴を掘ったにすぎない。それだけ、〝地底世界〟の探索は困難なのだ。地表から6,370kmの地球の中心部に観測機を送るのは、現在の科学技術では到底不可能だ。だから廣瀬敬教授は言うのだ。地球の内部は「非常にミステリアスな世界です」と。
「地球科学では、証拠を直接見てくるとか、地球深くから石を採ってくるとか、そういうことができない研究が多くあります。そのため、よく知られている地学現象でも科学的説明ができていないものはまだたくさんあるのです。それらをさまざまな方向から見て解き明かすのが地球科学です。私が取り組んでいるのは、地球内部の深くにある物質を人工的に作り、その性質を調べる超高圧高温実験などによって、謎の解明に寄与することです」
では、いったいどんな謎に挑んでいるのか。私たちは地球科学というと、地震や火山やプレートなどを思い浮かべる。それらの一つ一つはもちろん重要な要素であるが、それらはある巨大な絵を描くためのピースだ。廣瀬ら地球科学のサイエンティストたちが描こうとしているのは、いわば科学言語で記述された地球の壮大な叙事詩だ。そこには地球の創生過程から人間文明の未来の姿までもが含まれる。言うなれば森羅万象である。なぜなら、すべては地球によって、地球において、生起していることだからだ。そして廣瀬は、とりわけ生命の誕生に惹かれるという。
「地球はどうやって誕生したのか、地球の内部で何が起こっているのかという研究の延長線上には、地球の生命はどうやって生まれたのか、生命とはどれくらい普遍的なものなのかへの強い関心があります。生命は地球の表層でおこったさまざまな化学反応が進んでいった結果生まれたもの。では、どういうふうに惑星ができていけば、そこに生命は誕生するのだろうか。その答えを求めて研究を続けているのです」
深さ2,600km、120万気圧の世界に一番乗り
超高圧高温実験では、ダイヤモンドセルという装置を使って、直径3.5mmほどのダイヤモンドで試料を挟み、高圧高温状態をつくりだす。このダイヤモンドセルを用いて、マントルの最下部にあると思われる物質を世界で初めて人工的に作り出したのが廣瀬だった。この物質はポストペロブスカイトと名づけられ、その発見を告げる論文は『サイエンス』誌の表紙を飾り、世界に大きなインパクトを与えた。2004年のことである。
「地球内部は地殻、マントル、コア(コアはさらに液体の外核と、中心部の固体の内核からなる)という、卵の中のような構造になっていて、マントルの中もさらにいくつかの層に分かれています。地球内部の構造は地震波の伝わり方を詳細に分析して探っていくのですが、どんな物質があるのかまではわかりません。そこで、深さに応じた圧力状態をつくり出す実験をして確かめていくわけです。言い換えれば、どれだけの深さの圧力をつくり出せるか、世界中の研究者が圧力競争をしていたのです。マントルの最下部は深さ2,600km、120万気圧です。そこに一番乗りをしたのが私たちだったというわけです」
マントルの下部には主にマグネシウム、シリコン、酸素からなるペロブスカイトという物質があるだろうと考えられてきた。だが、そのマントルの一番下、最下部だけが地震波の伝わり方が違っていた。マントル最下部は、液体金属がグルグル対流するコア(外核)の直上にある。そのため、ポストペロブスカイトの発見以前は、それはマントル最下部の化学組成がコアとの化学反応によって変化した結果ではないかとされてきた。
「さまざまな説がありましたが、私はそれがペロブスカイトの結晶構造が変わっていることを示すのではないかと考えていました。実際、ペロブスカイトに120万気圧以上の圧力をかけたところ、結晶構造ががらっと変わったのです」
それがポストペロブスカイトである。それにしても、マントル最下部の物質が何かわかっただけで、なぜそれほどに世界が大騒ぎしたのだろうか。
「大気があって、岩石があって、真ん中にコアがある。地球はそういう3層構造になっていますが、その層と層の境界が重要なのです。たとえば大気と岩石の境界の地表では、いろんなことが起きる。それは大気と海と岩石がそこで接しているからで、岩石からいろいろな元素を取り出し、生命が生まれたわけです。次に大事なのがマントルとコアの境界です。そこで起きていることがマントルとコアの進化を決めている。だから、地球全体の進化を理解するには、マントルとコアとの境界にある物質が何なのかを明らかにすることがとても重要なのです」
火星から海を奪った磁場喪失
マントルとコアの境界が重要なのは、それが地球の磁場と深く関係するからでもある。言わずもがなだが、地球は大きな電磁石である。現在、北がS極、南がN極だが、磁極は過去に何度も反転している。
「磁場はコア(外核)の液体が対流し、電気が生まれることでつくられます。熱対流が生じるには外核の液体が冷やされる必要があります。この外核の液体から熱を奪うのがポストペロブスカイトであることがわかったので、ポストペロブスカイトの熱伝導率などを調べることで、コアとどのようなやり取りを行い、どんなふうに対流を生んでいるのかが理解できるようになる。たとえば地表なら、そこにどういう岩石があるかで地表の環境が決まってきますよね。同様にマントルとコアの間の相互作用を決めるのはマントルの最下部になるので、そこがどんな物質でできているのかが大事なのです」
実は磁場は私たちが想像するよりはるかに大きな役割を持っている。それは、火星から海が無くなった大きな理由の一つが、磁場が失われたからだということからもわかるだろう。火星には現在も磁場はない。
「地球に磁場があるおかげで、生物に悪影響を及ぼす太陽風や宇宙線が地表まで降ってこないようにするバリアがつくられます。ところが、磁場が消えるとこのバリアがなくなってしまい、水素などの軽い元素はどんどん飛ばされて宇宙空間へ散逸していく。すると最終的に海は干上がってしまいます。火星から海がなくなったのは、そういった磁場の消失によるのではないかと考えられています」
地球が再び磁場を失うことはあるのだろうか。
「もしも、今後、コアの内核がどんどん大きくなっていけば、外核の液体が対流する場所が減っていきます。すると、少しずつ磁場は弱くなっていき、最後には無くなってしまうでしょう。とはいえ、10億年後とか、そういうスケールの話ですが」
一方で廣瀬は、たとえ磁場が無くなっても、地球の生物はやすやすとは絶滅しないだろうとも語る。
「一度誕生した生命の環境適応能力はものすごく高い。環境の変動に応じてどんどん進化していくことができるので、かりに火星のようになったとしても、そう簡単には絶滅しないと思います。ということは、火星にも昔は豊かな環境があったはずなので、火星に生命が誕生していた可能性は十分にあります。私は、今でも火星の地底に、火星の厳しい環境に適応し、非常に進化した生命がいるのではないかと思っています」
地球の地底に第二の生命体がいる!?
DNAに書き込まれた情報をもとにタンパク質を合成し、そのタンパク質が代謝を担うのが地球型生命である。地球上の生命はすべてこのタイプであり、この1種類しか存在しない。だが、この地球型と異なるタイプの生命は必ず存在するはずだし、それが火星かもしれないと廣瀬は言う。
「もしも火星で生命が発見され、それが地球型生命と異なるタイプのものだったなら、生命のバリエーションや生命の起源、生命の普遍性を明らかにする点でとてつもなく大きな影響を与えることでしょう」
一方で、地球にも地底生命がいるかもしれないとも言う。まるでSFの世界のようだ。
「地球でも、われわれとは異なる生命が太古に100回誕生したとしてもそれほど驚く話ではありません。つまり、100種類の異なる形の生命が生まれたけれども、われわれの祖先だけが環境適応力に優れていたという考え方だってできるわけです。あるいは、その中には地底に逃げ込んだ別の種類の生命がいたかもしれません。われわれと違う起源を持つ生命が、火星で見つかる可能性があるし、あるいは地球の地底で見つかる可能性もある。発見されれば、ものすごいことですね」と、廣瀬は楽しげに顔をほころばせる。
「地球の環境の進化と変動は、長いタイムスケールで見ると、地球の内部が支配していることが多い。唯一違うのは酸素で、これは光合成の産物ですから植物に起因しますが、それ以外の環境変動はほとんどが地球内部の支配を受けているのです。そのため、地球内部の進化というものを理解しないと、地球の表層の環境変動は理解できません。さらに、他の惑星ではどういう環境があり得て、そこに生命がいる可能性があるかどうかということも、まずは地球内部の理解が重要なのです」
そもそも地球は、巨大な天体と衝突したジャイアントインパクト、地球全体が高温のマグマで覆われたマグマオーシャン、コアの形成などの一連の大きなイベントを通じて、大気・マントル・コアへと分かれた。これらの大イベントの詳細はまだはっきりとはわからないままだが、地球内部を知り、とくにコアの化学的組成を明らかにすることで、過去に何が起こったのか、その実像に近づくことができるという。廣瀬がいまもっとも力を入れている研究の一つが、このコアの化学組成を特定するということだ。
コアの化学組成特定がブレイクスルーの鍵
コアは鉄でできているが、そこには炭素やシリコン、あるいは大量の水素などの不純物が混じっているはずだ。だが、その種類や量ははっきりとしない。コアについてはまだまだ説明できないことだらけなのだと廣瀬は語る。
「不純物の存在が重要なのは、磁場をつくりだす液体コア(外核)の対流に関係するからでもあるのです。対流は温度差だけでなく、不純物の濃度の違いでも起きます。コアの不純物は軽いので、不純物に富む液体は軽くなり、浮き上がり、それで対流が生まれるわけです。また、物性という面でも、炭素が入った鋼のような鉄合金と純鉄とでは、硬さなどの物性が大きく変わります。つまり、鉄以外の不純物の種類と量がわからないかぎり、多くのことが理解できない。現在のコアの温度すらわかっていない。そのため、コアの化学組成を決定することが、一番のブレイクスルーの鍵になっていて、いまそこに私たちはトライしているのです」
もちろん、コアまで穴を掘って不純物を調べることなどできるわけもない。では、どうやって調べるのか。
「高圧高温実験で作った試料を電子顕微鏡で観察し、どういう化学反応が起きたかを考えて、状態図を作る。そして状態図から、どういう条件なら固体コアができるかを考えて、液体コアの化学組成の可能な範囲を探る。たとえばそういう進め方をします。地球科学的な問いかけをしたときには、ほんとうにいろいろな切り口があります。そういった多くの切り口から考えていかないと答えが出ないのです。ケミストリー的なアプローチもあるし、物性物理学的なアプローチもある。古地磁気学という、地表の岩石に残されている磁場の記録からアプローチするものもあります。一つの大きな問題に対して、さまざまなジャンルからのアプローチが必要となるのが地球科学なのです」
力を入れているもう一つのターゲットが、地球以外の惑星である。近年の探査機を使っためざましい成果に魅了されているためか、学生たちが熱心で、すでに多くの学生が他の惑星の内部構造の研究をしているのだという。
「今後10年のターゲットは天王星や海王星だとNASAは言っています。天王星、海王星は氷(H2O)が主成分なのですが、水が惑星の内部で高圧高温になったときにどういう物性を持つのか、まだほとんどわかっていません。外から見ただけでは内部構造はなかなか知ることはできませんが、これも超高圧高温実験によって明らかにできると思っています」
もはやブラックボックスではない地球内部
廣瀬に長期的な目標を聞くと、こう答えてくれた。
「今後は、太陽系の惑星の一つとして地球をとらえることが重要です。地球を軸にして、太陽系のさまざまな惑星がどうやって形成されていったのかを統一的に考えていきたいと思っています。地球の深いところがどうなっているかを明らかにすることは、とりもなおさず地球全体がどうなっているかを明らかにすること。コアの研究は、地球の起源や地球の原材料物質を研究していることに等しいのです。そしてそれは地球以外の他の惑星の理解にも重要な鍵となるはずです」
少し前までは、地球深部はブラックボックスだった。だが、廣瀬がポストペロブスカイトを発見した20年ほど前から急激にブラックボックスではなくなってきたと言う。ダイヤモンドセルを用いた研究者の数も増え、研究の流れが一気に加速したからだ。
「プレートテクトニクス理論は地球科学における大きな革命だったのですが、それは今から50数年前のこと。この先きっと、何か別の決定的な革命が訪れるのは間違いないと思います」
最後に、若者へのメッセージを聞いてみると──。
「私自身は高校生の時から、理学が一番面白い学問だと思っていました。必ずしも日々の生活には直結しないかもしれないけど、自然界の成り立ちといった真理を追究するところが理学の醍醐味だと思うのです。真理を突き詰めていくことに興味がある学生は、ぜひ、理学部で一緒に研究をしましょう」
なお、趣味は登山である。先の夏には穂高岳に登ったという。標高3,000mを超える険しい山である。登っている途中に、穂高はこういう石でできているのかと考えたりするという。
「でも、穂高岳の地質を知りたくて登っているわけではないですからね」と、廣瀬は笑った。「山小屋で過ごす時間が好きなんです」
※2024年取材時
取材・文/太田 穣
写真/貝塚 純一