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理学のフロンティア

生物学のブラックボックスを解体せよ。

「構造生物学」が描く、21世紀の新・創世記

生物化学科・生物科学専攻 教授

濡木 理

April 1, 2021

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20世紀が「分子生物学」の時代なら、21世紀は「構造生物学」の時代になるのかもしれない。「構造生物学」は、基礎が応用と直結する、エキサイティングな研究分野だ。

「構造生物学」がアップデートする、生物学の常識

「実は、現在の生物学の教科書の半分は、もはや“間違い”だと言えます」

濡木教授は取材中、このような衝撃的な発言をした。その真意は次の通りだ。

「正確に言えば、現在の教科書に書かれていることの大半は、原子分解能で生物を理解しようとする『構造生物学』から見れば、すでに時代遅れの常識になってきているということです。私たち研究者の仕事は、そうした“間違い”を正し、生物学における新たな知を創造することなのです」

「構造生物学」とは、アミノ酸からなるタンパク質や核酸(DNA・RNA)などの生体高分子の機能を、その立体構造から解き明かそうとする研究分野のことだ。

タンパク質は、DNAからなる遺伝子を設計図として出来上がった高分子だ。20世紀の生命科学を大きく前進させた「分子生物学」の考え方に従えば、タンパク質の設計図たるDNAの配列を読み解けば、生命現象のメカニズムはすべて説明できる“はず”だった。

だが、20世紀末にスタートした「ヒトゲノム計画」で、ヒトのDNA配列はすべて解読されたにもかかわらず(ヒトゲノム計画は2003年に完了)、それだけではタンパク質の機能を十分に説明できないことが明らかになった。言わば、人類は「新たな生命の謎」に直面することになる。

「構造生物学」では、その「新たな謎」を解くために、タンパク質の立体構造に注目する。タンパク質は、アミノ酸の単なる一次元の配列ではなく、それらが三次元的に折り畳まれ、立体構造をとることで、機能を発揮することが徐々に分かってきたからだ。

そうしたタンパク質の立体構造を視るうえでカギとなるのが、「X線結晶構造解析(*1)」や「クライオ電子顕微鏡(*2)」、「X線自由電子レーザー(*3)」などの技術革新である。これらの技術のおかげで、人類は、タンパク質の立体構造を原子分解能で(すなわち原子のレベルで)視ることができるようになった。

濡木教授が主戦場とするのが、まさにこの「構造生物学」である。濡木教授は、従来の分子生物学的アプローチでは明らかにされてこなかった、遺伝子から生命現象が駆動されるメカニズムを解き明かそうとしている。

*1 X線結晶構造解析:X線を物質に照射すると,その一部は原子核の周囲にある電子によって散乱される。その散乱されたX線を観測して物質中の電子の分布を知り、その情報をもとに分子や原子の3次元構造を把握する手法のこと。日本の大型放射光施設「SPring-8」(兵庫県)にある「BL32XU」や「BL41XU」、スイスの「Swiss Light Source」などが、タンパク質の立体構造解析に使用されている。

*2 クライオ電子顕微鏡(Cryo-Electron Microscopy、略称Cryo-EM):試料を低温下に置き、電子を用いて像を拡大し観測する顕微鏡のこと。電子線の持つ波長は可視光線よりも短く、光学顕微鏡では見ることが難しい、原子レベルの解像度で試料の観測が可能。上記のX線結晶構造解析では、試料を結晶化する必要があるが、クライオ電子顕微鏡法を用いれば、結晶化が難しいタンパク質の構造解析にも有効である。

*3 X線自由電子レーザー(X-ray free electron laser、略称XFEL):電子を高エネルギー加速器の中で運動させ、それから出る光を利用して、原子からはぎ取られた自由な電子を用いるX線レーザー。この技術を活用することで、原子や分子の瞬間的な動きを観察することができる。日本のSPring-8にある「SACLA」や、米国の「SLAC Linac Coherent Light Source」などが世界で稼働している。

科学の発見を、社会に役立つ道具にする

構造生物学は、タンパク質や核酸などの生体高分子の立体構造を視ようとする“基礎科学”である。だが、それは同時に“応用”と直結する側面を持つ。

2014年、濡木教授は、「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」と呼ばれるタンパク質の立体構造を決定した(科学誌『Cell』に掲載)。この名前に見覚えがないだろうか? そう、2020年にノーベル化学賞に輝いた「ゲノム編集」の技術の名前である。

ゲノム編集とは、任意の位置で遺伝子に“はさみ”を入れることで、従来の遺伝子組み換え技術よりも圧倒的に高精度に遺伝子を改変できる技術のことだ。

その技術を可能ならしめたのは、濡木教授がCRISPR-Cas9の立体構造を原子分解能で決定したことから始まっている。すなわち、濡木教授は、2020年のノーベル賞に少なからぬ貢献をした一人と言えるだろう。

濡木教授はさらに、2020年12月に、CRISPR-Cas9より技術転用した際に利便性が高いと思われる「CRISPR-Cas12f」の立体構造を解明し(科学誌『Molecular Cell』で掲載)、ゲノム編集技術の今以上の高度な応用が期待される。

「こうした基礎研究から生まれた道具を、社会で使える道具とすべく、会社も立ち上げました」と濡木教授は言う。

研究者たる濡木教授のもうひとつの顔は、2020年8月、東京証券取引所マザーズ市場に上場を果たしたバイオベンチャー「モダリス」の社外取締役だ。同社の基幹技術のひとつは、「CRISPR-GNDM」というCRISPR Cas9の応用技術だ。これにより、さまざまな遺伝子疾患を、患者を生きながらにして治療することを目的としている。

「科学的発見は、発見のままでは誰にも使えません。基礎科学たる構造生物学は、科学によって明らかにされた発見の構造を原子分解能で把握することで、発見を道具に変え、社会にイノベーションを生み出すのです」

生命の起源からヒトの本質までを一気に説明する

構造生物学は、これまでの常識では考えられないダイナミックなアプローチで、生物学の教科書を書き換えていく。たとえば、生命の起源から、私たちのような高度な真核生物であるヒトがどのように成り立っているかを、あるタンパク質の構造決定によって一気に理解しようとする。

「生命の起源はすなわち、自己増殖能を持つ細胞の誕生と考えられます。そして細胞の成立には、外界と隔絶された空間をつくる“細胞膜”を持つ、ということが欠かせません。そこで重要になるのが『膜タンパク質』の存在です」と濡木教授は語る。

細胞内の核には、生命の自己増殖を可能にする生命の設計図であるDNAがある。このDNAのなかの、遺伝子の約3分の1を占めるタンパク質こそ、細胞膜にある「膜タンパク質」だと濡木教授は言う。膜タンパク質は、細胞の内部と外部の情報をやりとりする役割を担い、ヒトの身体にあるすべての細胞は、この働きのおかげで互いにコミュニケーションをとることができる。すなわち、膜タンパク質は、生命現象の根幹を司っていると言える。

2012年のノーベル化学賞は、「GPCR(Gタンパク質共役受容体)」と呼ばれる膜タンパク質の知名度を一気に広めた。GPCRは、光や匂い、味などの五感に関わる情報からホルモンの伝達に至るまでを司る、いわば巨大な情報伝達の交差点となる膜タンパク質だ。

「GPCRが制御している最大の神経細胞ネットワークこそ、私たちをヒトたらしめている、脳なのです」と濡木教授は言う。脳はGPCRや「チャネル・トランスポーター」と呼ばれる膜タンパク質による高密度集積回路なのだという。

目下、濡木教授の最大の関心の一つは、このGPCRを原子分解能で“視る”ことだ。すなわち、GPCRやチャネルの立体構造から機能を理解し、生命そのものからヒトの本質である脳の働きまでを一気に説明することを目論んでいる。それは、生物学の教科書を書き換えることにも通じていくだろう。

これこそが原子分解能の“視力”であり、構造生物学が持つ、これまでの生物学には無いダイナミックな視点だ。濡木教授の研究室ではすでに脳の研究を進めており、現在は主に五感、「感覚受容」の解明を行っているという。

基礎の基礎は応用につながる

濡木教授は、構造生物学の重要なツールの一つである「クライオ電子顕微鏡」の社会応用として、構造解析を創薬に結びつけるための技術開発を行うベンチャー「キュライオ」も立ち上げている。現在は(2020年12月時点)、RNAウィルスである新型コロナウィルスに特化した「RNAポリメラーゼ阻害薬」を開発することを通し、社会に有用な技術として提供することを目指している。

「構造生物学は、物理、化学、生物の融合領域で生まれている学問です。いまや先端的な研究や高度な応用研究は、こうした融合領域から生まれることが多く、自然科学のあらゆる分野が一同に会しているのが、東大理学部の大きな魅力の一つでしょう」と濡木教授は語る。

理学部というと“基礎研究”と思われがちだが、実態は異なるというのが濡木教授の見解だ。濡木教授が好んで使う表現が、「基礎の基礎は応用」である。構造生物学という、タンパク質や核酸の立体構造を決定するというまさに“基礎の基礎”の研究が、高度な応用や創薬・起業へとつなげてきた濡木教授ならではの言葉だろう。

「誰も踏み込んだことのない知を創造し、その知によって教科書を新たにし、科学を前進させる。その知を社会実装することで、世界を変える。そうしたエキサイティングなフィールドで活躍したいすべての人に、理学部の門を叩いてほしいと思います」

そう。理学は人生を賭けるに値する、実に心躍る冒険のような営みなのである。

※2020年取材時 文/萱原正嗣、写真・動画/貝塚純一

生物化学科・生物科学専攻 教授
Osamu Nureki
濡木 理
1993年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。日本学術研究員(DC2、PD)、理化学研究所基礎科学特別研究員、東京大学大学院理学系研究科助手、助教授を経て、2003年に東京工業大学大学院生命理工学研究科教授。2008年、東京大学医科学研究所教授を経て、2010年より現職。
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