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理学のフロンティア

数学、それは面白くてやめられないゲーム

東京大学大学院数理科学研究科 准教授

坂井 秀隆

October 2, 2023

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大学で出会った本物の数学

2019年度の日本数学会解析学賞の受賞者である坂井秀隆准教授は、その授賞理由の中で「(パンルヴェ方程式研究の)世界的な第一人者であり国際的評価もたいへん高い」と讃えられているように、日本の数学界を牽引する研究者の一人である。ところがその坂井自身は、「なぜ数学を専門にしようと思ったのか、あまり記憶が無いというか、なんとなくという感じではあるのですけど」と煮え切らない。小さい頃から算数が好きだったのかとさらに聞くと、「それもあんまり覚えてないですね、たぶん好きだったとは思うのですが。覚えるのが苦手で、試験とかはぜんぜんダメでした」と笑いながら首をひねった後、「たぶん、数学に本当に出会ったといえるのは大学(京都大学)に入ってからですね。その時に出会った数学はなにか、それまでとはぜんぜん違うものでした。とても新鮮に見えたのですね」と答えてくれた。数学という宇宙の奥深さ、不思議、哲学的な側面、そういったものに気づかされ、魅せられてしまったというのだ。

「数学には何か物語があるという感じがするのですね。何か物語を自分で作って、こういうのは面白いですねと提案するのが、自分のやりたいことだったんだと思いました。大学院に進もうと決めたときも、就職がどうのとか、そういうことはあまり考えませんでした。今思えば、後先見ない怖い選択だったかと思いますが(笑)、とにかく数学の勉強が楽しくて仕方なかったのですね」

その楽しさは、坂井に言わせれば、「単に面白い」ということ。

「ゲームに近いかもしれない。いつまでも遊んでいられるゲーム」

数学のことを、そんなふうに語るのだ。たとえば、坂井が大学の3年だったときのルービックキューブのエピソード。

「子どものころに買ったルービックキューブには解答の冊子がついていて、それを見ると誰でもできるようになっていました。でも、私はその解答を見るのが嫌だったので、結局、ずっと解けないまま、放っておいたんです。それが、大学の群論の講義で、ある一つの操作は、その状態が有限個しかないのであれば、ずっと繰り返し繰り返し同じ操作をしていくと、いつか元に戻るということを学んだんです。そのときに、あ、このアイデアを使うとルービックキューブが解けるぞ、と思いました。その日、帰宅してからずっと夢中になってルービックキューブをやり続けて、最後にようやく解くことができたのですよね」

とにもかくにも、大学生の頃から今に至るまで、坂井にとって数学は何よりも「楽しく、面白い」ものなのである。

パンルヴェ方程式に「面白い」を見つける

散歩が趣味だという坂井は、学部生のときも、大学院生のときも、大学近くの「哲学の道」をさまざまな問題に考えを巡らせながらしょっちゅう歩いたという。

「そのときは、くだらないことも考えていたんですけど」と坂井は笑うが、「数学者って、散歩が好きな人が多いのじゃないでしょうか。歩いているときに考えが深まるということは、よくあると思います」と言う。

「哲学の道」とは、銀閣寺と南禅寺のあたりを結ぶ、幅の狭い疎水に沿った2㎞余りの風情ある小道だ。「哲学の道」と呼ばれるのは、京大出身の大哲学者、西田幾多郎がこの道を愛していたからだ。坂井の尊敬する二人の京大出身の数学者も、おそらくこの小道を思索しながら歩いたのではないだろうか。

「尊敬し、かつ大好きな数学者は古今東西たくさんいますが、あえて名をあげるなら、私が京大にいたときの師である神保道夫先生(京大名誉教授、東大名誉教授)、そしてその神保先生の師である佐藤幹夫先生(1928〜2023年)ですね」

佐藤幹夫は坂井が京大に入学したときには、すでに退官していたというが、坂井にとっては今もとても巨大な存在であり続ける。

「佐藤先生は、佐藤超関数の理論を構築したことで有名な数学者で、ああいう数学ができたらいいなという意味で、とても影響を受けていますね。ほんとうに視野の広い先生で、私のはまだ狭くて、結果が出せていない」と、坂井は謙遜するが、前述した日本数学会解析学賞受賞のように、坂井はすでにさまざまな世界的な「発見」をしている。その対象が、パンルヴェ方程式である。

パンルヴェ方程式とは、1900年ごろ、後にフランスの首相も務めた数学者ポール・パンルヴェ(1863〜1933年)によって発見された微分方程式の一種(正確には非線型の常微分方程式)である。6種類の方程式からなり、パンルヴェ性という性質で特徴づけられる(坂井は8種類に分けなおしたほうがよいと主張している)。この方程式は登場直後には、多くの数学者からさまざまに研究・解析されたのだが、そのわずか十数年後には数学界から姿を消してしまうのである。つまり、その真価と魅力を見出すことができた研究者が現れなかったのだ。坂井は、学習者向けの書籍でこんなふうに書いている。

「20世紀の初めにパンルヴェらによってなされた仕事は、いみじくもポアンカレが述べたように、数学の大陸から離れた絶海の孤島だった」

つまり、20世紀初頭の数学の潮流からかけ離れた「異端の方程式」であったということである。だが、続けて坂井はこんなふうに書く。

「パンルヴェ方程式の話は、そのような大きな物語(筆者注:現代数学の潮流)からは離れて、ぽつんとたたずんでいるように見える。今、数学者は、しばし立ち止まって、新しい道を探し始めている。数学という大きな装置を手に入れて、本当に知りたかったのは何だったのかを考え始めている。

鉱脈がどこに埋もれているのかは分からない。だが、昔からよく言われているのは,自明でないもののうちで、最も簡単なものが一番面白いということだ」

坂井はパンルヴェ方程式に、坂井が数学に抱くもっともプリミティブなモチベーション──「面白い」を見つけた。

坂井理論として結実した長年の研究

神秘的とすら呼ぶ数学者もいるパンルヴェ方程式に再びスポットライトが当たったのは、物理学の領域でのことだった。1970年代のことである。2次元イジング模型(相転移を記述するための統計力学のモデル)の相関函数がパンルヴェ方程式の解で書けるということが見つかったのである。これは当時の数学界にとっては驚天動地ともいえる大事件だったという。そこから、パンルヴェ方程式への関心が半世紀ぶりに再燃するのである。

「とても不思議ですね。パンルヴェ方程式は、非常に数学的なもので、まったく頭の中だけで考え出された方程式なわけです。それが、現実の統計物理の重要な函数を解くために大きな役割を果たすことが、あとからわかる。不思議です。物理学との関係では、そういうことがとても多いですね」

坂井の研究は、このパンルヴェ方程式を「わかりたい」というのがそのモチベーションだ。そのために考え出したアイデアが、坂井の博士論文の主題となった。

「特殊関数(筆者注:役に立つ独特の函数)は解析学の対象ですが、曲面論という幾何学的な対象に対応させることによって、さまざまなことがわかるんじゃないかというのを、博士論文でやり始めたんです。すると、幾何学とか代数学とかいろいろな分野の話を使えることがわかってきました。対象自体はパンルヴェ方程式という微分方程式なのですが、曲面を一般的に見ると差分方程式も現れて同じ枠組みで扱えるというようなこともわかりました。もちろん、いろいろな人たちの先行する研究などもあったわけですが。そして、パンルヴェ方程式を拡張した離散パンルヴェ方程式を考えると、さらに全体像が見えるという形になっていったのが、私の博士論文だったんです」

19世紀に発見された楕円関数や超幾何関数といった特殊関数は、数学以外のさまざまな分野で使われる重要な関数なのだが、そんな重要な、世界を広げてくれる特殊関数を発見したいという目的がパンルヴェ方程式の誕生のもととなっている。微分方程式の解は数ではなく関数だから、方程式を研究することが新しい関数を見出すことにつながるのだ。坂井の夢の大元もそれと変わらない。パンルヴェ方程式を解析することで、誰も知らなかった特殊関数を発見したい。そのために、博士論文では、解析という分野から飛び出し、代数学や幾何学といった数学の別の領域からパンルヴェ方程式を新たに見つめ直すという作業を始めたのだ。

「現在では、もっと高次元の話ができないかということで、4次元の場合はどういうふうになるのかとか、そういう研究にずっと取り組んでいます」

なお、離散パンルヴェ方程式を含む、パンルヴェ方程式を幾何学的に分類した代数幾何学的理論は、いまや「坂井理論」と呼ばれている。現在の坂井は、パンルヴェ方程式をコアに、さまざまな研究で最先端をゆく数学者であり、国際的に大きな注目を浴びているのである。

みんなが見ていないところで不思議を探す

それにしても、研究に行き詰まり、数学なんかもうやめようなどと思うことはないのだろうか。

「あまり、ないですよ」と、ひょうひょうとした口調で坂井は言う。難問の答えを導き出そうと机の前で頭を抱えてウンウン唸っているような数学者のイメージとは、どうも坂井は違うらしい。

「私はあまり問題を解いていないかもしれないですね。むしろ、『こういう問題を見つけたんだけど、誰か解いてよ』というように、問題を作るほうに興味があるのかもしれませんね。『こういうことがわかるといいよね』というのは、けっこう思いつくのです。不思議を見つけるのが好きなのですね。あまりみんなが見ていないところで不思議なことを探しているのかもしれない」

とはいえ、数学とはすでに完成された完璧な世界のようにも見える。まるで、新しい不思議なことなど、もはや何一つも見つかるはずもないような。

「わかっていないことは、まだまだたくさんあります。とくに20世紀の後半になってコンピュータが登場して、それまで手で計算していたのが機械でできるようになったら、逆に不思議な現象がいくらでも見えてくるようになったのですね。いままで計算できなかったから見えなかったものが、こんどは見えるようになってきたわけです。そのため、数学の領域がとても広がっていきました。わからないことは、だから今でもたくさんあるのですよ」

パンルヴェ方程式でも、坂井たちの研究で解明されたものがある一方で、いまだ誰にもわからないことが厳然としてある。だからこそ、坂井は研究を続ける。

「パンルヴェ方程式では、4次元の方程式の分類理論が作られたばかりで、これの解析はほとんどなされていないのです。海外でもいろいろな研究がされているのですが、次々といろいろな問題が見えてくるのです」

坂井は楽しそうにそう語る。

ITを支える学問でもある数学は、多くの若者にとっていま一番気になる学問といえるかもしれない。実学としての数学の側面について、「楽しい」や「面白い」こそが駆動力だという坂井はどう考えているのだろう。

「たとえば暗号とか、実世界で役立つことで、世界に対してインパクトを与えるアイデアを発見したなら、それはとても面白いことだと思います。だから、そういうアイデアを考えついたなら、私も頑張って追い求めると思いますね。面白ければいい。でも、そういうアイデアを私は思いついていない」

つまり、実世界に直結する数学の研究をしていないのは、自分がそれにつながるアイデアを思いついていないからだという。

「私は、数学の世界では自分にできることしかできない。そんなに賢くないんです(笑)。でも、不思議を見つけてそれを解いていくことがとても面白いのです。それは生きることが楽しいということにも繋がっているような気がします」

若者たちには、その「面白さ」を知ってほしいと坂井は言う。

「5次方程式は解けないという定理があるのですが、実は複素関数論を使うとこんなふうに解が書けるんだよという話をすると、目を輝かす若い人たちがいます。そういう不思議、面白さを伝えることで、数学を勉強したいと考える若い人が一人でも多く出てくるといいなと思っています」

プライベートではカラオケも大好きだが、新しい歌は小さな娘さんが教えてくれたポケモンの曲しか知らないという坂井。散歩はいまでも続けている。だから、きょうも坂井はパンルヴェ方程式のあれやこれやについて思いを巡らしながら何時間もそぞろ歩くのだろう。歩くその道は「哲学の道」ではなく、都心の喧しい山手通りや目黒川沿いではあるが。

※2023年取材時
文/太田 穣
写真/貝塚 純一

東京大学大学院数理科学研究科 准教授
SAKAI Hidetaka
坂井 秀隆
1999年、京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。1999年、学術振興会特別研究員(PD)。2000年、東京大学大学院数理科学研究科助教授。2007年、東京大学大学院数理科学研究科准教授。
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