NTTコミュニケーション科学基礎研究所 主任研究員の宮﨑弘安さん。高校時代の友人とのやりとりがきっかけとなり数学の世界に足を踏み入れ、アカデミアでの探求を経て、企業の研究所というフロンティアへと歩みを進めます。宮﨑さんがキャリアの岐路で下してきた選択と、その根底にある哲学に迫ります。
言葉を操る数学との出会い
大学入学当初から、ほとんど数学科へ進むことを決めていたという宮﨑さん。その思いを決定づけたのは、高校時代のある友人とのやりとりでした。
「高校のときに、ものすごく数学のできる友人がいました。線形代数や微積分もすごくしっかりと理解しているような人でした。完全に独学で、図書館にある数学書は全部読んでしまうほどパワフルでした」
ある日、その友人からこう問われます。「宮﨑くん、積分って何だと思う?」。授業で習った知識で答える宮﨑さんに対し、友人は微分形式など大学レベルの数学の言葉で説明を始めました。
「何を言っているのか全然わからなくて、悔しい思いをしました(笑)」
触発された宮﨑さんは、大学レベルの数学の専門書を開きます。そこには高校の授業の数学とはまるで違う世界が広がっていました。
「線形代数とか、集合と位相とか、もちろんすぐには読めないのですが、読み込めばなんとかわかるようには書いてある。その内容は、学校で習う数学とは異なり、論理と概念を言葉で丁寧に組み立てていくようなものでした。私はこのような数学の方が好きなタイプなんだとそのとき気づきました。そして、ひっそり数学をやろうと心に決めたのです」
複素解析から数論幾何へ。好奇心がつないだ探求の道
理論の美しさから「複素解析」に夢中になったという宮﨑さん。その面白さから、当初は複素解析の分野に進もうと考えていました。しかし、学部4年生のとき、その後のキャリアを方向づける転機が訪れます。
「数人で1冊の本を読み進める『輪読』という授業がありました。そこで、数学者ジャン=ピエール・セールの『数論講義』という有名な本を読んだのですが、その後半に複素解析の手法を整数論に応用するという内容が書かれていました。その部分がとても面白かったんです」
まずは整数論を少し学んでみよう。そんな軽い気持ちで始めた勉強が、宮﨑さんを数論幾何学という、より深く広大な世界へと導いていきました。
「複素解析は、複素数の世界の関数の性質を調べる理論ですが、これを突き詰めるとリーマン面という幾何学的な対象の研究に行きつきます。関数の世界と幾何学の世界が結びつくわけです。一方、私が研究している数論幾何学はこれにヒントを得て構築されたもので、整数論を「スキーム」という幾何学的な対象の研究に結びつける理論です。数論幾何を学ぶうちに、その魅力にすっかり取りつかれてしまいました。もともとやろうと思っていた複素解析からはシフトしてしまいましたが、自分の中では、スムーズな流れでここに至ったと感じています」
関数、空間、そして整数。一見すると異なる世界が密接に結びついている。その探求の核となるのが、宮﨑さんの専門である「モチーフ理論」です。それは、数学の異なる分野で発見されたものごとの背後にある普遍的な構造を探し出す壮大な試みです。宮﨑さんはこれを、「異なる対象の背後に潜む共通のパターンを見つけ出し、結びつける『数・形・圏の織りなす抽象絵画』のようだ」と表現します。その関係性の奥深さに魅了され、宮﨑さんの探求が始まりました。
*リーマン面:複素平面をある規則で貼り合わせることで、多価関数がまるで一価関数のように振る舞うように見えるようにしたもの
アカデミアから企業へ。数学者のための新たな道を拓く
博士課程修了後もポスドクとして研究を続けていた宮﨑さんは、指導教員の後押しもあり、フランスでの研究生活を経験します。
「指導教員の齋藤秀司先生は、『海外に行ってみなさい』というスタンスの方でした。パリ第VI大学のジュシュー数学研究所(IMJ-PRG)というところに行ったのですが、問題の立て方や、どういうところに気を配りながら問題に取り組むのかといったアプローチが全然違う。その違いに気づけたことは、自分にとって非常に貴重な経験でした」
日本人同士のコミュニティでは、どうしても同じ方向を向いてしまいがちです。異なる環境に身を置くことで、自分が当たり前だと思っていた考え方や技術が、実はユニークな強みであることに気づかされたと言います。
「日本で教育を受けた私が『こういう問題は面白いと思う』と言うと、『その考えは持っていなかった』と言われることがよくありました。自分が育ってきた環境の強みが認識できましたし、その強みが活かせる場面があることを知りました」
帰国後、理化学研究所で研究を続けるなかで、宮﨑さんに大きな転機が訪れます。NTTコミュニケーション科学基礎研究所に新設される「基礎数学研究センタ」への誘いでした。企業内で基礎数学を探求するという、世界的に見てもほとんど例のない野心的なプロジェクトでした。
「正直に言って最初は『企業で本当に純粋数学の研究ができるのか?』と疑っていました。また、理化学研究所のなかで数学者のコミュニティを広げていくという活動を始めたタイミングであり、いま移ってしまっていいのだろうかという悩みもありました」
最終的に宮﨑さんの背中を押したのは、新たな環境で基礎数学の可能性を切り拓くことへの義務感でした。
「ここで私が断ってしまったら、この面白そうな試みが消えてしまうかもしれない。それなら、まずは自分が飛び込んで、せめて足場を固めるところまでは頑張ってみよう、数学者が活躍できる場所を企業の中に切り拓いていこう、そう思い移籍を決めました」
「自分の研究に関係ないものを勉強した方がいい」
数学コミュニティを広げ、その可能性を追求することに喜びを感じるという宮﨑さん。その根底には、分野の垣根を越えたコミュニケーションが、自分自身にも、そして数学の世界にも新たな価値をもたらすという確信があります。
数学の研究というと、一人で黙々と机に向かう孤独な作業ばかりだと想像する人も多いかもしれません。しかし、宮﨑さんによれば、それは実態と大きく異なるようです。
「数学の研究は、実はとても社会的な営みです。学生時代は、仲間たちと自主的にゼミを開き、一つの文献を巡って何時間も議論を戦わせていました。人に説明しようとすることで自分の理解が浅かった部分に気づかされ、理解が深まっていきます。探求には他者との対話が不可欠なのです」
この経験が、宮﨑さんの哲学の礎となっています。
「数学者が当たり前のように使いこなしている考え方は、実は社会では当たり前ではなく、非常に強力な武器になり得ます。異分野の人と対話することで、彼らが持つ独自の直感を数学の言葉で捉え直したとき、思いもよらない形で問題が解決できることがあるのです」
そう語る宮﨑さんは、自身の経験を振り返り、未来の研究者を志す学生たちへ温かいエールを送ります。
「周りの評価や常識に捉われず、自分が本当に面白いと思える道を進み、後悔しない選択を続けてほしい。自分のキャリアはこうだと決めてかかるのではなく、その時々で心が躍る選択を丁寧に積み重ねていくことが大切です。自分の専門とは関係ないように思えることでも、積極的に学んでみてほしいと思います。将来本当に必要になる知識は、今“関係ない”と思っているものの中にこそ眠っているのですから」
※2025年取材時
文/堀部 直人
写真/貝塚純一


